こんにちは
学習塾を経営している
なおです。

当ブログをご覧頂き、
ありがとうございます。

先日、
ふと携帯をみたら、
「事の重大さが分からない
息子に説教した」
という見出しが、
目に飛び込んできました。

そのワードを見てすぐ、
私の口からでた言葉は、
いや、
ムリじゃない⁈

確かに、
よく言う言葉かもしれません。

でも、
ムリでしょ⁉︎

だって、
事の重大さが、
分からないのですよ‼︎

事の重大さが、
分からない息子さんに、
いくら説教をしたって、
分からないのです。

だって、
事の重大さが、
分かっていないのだから。

なんだか、
禅問答のようですが、
分かりますかね⁈

説教が有効なのは、
事の重大さが、
分かっている人に
対してだけですよ。

分かりやすく言うと、
例えば、
人を殺しては、
いけませんね。

皆さん、
みんな、
そう言うと思います。

例え、
相手が、
自分の家族を、
殺したとしても、
そういう相手でさえも、
その人を殺すことは、
いけません。

相手が、
どんなに
罪深い人であったとしても、
人を殺すことは、
決して、
許されないことです。

でも、
例えば、
その人が、
戦国時代の武将だったら⁈

恐らく、
何か理由があれば、
人を殺してもいいと、
なんなら、
敵の大将の首をとることは、
賞賛に値するとさえ、
思っていると思います。

そんな人に、
人殺しをしてはいけないと、
いくら
説教をしたとしても、
ムリだということです。

解りますか⁈

だからね、
事の重大さを
理解できる力がない人に、
いくら説教をしても、
どうして、
それが、
そんなに、
重大なのかが、
理解できないのですよ。

解りますか⁈

ただ、
やたら怒られたわとか、
そんなに
くどくど言わなくても…とか、
よっぽど、
重大なんだろうな、
よく理解できないけど…。
などとしか、
思えないのです。

だからね、
事の重大さが、
わからない相手に、
説教をするなんて、
アリンコ🐜に向かって、
一生懸命、
どうして分からないの⁇
何てことをしてしまったの⁇
これは許されないことなのよ‼︎
取り返しがつかないことなのよ‼︎
などと、
言っていることと、
同じようなことなのです。

じゃあ実際、
事の重大さが
分からない息子さんには、
どうしたらいいのかと
言うと、
事の重大さが、
理解できる
人物に育てることです。

解りますか⁈

そう、
だから、
分かっていない今、
色々と言ったって、
無理だということ。

言っておきますが、
説教では、
人を育てることは、
できませんよ。

前述の
人殺しはいけない。
という話でいうと、
先ず、
人の命の尊さが、
理解できる頭が必要です。

人の命の尊さを
理解できるようになる為には、
先ず、
人の命とは⁈
理解できないといけません。

そして、
尊いという意味も
理解できないと
いけません。

そして、
その尊く、
かけがえのない、
人の命を奪うことの
自分勝手さも、
理解できないと、
いけません。

そして、
例え、
どんな理由があろうとも、
現代の日本では、
許されない大罪であるという、
社会通念や、
法律なども
知っていないと、
いけません。

そしてまた、
自分の属している
国、
組織、
社会の法律は、
守らないといけない
ということも、
理解できないといけません。

そういう、
色々なことを
理解できる頭がないと、
いくら、
言い聞かせたとしても、
理解できないのです。

でさ、
事の重大さがわかるには、
想像力がない人には、
難しい。

だって、
事の重大なことの多くは、
実際には、
経験できないこと、
絶対に、
経験したくないことじゃ、
ないですか⁈

だからね、
経験できないこと、
したくないことを
理解しようとするには、
想像力も必要になってくるのです。

そしてね、
言葉の
内容理解力もいります。

今、
まさに、
私の考えを
このブログに書いていますが、
結局、
私が、
何を言いたいのかを、
読みとる力がない人には、
私が、
何を言いたいのかが、
伝わらない。
ということ。

