芭蕉の辻  2024 June17撮影
道標 ここが日本橋から青森までの丁度半分の距離
江戸時代南北を繋ぐ当時の国道、奥州街道であり商人の町、伊達政宗公がここへ商人を集め商売をさせ大変賑わった通り。当時道幅6.5メートルを参勤交代の際には南部藩や久保田藩もここを通り江戸へ
北側 国分町方面 (下画像)
日本銀行仙台支店
ぶらんど~む一番町
藤崎本館 
藤崎本館前 東一番丁アーケードも微妙に傾斜になっており歩いておりますと河岸段丘の名残を感じられます

藤崎本館前 東一番丁アーケードから撮影した青葉通を挟んで向こうサンモール東一番丁はかつて侍屋敷の地域です(下画像) この通りが広い林庭のある侍屋敷が列なり木々が生い茂り鬱蒼として「杜の都」と謂われたのが由来だそうです。秋田角館武家屋敷のような景観、雰囲気だったのでしょうか。現在の欅並木がつらなる定禅寺通を杜の都と想われる方も多いでしょう。

藤崎本館青葉通玄関
藤崎本館一階青葉通玄関ドアを開きますと、かつて広瀬川が流れる崖でした。河岸段丘の落差がわかる名残が現在も垣間見える十六段の階段があります。藤崎は商人町である大町へ面した玄関から呉服商でお店が大きくなり後ろへ増築拡張した結果、現在青葉通玄関がこのようになったそうです。階段の下へ川が流れていたとは..

青葉通
仙台駅前ペデストリアンデッキ
仙台駅前ハピナ名掛丁アーケードを通り、江戸時代かつて奥州街道であり仙台城の城下町中心交差点でもあり町割りの基点、「芭蕉の辻」名称の由来は幕府が出した禁令などを掲げる高札場も設けられ「札の辻」とも呼ばれており、諸説ありますが、芭蕉樹を植えていたとか、繁華な場所であったがゆえ「場所の辻」の訛ったものだとか、「芭蕉」という虚無僧が近くに住んでいたから等々伝えられております。「芭蕉の辻」周辺を歩きますと所々へ江戸時代の風情ある名残が垣間見える素敵な地域です。