どうやら、子どもの頃の感覚は正しかったらしい。
ペットボトルの水が出回り始めたのは小学校低学年の頃だったと記憶しているが、子どもの私は「水を買うなんて、へん
」と思った。
ここ7~8年、東京に住むようになってから、飲料水といえば九割方ペットボトルの水で、それは当たり前のことだと思っていたけれど、この状況、普通ではないらしい。
週末、我がハズバンドが企画した「ブルー・ゴールド 狙われた水の真実」の上映会は無事終了。
会場である東京都国分寺市のおたカフェ とカフェスロー には、二日間で約100名以上の方にいらしていただき、大変ありがたい限りでございます。
ありがとうございました。
私も受付を手伝った後に映画を鑑賞。
とにかく、私は知らないことが多すぎる。気付いていないこともありすぎる、と反省した![]()
世界には蛇口から水がでない国があって、私は生まれてこのかたそんな状況に直面したことがなく、テレビのなかの話のように思っていたけれど、他人事ではないようだ。映画では、水は限りある資源だと言っていた。
正直なところ、映画を二回観ても、水の状況がよーく分かったとは言い切れない。それでも、映画から受け取ったメッセージはしっかりあって、外国から輸入されるペットボトルの水を飲むのは、やめようと思った。
東京の自分のマンションの蛇口から水が出るにもかかわらず、外国から遠路はるばる飛行機に乗って飛んできた水を好き好んで飲む必要はないのではないか。
なんだかキレイになれる気がして飲んでいたこともあったけれど、実際きれいになれたかどうかは不明である。
自然の摂理に逆らって、水をペットボトルに詰めて商品化し、遠くへ持って行って売るなんて、そんなことしちゃ弊害が出てくるらしい。
ペットボトルの水の需要をなくすこと、それが水という資源を守ることにつながるそうだ。
ペットボトルの水のイメージだけを買うことはもうやめて、水道水を見直してみようと思った。
さっそく、水道水をやかんで沸かして2リットルのお茶をつくり、冷蔵庫にストック。お茶を飲みつつ今こうしてパソコンに向かっている。
食事の後、口を拭いたティッシュで、油のついたお皿をさっと拭いてから洗ってみたら、少し節水できたような気がする。
映画を100%理解できなくても、水のために自分が出来ることから始めてみた。ハズバンドが水の映画の上映会をやり遂げたところで、日々、生活を共にしている私が何もアクションを起こさなければ、彼が上映会を企画した意味は皆無だもんね![]()
ハズバンドは燃え尽き症候群のようになりホットカーペットの上で伸びきっておりますが、思い入れのある映画の上映会をやり遂げることができた彼は幸せ者です。
これも皆様のおかげでございます。
皆様、本当にありがとうございました。
快くお手伝いを引き受けてくれた皆様にも心よりお礼申し上げます。


