恵解山古墳ですが、
以外と寛げる立派な公園になって
おりましたので“古墳でパン食”を
楽しみましてw
改めて北側にむけチャリンコ旅再開です
…と申しましても、せいぜい2、3分も
走らせれば到着です~(  ̄▽ ̄)
◆勝竜寺城の詳細はコチラ
⇒http://maro32.com/%E5%8B%9D%E7%AB%9C%E5%AF%BA%E5%9F%8E/
近世天守を備えた城郭になる以前の
室町時代の1400年代からこの地域には
いわゆる“館”としてあったようです。
◆細川ガラシャの詳細はコチラ
戦国時代には細川氏が入城、
悲劇の姫様『明智玉(細川ガラシャ)』
が、嫁ぎ一時期暮らしたお城で
知られるようになった訳ですが、
残念ながら当時の建屋を再現してると
言う訳ではありません
勝竜寺城公園として整備されている区域は
当時の本丸にあたる位置のみですので
本当はもっと広いお城ですよ
本丸っぽく見える建物は資料館です(°▽°)
一階は庭園を見渡せる休憩スペース。
二階に発掘調査の写真や出土品、
山崎の合戦に関する資料を展示してます。
合戦陣形の具体図がありました
池田恒興さんに高山右近さん…
最前線で頑張ってますね( ̄▽ ̄)=3
実際のお城の規模は広大なもので
堀や城壁(大昔は石垣ではなく“土塁”と
言われる土を高く盛った物)まで
加えるとさらに大きくなるのですが
城北側にある神足神社には
もっと前にはその土塁が確かそのまま
むき出しで見られたと思ったのですが、
久しぶりに行きましたらここも
綺麗に整備されておりました
これまたビックリ
地元民………行かねー……w
季節的に冬枯れしてますが、
芝の土壁の所が近世の石垣に繋がって行く
“土塁”と言われる“防御壁”で、
手前の谷部が“空堀”になります。
これを城館の廻りに何重にも
張り巡らした訳ですね
上のGoogle mapと南北が逆転しますが
昔の城域を記した下の地図中にある
『神足屋敷』が今の神足神社です。
城の区域の東西には自然の川もあり
立地的には申し分ないですが、
なぜか山崎の合戦ではあまり
機能せずだったらしく…残念
城の西側に、昔のメインストリートの
西国街道が通っております。
今もちゃんとあります
長岡京市内の一部は綺麗に整備されて
おりますのでそこを通って帰宅しましたが
途中、こんなものを発見
なっつかし~(  ̄▽ ̄)
長岡京駅に改名される前の
JRの駅名看板です。
フリガナないと読めん❗w