だからね、
息子さんを
事の重大さが、
理解できるまでに
育てられなかったのは、
あなたの
責任でもあるということ。

それを棚にあげて、
息子さんに説教するのは、
ちょっと、
おかしいのではないか⁈
ということ。

説教されるとしたら、
むしろ、
あなたの方ですよ。

だって、
あなたは、
事の重大さが、
分かっているのだから。

なのに、
ナゼ⁈
息子さんを
事の重大さがわかる人物に、
育てなかったのか⁈
ということ。

まさか、
もしかして、
まだ幼いから、
そんな事の重大さなんて、
わかるワケないがない。
なんて、
言われますか⁈

そしたら、
なおのこと、
説教なんかしたって
ムリですよね⁈
という話ですよ。

そしてね、
事の重大さって言ってもね、
その事が、
重大だと思っているのは、
あくまでも、
あなただということを
忘れてはいけませんよ。

もしかすると、
他人からすると、
そんなに重大なことでは
ないかもしれませんよ。
という話。

いくら、
確率が高いからと言って、
そうじゃない人もいる。

価値観の違う人に、
いくら、
それが重大だと言っても、
そうは思えない人もいる。

そういう
単なる、
価値観の違いを
あなたは、
分かっていないと、
言っているだけ
なのかもしれませんよ。

もしそうだとすると、
本当にわかっていないのは、
あなたの方だ
ということになります。

人類みな、
自分と同じ価値観になれ‼︎
と言っていることになります。

なんと、
傲慢で、
独裁的な…。

もちろん、
例え、
相手が、
あなたの子どもだろうと、
自分の価値観を
押し付けることをしては、
いけませんよ。

そういうことなど、
よくよく考えて、
言葉を発していますか⁈
という話です。

そういうことを
よく解らないで、
考えるウツワがなく、
もっともらしいことを言って、
独りよがりの
おかしな理論で、
子育てされたり、
他人を責めたり、
していませんか⁈
という話です。

だからね、
おかしくなってくるのですよ。

だからね、
賢くなろう‼︎
賢い子を育てよう‼︎
と、
言っているのです。

少なくとも、
自分の未熟さがわかると、
価値観の違いなどが
理解できていると、
他人に説教するなんて、
烏滸がましいこと、
できないと思いますよ。

因みに私は、
我が子に、
説教なんて、
したことがありません。

というか、
もし、
娘が
事の重大さに
気付けていないことが
あったとしたならば、
私は、
娘ではなく、
自分を責めます。

そういうことを
わかるような子に、
育てることができなかったと…。
そして、
そのことに、
気付くことが
できていなかったと…。

そして、
その責任をもち、
そのことに気付けた、
今、
この時から、
そういうことが、
わかるようになれるよう、
育てる努力をします。

そう、
人間、
死ぬまで、
もう手遅れだということは、
ないのですよ。

親には、
我が子を育てる義務、
監督責任が、
あるのです。

だからさ、
そういうことを鑑みると、
やっぱり、
事の重大さが
わかっていない息子さんに、
説教するって、
おかしいと思うのです。

あっ、
因みに、
私は、
あくまでも、
このタイトルを見ただけで、
内容は知りませんあせる
知りたいとも思いません。

だから、
その方の言われる
事の重大さが、
何だったのかは
わかりません。

知ったところで、
こういう発言をされる方の話に、
私は、
共感することが
できないであろう可能性が、
高いからです。

わざわざね、
自分の共感できない記事を
読みにいかなくても、
いいのですよ。

ムリやり、
共感なんて、
しなくてもいいのです。

よくさ、
自分とは、
違う考えの人や
キライな人の記事などを
わざわざ見にいって、
文句を言ったり、
ケチをつけたりする人が
いるけれど、
本当は、
好きなの⁈
って思ってしまう。

だってさ、
自分には、
何を読むのか、
見るのか、
自由に選べるのですよ。

そんな
自由な選択権をもっていながら、
わざわざ、
自分のキライな人、
気分を害する人、
不愉快な人、
理解に苦しむ内容を
見たり、
聞いたり、
読んだり、
しにいくのですよ⁈

ドMなの⁈
って思います。

私なら、
そんなヒマがあるなら、
自分の好きな人、
面白そうな人、
興味のある人たちの
記事などを
見たり、
読んだりしたいです照れ

話が合わなさそうな人たちと、
付き合いたいとも
思わない。

そういう、
自分の快・不快を
尊重していけると、
幸せになれますよ。

子育ての教育論だって、
色々とあります。

なんなら、
全く、
正反対の理論もあります。

何が本当に正解かなんて、
今は、
わからない。

結果は、
やってみて、
後からにしか、
わからないのです。

皆んな、
自分の論理が、
正しいと、
思っているのです。

だからさ、
自分の信じられること、
快・不快に、
従っていった方がいいですよ。

そしてね、
途中で、
それを変えてもいいことは、
わかっておきましょうね。

違ったあせる
間違えたあせる
と思ったら、
方向転換したら、
いいのです。

わたしたちは、
自由なんだよ。