◆冴返る

今宵しかない酒あはれ冴え返る/室生犀星
                           
春の季語「冴返る」は、暖かくなりはじめた時期に、また寒さが戻ってくる現象を言う。万象が冴え返る感じがする。句は、酒飲みに共通する「あはれ」だ。この酒を飲んでしまうと、家内にはもう一滴もなくなる。つい、買い置きをするのを忘れてしまった。まことに心細い気持ちで、飲みはじめる。急に冷え込んできた夜だけに、心細さもひとしお。その気持ちが「あはれ」なのである。手前勝手といえばそれまでだが、この無邪気な意地汚さから、酒飲みはついに離れられない。ちなみに、犀星の愛した酒は金沢の「福正宗」だった。作者の晩酌の様子については、娘・朝子の文章がある。「犀星は家族とは別に、小さい朱塗りのお膳の前に正座して、盃をかたむけていた。私達はそばの四角いちゃぶ台にそれぞれが座る。母はこまめで料理が上手な人であったから、犀星のお膳には酒の肴の小皿がいくつも並び、赤い袴には備前焼の徳利があった。犀星はあまり喋らずに、毎夜きまって二本の徳利をあけていた。そして夕食にはご飯はいっさい食べなかった」(『父 犀星の俳景』1992)。この晩酌が終わるころになると、きまって近所に住む詩人の竹村俊郎が誘いに来て、二人はいそいそと飲みに出かけたものだという。(清水哲男)
~増殖する俳句歳時記より。


◆冴返る/さえかえる/さえかへる
初春
 

しみ返る/寒返る/寒戻り
 

春さき、暖かくな
りかけたかと思う
とまた寒さが戻っ
てくること。一度
暖かさを経験した
だけに、より冴え
冴えとしたものを
感じさせる。


神鳴るや一村雨の冴えかへり
去来 「小柑子」
柊にさえかへりたる月夜かな
丈草「続有磯海」
三か月はそるぞ寒は冴えかへる
一茶「七番日記」
真青な木賊の色や冴返る
夏目漱石「漱石全集」
山がひの杉冴え返る谺かな
芥川龍之介「澄江堂句集」
冴返る面輪を薄く化粧ひけり
日野草城「花氷」

~きごさいより。



◆クロッキー
冴返る


突然の医師の言葉や冴返る

子規堂の坊つちやん電車冴返る

ぐい呑のをはりのしずく冴返る

冴返る乳剥落の女身仏

母の死に遅れし不孝冴返る

かび餅に入歯の割れて冴返る

老いの背をぞくりぞくりと冴返る


◆芭蕉の言葉


俳諧は気に乗せてすべし。




俳句は対象との、一瞬のまぐあひである。

冴返るで一句どうぞ。