さて、1,の冒頭で濠川から東住吉橋の下を通り、西に分岐した川は新放水路という名称のようでです。
今回の話は、新放水路が東高瀬川にそそぐまでです。これが最初の東住吉橋です。2004年から今日までの間に作り直されていますが、大正14年と書いてあります。京都市のマークもそのままです。左は住吉小学校。
例によって地図です。住吉町から西に進みます。
景勝橋です。
もう西には橋は無く、左(南)へ曲がって東高瀬川に合流します。
東高瀬川の川べりにこのような柱がありました。南は西丹波橋です。
振り返ると右が疏水放水路、左が東高瀬川本流、かすかに上流の橋が見えます。左手に京セラ本社です。冒頭の水門は、疎水の水が大量に濠川、町の中心部に流れるのを防ぎ、周辺部を迂回させる働きだとわかりました。大正時代の土木技術のようです。
書き終わって調べたら、2004年にきれいにまとめた 方がいらっしゃいました。