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🔩 ⑧志村坂上にある一里塚と旧斎藤商店 

 

 

 

 

 

地下鉄都営三田線の板橋本町駅に向かう途中に偶然見つけた「イナリ通り商店街」は、レトロというより昭和中期頃の姿をとどめた僕に近い、もしくは少し下の年齢層にも刺さる“昔どこかで見た”ような魅力的な商店街であった

 

とはいえその規模は小さいため、あっという間に散策を終えてしまい首都高が頭上を圧迫する国道17号線を駅に向かった

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の記事の最後に掲載したこの写真は駅の入り口からすぐの場所から、ちょっと気になった「かちまや食堂」を撮影したものだが、駅から至近距離なのに駅が写っていないのは、板橋本町駅が地下鉄駅だからだ

 

 

都営三田線は都電に代わって敷設された経緯があるため開設されたのが古く埼玉高速鉄道のように地下鉄なのに駅舎があったり、横浜市営地下鉄グリーンラインのように、途中から地上に出てしまうこともない

 

したがって、多くの地下鉄と同様に地上には駅の出口があるだけであるが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その駅の出口の隣に「ネジ 相葉ボールト」という激渋なボルト・ナット専門店があって驚愕する

 

まあ建物自体は新しいが国道17号線は昭和初期頃には、このあたりまで開通していた道路なので、老舗があっても驚くほどのこともないのだろうけれど、その老舗が昔の業態のまま残っているのが驚きだ

 

 

何故よく調べもせずに老舗と判断したのかというと、現在は「ボルト・ナット」という表記が常識であるが、この店の表記は「ボールト」と、なっているからである

 

東京の古い建物に関心がある者ならば、この「ボールト」で真っ先に想起するのは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残念ながら解体されてしまったが写真家・田中長徳氏に「ピサの斜塔より格上」と言わしめたこちらの「斉藤製作所」であろう

 

 

僕は奇跡的なバランスで倒壊もせず斜めに建っているこの建物が大好きで、こいつが見たいがために京島には何度も足を運んだ

 

このような素晴らしい文化的遺産を、くっそクダラナイ道路拡幅工事などで、みすみす破壊してしまうこの国は、まさに文化不毛の土建王国と言っても過言ではないだろう

 

 

ちなみに、この時点(2018年8月)ではちゃんと現役で、夜景を撮影していたらステテコ姿の老人が出て来て驚いたことを、今でもハッキリ記憶している

 

 

 

 

ーー話がすっかり横道に逸れたので戻す

 

板橋本町駅から都営三田線に乗り2駅先の志村坂上駅に向かう。ちなみに隣駅は前のシリーズでちょっと紹介した本蓮沼駅だ

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが志村坂上駅付近の地図である。駅は新しい中山道(国道17号線)の真下にあることがわかる。そして画面の左上に「旧中山道」の文字が読み取れると思う

 

つまり、本蓮沼の手前で国道に合流した旧中山道は、志村坂上駅のすぐ脇から再び分岐しているわけだ

 

 

となると、ここで旧中山道を歩いてみたくなるのが人情というものだが残念なことに、このあたりは宿場町でもないし間の宿があったわけでもないため、遺構などはとくに残っていない

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが志村坂上駅から地上に出て、高島平方面を見た構図だ

 

横断歩道の右側を通るのが国道17号線、左に向かう通りが志村坂上のメインストリート、そして真ん中の細い道が旧中山道である

 

 

 

 

 

 

 

 

目当ての物件は駅を出て板橋方面に少し行ったところにあるので、さっそくそちらに向かう

 

国道はご覧のように、ビルが連なる面白味の欠片もない風景が都心部から延々と続いており、よくぞまあ、こんなに頭の悪い風景を量産したものだ。と、土建屋主体的な風景にウンザリさせられる

 

 

なので国道沿いには、目当ての物件以外は何も期待していなかったのだが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅を出て1分も歩かないうちに「トケイ メガネのマツイ」というファンタジスタな看板建築があり度肝を抜かれた。しかも現役である

 

建物は2階の真ん中にスクエアな窓ひとつという、戦前型の看板建築の様式だが、建物の造りと志村坂上の成り立ちを考え合わせるとおそらく昭和30年代の建造物だろう

 

 

 

 

 

 

 

 

この「トケイ メガネのマツイ」を撮影していて、気になってしかたがなかったのは、隣にある不自然な更地であろう

 

この更地は、わざわざこんなL字型の看板建築を造る合理的な理由など思いつかないので、まず間違いなく古い建物を取り壊した跡地だと思われる

 

 

そこで、いつものように過去のストリートビューを参照すると

 

 

 

 

 

 

 

 

不自然な更地には「大衆酒場 わか松」といういぶし銀の風格を漂わせたバラックじみた平屋が建っていたことがわかった

 

しかし、これで「トケイ メガネのマツイ」の壁面に残っている原爆型トマソンがスクエアな形状だったのは、取り壊された建物が妻入の構造物だったことが理由だと判明してスッキリする

 

 

この場所から目当ての物件まではわずかな距離しかないが、ぼんやりと国道のツマラナイ沿道風景を眺めていると、寝耳に水とでも表現しようがないものが目に入ってきた

 

などと書くと、物凄い建物が出てくることを期待すると思うが、そのようなことはなく、この「寝耳に水」というのは、僕の個人的な事情による

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと、驚いたことに国書刊行会のビルがあるではないか!

 

国書刊行会といえば元々は印刷関係の会社であったが、江戸時代に関する書籍を出版することにより出版社となり、後に海外の怪奇幻想文学を数多く出版して、僕も昔アーカム・ハウス叢書のウィリアム・H・ホジソンの本を購入した

 

 

出版社といえば普通は神田神保町あたりにあると思いこんでいたので、まさか志村坂上にあるなんて露ほども考えていなかったので、驚いたわけだ

 

国書刊行会の本社ビルからさほどゆかないうちに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなものが目に入ってくる。そう、東京都内に残る3基の一里塚(日野は復元だそうだが)のひとつである

 

こちら側にある一里塚は復元されたものだそうだが、道路の反対側には……

 

 

 

 

 

 

 

 

オリジナルの一里塚と、わざわざ志村坂上まで僕が寄り道した理由の見てみたかった物件が残っている。その物件とは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、素晴らしい! こちらは、ほんの数年前まで現役で営業していた材木商の「斎藤商店」だ

 

ということで次回は、この素晴らしい「斎藤商店」を心ゆくまで撮影しまくる所存である

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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