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🍔 ⑤上書きされた墨黒看板建築と都営住宅 

 

 

 

 

 

このシリーズを開始するにあたり「西原通り商店街」からはじめたのは、商店街の途中を玉川上水が横切っていたからだ

 

つまり、その時点では商店街よりも玉川上水に関心が強かったわけだが、その玉川上水は商店街に入ってすぐの場所にあり、導水管と橋の欄干の他はさして見るべきものはなく、すぐに商店街に関心が移った

 

 

その「西原通り商店街」は、わりと長閑な雰囲気でリノベーションされた看板建築なども見かけたけれど廃業してしまっている店もチラホラ見かける、要するにちょっと寂れた商店街であった

 

ところが甲州街道の反対側にある「六号通り商店街」のほうは……

 

 

 

 

 

 

 

 

通行人の数も明らかに桁違いな感じで、賑やかな部類に入る商店街であった

 

このような賑やかな商店街には、たいてい核となる生鮮食品系の店があることが多く、たとえばうちの近所の元住吉ブレーメン通り商店街にも、やたらと安売りする八百屋がありいつも買い物客でごった返している

 

 

こちらの「六号通り商店街」では甲州街道から商店街に入ってすぐの場所に、2軒の青果店がありどちらも客が押し寄せていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、都心部に近いという条件のせいか「西原通り商店街」でも見かけた戦後型の古い看板建築に、コジャレた店がテナントで入っているというのも特徴のひとつであろう

 

これが僕のホームの埼玉県の宿場町の場合は、古い看板建築に入っていた店が廃業してしまうと、そこに新たなテナントが入ることはなく、そのまま朽ち果ててしまうというお決まりのパターンは、大きな違いになっている

 

 

「六号通り商店街」は、廃業している店舗がそのまま残っていると寂れた雰囲気を強く感じさせるけれど、このようにコジャレた店が新たに加わることによって、活気のある商店街という印象が強い

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな戦後型の看板建築をコジャレた雰囲気にリノベーションされた例を具体的に示そうとサンプルを探していると、非常にユニークな物件を見つけた

 

 

この物件、一見するとまったく関係のない墨黒の渋い佇まいの「しゃぶしゃぶ 黒くろ亭」と「和食処 繁han」という2軒の店で、それぞれ別の建物のように見える

 

が、よく見ると右側のベージュのモルタル外壁の「和食処 繁han」の縦横比がなんとなく不自然なのがわかる。そのことを考慮してさらによく観察してみると2軒の店の高さや幅が同じことに気付くと思う

 

 

そして「しゃぶしゃぶ 黒くろ亭」の2階の格子窓の裏側に、「和食処 繁han」の窓と同一面に窓らしきものが確認できると思う。つまり黒くろ亭は、屋号の「黒くろ」に合わせて、本来ベージュのモルタル外壁看板建築だったものに、墨黒の看板建築を上書きしているのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

角度を変えて撮影すると「和食処 繁han」と「しゃぶしゃぶ 黒くろ亭」の境目に微妙な段差があることが確認できる。要するにこの出っ張りの部分が、看板建築を上書きした看板建築だったのだ

 

そのことに気がつくと「うーん、黒くろ亭は、よっぽど屋号に合致した外観が欲しかったのだな」と、妙な情熱というか執念に、ちょっと感心した

 

 

 

 

 

 

 

 

繁華街的に賑やかだった「六号通り商店街」も牛丼の吉野家のあたりまでくると、店舗密度が下がり通行人の数も減少して商店街のアーチが見えてきた

 

商店街のアーチがあるということは、つまり「六号通り商店街」は、ここで終わりというサインだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

「六号通り商店街」のアーチを撮影しようと思ったら、その左手にアーチより気になるものが目に入ってきた

 

左手には昭和な雰囲気の団地的なビル(都営幡ヶ谷二丁目第二)があるが、その土地が微妙にかさ上げされているのか、あるいは最初から一段高い土地なのか、微妙な段差があり、そこに暗渠らしき隙間が確認できるのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

高低差のおかげで暗渠に見えるので調べてみたが、このあたりを通っていた神田川の支流和泉川は、もう少し先なので、やはり団地を造成するための盛り土だと思われた

 

ちなみに、この団地の目の前を通る道は水道道路で、それを越えてすぐのところを和泉川と、それに関連しているであろう水路が何本も通っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の写真が水道道路に面した都営住宅幡ヶ谷二丁目第二……

 

第二ということは第一があったのかもしれないが、地図を見ると「六号通り商店街」を挟んだ反対側の昭和なビルは「社会教育館」という施設になっている

 

 

ということは、第一という物件は、すでに取り壊されて存在していないか、あるいはこことは違う場所にあるのかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都営住宅というからには、郵便局とか公共的な施設が同居しているようなイメージが強いが、テナントにモスバーガーが入っているのがミスマッチでおもしろい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水道道路を越えた先にも商店街は続いているが、上の2枚の写真を見ていただくとおわかりのように、それまでの賑やかな様子から一転、人通りも少なくなんとなく寂れた気配が漂っていた

 

 

Googleマップを見ると、水道道路から先もどうやら「六号通り商店街」の続きのようだが、あれほど賑やかな雰囲気が嘘だったかのように、寂れてしまう落差には驚くしかなかった

 

ここで僕の唱える「広い道路は町を分断して結果として滅ぼす」が脳裏をよぎったことは言うまでもない

 

 

 

ということで、次回は水道道路から先を散策してみよう

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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