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🏠 ①出桁造りの㈲戸田電気と平屋もじゃハウス
前回の記事は久しぶりに1軒の古民家、出桁造りのおそらく元酒屋を紹介するのに費やしてしまった
これが他のブログならば言語道断な出来事であるが、僕のブログは気が向けばわずか100メートルの距離をすすむのに、連載3回ぶん費やすことも当たり前なので、とくに珍しいことではない
さて、今回のタイトルバック写真は、その元酒屋と思われる出桁造り商家を斜め向かい側にある路地から撮影したものだが、当然、この路地の様子を探ってみたがコインランドリーと専修大学附属高校があるぐらいで、とくに何もない住宅街であった
そして和泉仲通り商栄会の通り沿い、こちらの出桁造り商家の少し先に見つけたのが……
もう、斜め前から見ただけで戦前物件だと見当がつくこちらの古い建物である
店舗の部分だけ見ると「National」の文字が目立つごく普通の電気屋にしか見えないけれど、横から見た全体像、やけに張り出した2階の屋根庇、ぶっとい破風と、戦前物件の条件が3点も揃っている
これはもう間違いなく魔改造された出桁造り商家にちがいない……と、決め込み逸る気持ちを抑えつつ建物の正面に向かうと
遠くから見た全体像から予想したとおり出桁造り商家を戦後になって、ナショナル特約店の電気屋に魔改造した物件であった
建物の間口が不自然に狭いこと、そして丸見えになってしまっている波板が張られた建物の横部分から、かなり以前に二軒長屋の造りの出桁造りを、真っ二つにぶった切ってしまった「ぶった切られ物件」だということが類推できる
こういった必然性に迫られて魔改造された物件は僕の大好物なので、先ほど見つけた元酒屋の出桁造り商家を発見したときより無駄に血圧が上がりながら、またしても無駄に撮影しまくる
それにしても建物から漂う荒廃感は、かなり以前に廃業して放置されていることが見てとれる
もはや稼働していないナショナル電池の自動販売機があった
このハイトップという白黒の縞模様の電池は、子どもの頃に見た記憶がある。その記憶が間違っていなければたしか赤白の製品もあったはずだ
電池の自動販売機の周囲には、観葉植物が野良化したものと思われる植物が繁茂してオレンジ色の果実を実らせていた
この魔改造された出桁造り商家の隣には……
スクエアな形状の戦後型の看板建築があったが、僕が撮影したこの位置からちょっと引いた場所からロングで撮影すると興味深い風景を見ることができる
左から魔改造された出桁造りの電気屋、戦後型の看板建築、そして平成になってから建てられたような半分にぶった切られたようなデザインの新築の一軒家……
と、造られた時代もコンセプトも何のつながりのない3棟の建物が三角形を象り、まるでひとつの建前のように一体化して見えるのだ
この見事な風景が狙ってやったものなのか、それとも偶然の産物なのかは不明だが、狙ってやったとしたらかなり高度なセンスだと感心するしかない
という話はともかく、ここでいきなり話題を冒頭に戻す
タイトルバック写真の元酒屋の出桁造り商家のな斜め前からはじまる路地には、コインランドリーぐらいしか店がなかったが、しばらくすすむと専修大学附属高校の新校舎がある……
と、書いた。つまりこの路地には商店街の続きだという痕跡は、一切見られなかったわけだ
ところが、なんとなく附属高校の新校舎の場所に何が建っていたのか気になって、過去のストリートビューを見てみると、いちばん古い2009年の段階で、すでに新校舎は建造されていて、何が建っていたのかはわからなかった
ところが驚いたことに、新校舎と細い路地を挟んだ隣には……
あろうことか2009年までは出桁造り商家が建っていたのだ!
現在この路地にはコインランドリーがあったぐらいで商店街の続きだった痕跡は何も残っていない
こちらの出桁造り商家があった場所には面白味の欠片もないサイディングボード外壁のツマラナイ建て売り住宅が2棟並んでいるだけで、その横には専修大学附属高校新校舎があり、何処かの新興住宅街じみた風景が広がっている
しかし、この場所に昭和初期頃に建造された出桁造り商家があったことは紛れもない事実で、ということは現在は何の変哲もない住宅街に上書きされてしまっているが、遥か昔の和泉仲通りは相当に栄えていたのではないだろうか
歩いて来た道を振り返ると、そんな昔日の繁栄などなかったかのように静かな商店街の風景が続くだけで、諸行無常という言葉が脳裏をよぎった
などと虚無的な気分になってしまいそうだけど、この写真を撮影している立ち位置の真後ろには……
またしても斜めに切れこむ路地があり、その右側に傍若無人に繁茂した蔦が、もじゃハウスを通り越してジャングル状態になっている建物があった
正面から見ると入り口が木製の引戸のまま残された平屋建ての住宅があった
しかし、よく観察してみると間口二間の下までガラスを嵌めこんだ住宅というのは考えにくく、おそらく何らかの商家の成れの果てだと思われる
当然のように過去のストリートビューを確認してみたが、もっとも古い2009年の段階では、蔦こそ繁茂していなかったけれど、すでに無住になっているような雰囲気であった
かつてはこの先に文具店などもあったが、今はこのジャングル化したもじゃハウスのあたりで和泉仲通り商栄会は終わっているようだが、もう少し先まで行ってみよう
続く
†PIAS†
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