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🏡 ⑥文殊院の巨木に江戸を想い石神井川へ 

 

 

 

 

 

旧中山道の商店街に入ると、さほど行かないうちに川越街道が分岐していた平尾宿から仲宿に変わる。おそらく平尾宿の入り口の大部分は、だだっ広い国道17号線に上書きされてしまったのだろう

 

しかし仲宿は現在も賑やかな商店街として残っているので風景は違っても、かつての中山道の賑わいを疑似体験した気分になれる

 

 

そんな仲宿もしばらくすすむと更地や邪魔なマンションが混入しはじめ雰囲気がぶち壊しになったあたりに、僕もよく利用している「ライフ」というスーパーがあった

 

ライフの横には石神井川が造りだした河岸段丘の緩やかな坂道があるが、坂道の途中にまたしても気になるものが見えたので、その道を曲がると……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近代的な町並みとはまったく異質な巨木が聳える「文殊院」という寺院があった。こういった巨大な樹木には何かしらの神性を感じるのは僕だけではないだろう

 

 

文殊院は江戸時代初期に、板橋宿名主を勤めた飯田家に祀られていた地蔵尊が発展したもので、加賀前田家の姫に仕えたが若くして病没した飯田静の墓所がある

 

また板橋宿は宿場女郎がいたため、品川宿と同様に江戸から遊びにゆく客も多い町で、遊女の墓所もこの寺にあるそうだ

 

 

かつての中山道は町並みの後方に広がるのは田圃や畑だったはずだから広大な敷地も持つ板橋宿名主の飯田家とこの寺院は、かなり目立つ存在だったにちがいない

 

 

文殊院の巨木を見上げ、しばし往古の中山道に想いを馳せたあと街道に戻ると

 

 

 

 

 

 

 

 

やたらと“ごちゃごちゃとした”印象の異様な建物が目に入ってきた

 

袖看板を見ると「のびのび塾」という学習塾のようだ。見上げると屋上やベランダには手入れされているとは思えない半ばワイルド化したプランターが並べられている

 

ベランダにはガラクタらしきものを、青いビニールシートで覆い隠したものが積み上げられており、その上にも発泡スチロール製のトロ箱を利用したプランターが並べられていた

 

 

 

 

 

 

 

 

アングルを変えて撮影すると隣が更地にされていることにより、背後に聳える巨大なマンションが迫っていることが、なおさら風景に強い違和感を与えている

 

これなどは、ある意味都会にしか見られない特異な風景と言えるだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

その隣には建築様式から下手すると、戦前物件かもしれない看板建築があった

 

こちらも隣が更地にされてしまったことにより、本来なら見えないはずの建物の横の部分がむき出しになり、僕の大好きな錆びついたブリキ波板が見えてしまっている

 

 

 

 

 

 

 

 

その先に「コアラ トーイ」という、昔ながらの町のオモチャ屋があった。オモチャ屋という業種もほとんど壊滅してしまっているため、めったに見られなくなってしまった

 

玩具そのものには常に需要はあるものと考えられるので、おそらくこれも「トイザらス」など大型店舗の影響であろう

 

 

 

 

 

 

 

 

廃業してしまっているように見える色褪せた軒先クレハロンテントに「キムラ」と記された店は、全日食チェーンのマークが見えるのでスーパー的な総合食料品店だったにちがいない

 

全日食チェーンの加盟店は全国に1600店舗もあるそうで、いったいどんな業態なのか気になったので以前調べたことがある

 

 

通常○○チェーンといえば、フランチャイズ形式を想像するが、こちらはそういった集約的なものではなく、食料品や酒類、医薬品などの供給ルートやコンサルティングを業務の主としたユルい加盟店のようだ

 

フランチャイズチェーンに参加すると経営は○○酒店なのに、自動的に○○マートなどの屋号に変わってしまい、それがブランディングとなり集客にも繋がる……という方式だが、全日食チェーンは、マークは掲示されていても屋号はそのまま残るわけだ

 

 

 

 

 

 

 

 

「キムラ」の少し先に今度は「テッセン」という「あぶきん」と並ぶ個性的な屋号の店があった

 

気になるのはこの「テッセン」は「鉄線花(クレマチス)」のことなのか? ということだ。なんとなくドイツ語のような響きも感じるが、まさか山岡鉄舟も護身用に持っていた「鉄扇」などということはあるまい

 

 

この「テッセン」、前回の散策のときは明かりが灯っていたが、定休日なのか、あるいは廃業してしまっているのか、この日はシャッターが閉ざされていた

 

 

 

 

 

 

 

 

「テッセン」から旧中山道を振り返ると仲宿のアーチが見える

 

つまり、ここが仲宿の終点で、ここから先は中山道・上宿ということになるのだが、その仲宿と上宿の境界線になっているのが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すっかり三面護岸にされてしまった石神井川で、そこに架かっている橋の名前が……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「板橋」だったことからこの宿場町が板橋宿になったわけだ

 

 

 

 

 

 

 

 

板橋をわたって上宿に入ると仲宿の賑わいとは、いきなりおもむきが変わり、僕がよく散策している埼玉県の宿場町のような寂れた雰囲気になった

 

左手には1970年代テイストの不思議なデザインのマンションが建っていた。すべてがアーチ状にデザインされた窓は西洋の古城がモチーフのように思えるが、「鉄腕アトム」の背景画じみた未来的なテイストも感じさせる

 

 

こういった昔のテイストで「未来」を想定した建造物には、何かしら惹かれるものがあるが……

 

じゃあ、お前住んでみるか? と、問われたらもちろん断る。こうしたユニークな建造物は、部外者として外から見て楽しむものだろう

 

 

ーーと、どうでもよい話に脱線したが、旧中山道の本当に魅力的な部分は、じつはこの先からはじまる……はずだ

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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