思い出話もしないまま | ちっぴのブログ☆CHIPILOG

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美しい大人を目指す私の日々

今年6月に祖父が亡くなった時、久々に会った伯父が、「変な話、こういうことは続くからなぁ。」と言った。なんだか、いやだなぁと思った。


伯父も、こんな続き方を予期して言ったわけではなかろうに。


連休に浮かれ、職場から直接羽田空港へ向かって飛行機に乗り、のほほんと北海道に上陸した私を待ち受けていた知らせ。私の従姉妹が亡くなったと、母から告げられた。




彼女と私は同じ年だし、母親同士が仲の良い姉妹だから、子供の頃はよく一緒に遊んだの。こんなことになって、日ごろ忘れていたような昔の思い出がぽろぽろこぼれだす。


二人そろって車の助手席に座りたいと主張して、大泣きして繰り広げた助手席争奪戦。ドラえもんの映画は、ほとんど彼女の一家に連れて行ってもらった。水族館、お祭り、温泉、なつかしの札幌テルメ、おにぎりもって公園でピクニック。


少し大きくなってから、二人だけで札幌駅に買い物に行ったのは、ちょっと大人になった気がして大冒険だったよね。


夏休みや冬休みに、彼女のうちに泊まりに行っていたのは、小学生の頃だったのかな。一緒に宿題したり、花火したり、ファミコンしたり、とにかく楽しくて、もう一泊、もう一泊と、かなり長々連泊させていただいた。その居心地の良さといったら、自分の家に戻って来て、「あっちのうちに戻りたい」とメソメソ涙を流すくらい。




それなのに、大人になって、会うこともめっきり減った。


最後に会ったのは、二年前か。


お酒でも飲んで、思い出話のひとつやふたつしたかったよね。自分で覚えている以上に、一緒にいろんなことしたのにね。




お通夜でおじさんとおばさんに会ったら、おばさんは「小さい頃から一緒に遊んでくれて、ありがとうね。ちっちゃんは、幸せになるんだよ。」と、こんな時に、そんなことを言っていた。私は、ろくな言葉の一つも出てこない。


彼女と同じ年に世に生まれ出て、一緒に大きくなってきた私は、これからも生きて、本来、彼女も一緒に年老いていくはずだった姿を、時折、おじさんとおばさんに見てもらうのが、私の義務のような気がしている。


従姉妹の彼女は、今の私を形成する構成要素のひとつであり、現世に残った私に、彼女を見出す人もいるかもしれない。