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🍘 final 滅びゆく名前のわからない路地裏商店街 

 

 

 

 

 

国道17号線の真下にある地下鉄都営三田線の本蓮沼駅から、メインストリートである「蓮沼アスリート通り」の商店街に入ってしばらくすすむと「まるげん」というラーメン屋と廃業した惣菜屋の横から、商店街がはじまっていた

 

こういったあまり栄えているとは言いがたい町にある路地裏の商店街は、けっこういい味を出している場合が多いので、ちょっと期待して曲がったが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうやら路地裏の商店街は、すでに衰退してしまったようで、やけに間口の広い店舗(洋品店?)があったかとおもいきや、その先には「ヤマザキデイリーストア」を改装したとしか思えない床屋があった

 

これはもう元ヤマザキ・デイリーストアで間違いないだろう。そう思って過去のストリートビューを確認すると

 

 

 

 

 

 

 

 

なんてことはない。どうやら元々ヤマザキ・デイリーストアのようなオレンジ色のファサードだったものに、後から黄色い看板を付けてしまったため、偶然ヤマザキショップ系のカラーリングになってしまったようだ

 

ちなみに、路地を挟んだ並びにあった「和み酒場 ひまわり」「酒処 ぷくぷく」は、現在どちらも存在していなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

その先には、明らかに看板建築を無理やり住宅に改装した物件があったが、こちらは2009年の段階ですでにこんな姿にされており、廃業したのはずいぶん昔の話のようだ

 

それにしても店の数が少ないな……と思って過去のビューをさらに見てみると

 

 

 

 

 

 

 

 

かつては和菓子屋やタバコ屋、食事処、洋品店、豆腐屋、パン屋などのいろいろな店があったけれど、衰退して徐々に住宅街に上書きされるという、首都圏各地で進行している商店街の衰退を、ここでも見ることになってしまった

 

 

商店街をこよなく愛する者としては、このような個人商店の衰退というのは、国家存亡の危機に他ならないという危機感を強くしている

 

何故ならば消費を大手資本のショッピングモールなどに寡占的に支配されてしまった世の中は、言い換えれば消費者の奴隷化に他ならないからだ

 

 

いや、選択するのも金を払うの自分だと思っているのは、自分が“釈迦の手のひらから抜け出せない孫悟空”の状態にあることすら自覚できない鈍感さの現れである

 

 

 

 

 

 

 

 

その先にも手焼きせんべいの店があったが、営業しているようには見えず、もちろんマップにも記載はなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

その先で商店街の路地は丁字路で終わり、その角地にパラペットの横部分にシェフの顔写真を掲げた、やけに自信満々の中国人経営の中華料理屋があった

 

自分の顔を晒すだけあって、安くて美味しい店で火鍋は絶品との評判であるが、どうやら現在改装の真っ最中のようで、業者ではなく家族らしき一団が、大きなパネルをトラックの荷台から下ろしていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中華料理屋の向かい側の少し引っ込んだ場所に、戦前物件ではないかと思われる住宅があった。角地には古い庚申塔があることから、この道は江戸時代からある古道のようだ

 

庚申塔のある丁字路を国道のほうにすすむと平屋が取り壊されたものと思われる原爆型トマソンを見つけたので、過去のビューで確認してみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

下の写真の不自然な駐車場の場所には、間口の狭いこのような渋い平屋の住宅があったことが判明した

 

ちなみに並びには昭和中期頃の建造物だと思われるツーバイフォー方式で造られた安直なアパートがあったが、それも解体されてしまい、やけに細長い更地が出来上がったという経緯のようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

その先には現役の八百屋(タイトルバック写真)と「丸富商店」という食料品雑貨店があったが、過去のビューを見ても2009年を最後に営業している姿は確認できなかった

 

ちなみに、先ほどの路地は蓮沼アスリート通りの反対側も商店街になっていて、そちらのほうが残存している店舗数が多いことに、帰宅してからマップを見て気がついたが後の祭り

 

 

廃業しているものと思われる「丸富商店」のひとつ先の裏路地に何気なく視線を送ると

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先ほどのビューからキャプチャした画像によく似た木造平屋建ての住宅があったが、なぜかトタン板で封鎖されている

 

これは、最近社会問題になっている持ち主不明物件で、倒壊して町の美観を損ねることへの対策だろうか?

 

 

などと頭を悩ませる暇もなく、そのすぐ並びに……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今度は現役で使用されている同じような平屋の住宅があり、今まで見てきた風景から推理すると江戸時代から続く古道沿いに、古くから住宅街が拓けたのだろう

 

やがて地下鉄都営三田線が開通したことにより、その道につながる路地は商店街になったが衰退してしまった……という歴史が見えてくる

 

 

このあと平屋の先の角を国道方面に曲がったら、旧中山道との合流地点付近に出てしまったため、そのまま国道沿いを5分ほど歩いて板橋本町駅から東急→相鉄と相互乗り入れの車両に乗って武蔵小杉まで乗り換えなしで帰宅した

 

 

これで《変わりゆく中山道板橋宿》は、おしまい……なのだが、まだひとつ宿題が残っている

 

それは何かというと数回前の記事で取り上げた旧中山道から鋭角な交差点で分岐していた商店街を、まだ見ていないのだ

 

 

ここ一連の流れは北区の王子、滝野川。そして豊島区から板橋区まで旧中山道を辿ったが、今度はその商店街を皮切りに板橋区を追及してみたい

 

といっても、あまり続くと飽きるので次回はガラッと舞台を変えて都心部の近くに残る昭和な商店街を取り上げるので、期待して待て!

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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