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🌿 ⑨横道にある出桁造り商家と縁切り榎 

 

 

 

 

 

旧中山道は中心街の仲宿は賑やかな商店街として現在も繁栄しているが、板橋駅に近い平尾宿と逆に駅から離れた上宿は、中心街から外れているため寂れた雰囲気が漂っていた

 

 

前回の記事で詳しく説明した2軒の「新井屋」のすぐ先には、中板橋駅方面に続いている道との丁字路があり、その通りを何気なく観察すると昭和中期頃といった感じの看板建築が目に入った

 

今回の記事は、あくまでも「旧中山道」の散策なので、あまり寄り道ばかりするのもアレだよなあ……という思いが脳裏を一瞬よぎったけれど、僕の直感は“そちらに向かえ”と、告げていた

 

 

こういった場合、僕はその直感に従うことにしている。というのも、このような直感が走ったときは、まず間違いなく古民家レーダーが反応しているからだ

 

この直感のおかげで知られざる物件を見つけた例は枚挙に暇がなく、与野本町でもなんとなく気になった路地を曲がったら、誰も取り上げていない戦前型看板建築を発見したことがある

 

 

そして今回も……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧中山道を外れた場所なのに明らかに昭和初期頃の建造物だと考えられる出桁造り商家を見つけ、我ながら古民家レーダーの高性能ぶりに驚いた

 

 

しかし、その出桁造り商家からは、荒廃した雰囲気が漂っており残念ながら現役の建物ではないし住居としても使われているような様子もなく、おそらく無住のまま放置されているものと思われた

 

すべて閉ざされた入り口の雨戸には、廃業してしまった物件には定番化している政党ポスターがベタベタと貼られている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

店舗の横にある勝手口のアプローチ部分にはガラクタが放りこまれ、手入れされていないこういった場所でよく見かけるヒメムカシヨモギが枝を伸ばしていた

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、店舗の前には自販機が設置されていることから、この建物には居住していなくても所有者はまだいるのかもしれない

 

今までの記事の流れでわかるように、わずかに残っていたかつての中山道板橋宿の面影すら、恐ろしい勢いで失われつつある今だからこそ、できればこの建物を何らかのかたちで活かしてほしいと切に願う

 

 

いったいどのような業種の店舗だったのか気になったので、いつものように過去のストリートビューを遡ると、もっとも古い2009年の映像にだけ、そのヒントが写っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

これがその2009年の映像からキャプチャした画像だが、2階に大きく「カルピス」と記された袖看板があり、そこには「むさしや 平林商店」という屋号が確認できた

 

そして、半分だけ開いたシャッターの隙間からスチール製のラックと飲料水らしき段ボール箱が見えているので、食料雑貨店だったと見て間違いないだろう

 

 

ちなみに、その次のビューではすでに袖看板は撤去されてしまっているので、僕が初めて旧中山道を散策したときには、とっくに廃業してしまっていたようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで前回の記事に掲載したこの写真の左手の見切れてしまっている場所に出桁造り商家があるわけだが、そのすぐ先を首都高の高架が通っている

 

そしてこの通りは、首都高の向こう側まで続いているので、通りが首都高に分断される以前には、中山道から商店街が続いていたものと類推することができる

 

 

この状況を地図で見ると……

 

 

 

 

 

 

 

 

これも前回の記事で紹介した「ティールーム コガ」があるのが、この通り。そして、その通りは首都高に分断される以前は、まず間違いなく商店街として首都高の先まで続いていたはずだ

 

そのことは現地でも気がついていたので、当然、念のため通りの続きをたしかめて見たが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご覧のように味気ないマンションが並ぶ面白味の欠片もない風景だったので、信号をわたることもなく「ケッ、くだらねえ」と、毒を吐きながら僕は旧中山道に戻ってしまった

 

なので写真は撮影しておらずビューからキャプチャした画像を貼っておく

 

 

しかし、帰宅してからもしかしたら、もっと先には古い建物が残っていたのではないか? という疑念が浮かんだので、再び過去のビューを見てみると

 

 

 

 

 

 

 

 

これは「もっと先」ではなく上のキャプチャ画像と“同じ場所”を2014年に撮影したものである

 

 

驚いたことに、そこには現在の風景からは想像もつかない商店街の姿が捉えられているではないか!

 

これが30年前の映像なら変転の激しい東京の町なので、さほど驚くにはあたらないかもしれないが、これはわずか十年程度前の風景なのだから驚くというより呆れるしかない

 

 

この先にはまだ老舗と思われる店舗が何軒か残っているが、商店街だった雰囲気はかなり希薄になってしまっている

 

何度も書くが、こんなものが発展だというのならば、そんな発展などクソクラエだ

 

 

脇道の話はこれぐらいにして旧中山道に戻る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧中山道はその先もちょっと寂れた雰囲気の商店街のまま続いていた

 

さすがに中心街からかなり離れたので、店舗がびっしり並んでいるといった感じではなく、人通りもまばらになってきたが、けっこう古そうな看板建築なども残っているから、昔はもっと商店街らしい風景だったものと思われた

 

 

 

 

 

 

 

 

その先に、かの有名な「縁切り榎」という史跡がある

 

縁切り榎は、樹皮を煎じて縁切りしたい相手(まあ、ほとんどの場合、ロクでもない旦那だろう)に飲ませるときれいサッパリ縁が切れる。酒飲みに飲ませると断酒できる……

 

ということから庶民の信仰を集めたもので、皇女和宮が京から徳川家茂に降嫁するさいは、縁起でもないとわざわざ迂回路を造って避けたそうだ

 

 

当時は大木だったそうだが現在ここに植えられているのは三代目だそうで、大木になるには数百年の年月が必要だろう

 

 

 

 

 

 

 

 

縁切り榎のあたりから街道が微妙な上り坂になっているのは、石神井川による河岸段丘だからだろう

 

その河岸段丘の稜線に出る寸前に、外装をカラフルに塗り直された看板建築などが並ぶ気になる場所に出た

 

 

中心街から離れいったん商店街らしいおもむきは希薄になっていたが、このあたりからまた店舗が並び出すので、次回はそれらの建物を紹介したい

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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