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🍞 ①垢抜けないけれど惹かれる場末飲食街 

 

 

 

 

 

「しもふり銀座」をメインとした散策記事の取材をしたら、ゴール地点に設定した滝野川を久しぶりに散策してみたくなり実行してみると、これが思っていたより遥かにおもしろかった

 

そこで今度は滝野川の町を貫いている旧中山道も久しぶりに歩いてみたくなり、巣鴨から板橋宿まで歩き仲宿に到着したところで日没終了……

 

 

 

というのが、前回までのあらすじだ

 

これはいささか消化不良な終わりかただったので、中山道の旧道の部分を踏破しよう。というのが今回のテーマである

 

そこで前シリーズのゴール地点と設定した板橋駅に向かった

 

 

タイトルバックの写真は、現在大規模な区画整理および再開発が行われている真っ最中の板橋駅前を、埼京線の板橋駅ホームから撮影したものだ

 

 

 

 

 

 

 

 

板橋駅から中山道板橋宿の仲宿までは前回の散策で歩いているので、なるべくルートが重複しないように、宿場町の入り口までは中山道と平行するように流れていた千川上水に沿った裏道を使うことにする

 

板橋駅を西口で降りると駅前のロータリーの向かい側に、前回の散策をしたときに西巣鴨で見かけた「丸十製パン」があった。どうやらこちらが本店のようだ

 

 

ここで気になったのは、以前、三軒茶屋の矢倉沢往還の記事で丸十パンがなくなっていたと書いたが、その店舗だけではなく渋谷や高円寺には現在も丸十パンがあることであろう

 

果たしてこの「丸十製パン」というのは、チェーン店なのか、それとも蕎麦屋の「藪」や「砂場」のように暖簾分けで店が増えたのだろうか?

 

 

そこで、この板橋駅の「丸十製パン」のホムペを見ると……

 

 

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丸十ぱん店の始祖、田辺玄平翁は、アメリカで苦学してパンの製法を学び、 日本で初めてパン酵母による製パン法を開発しました。
その後、大正2年に東京上野黒門町で食パン専門の店として「丸十ぱん店」を 創業しました。

 

 

 

 

 

 

創業者の田辺玄平(1874~1933年 明治7~昭和8年)


 

大正8年に、陸軍の糧食の嘱託となり、食パンの生地で食パンよりも携帯に 便利なコッペパンを開発し納入しました。それまでのパンはヨーロッパ式の 塩味だけの固いパンでしたが、「丸十のコッペパン」は、それまで棄てられ ていた「ラード」を入れることで柔らかいふっくらとした現在のようなアメリカ式のパンを作りました。
そのことから、「丸十ぱん」がコッペパンの元祖といわれております。

 

 

ーーという、沿革が載っていった

 

さらにWikipediaで調べてみると、やはりチェーン店やフランチャイズではなく暖簾分けで店の数を増やしたようで、相模大野や飯能、果ては甲府にも店があることが判明した

 

うーん、これは知らなかった。どうやら日本でヨーロッパ式のものではなく、アメリカ的な柔らかいパンというものが主流になったのは、この田辺玄平という人物の功績だったようだ

 

 

あららっ、まだ散策もはじまってないのに、冒頭からいきなり脱線してしまったので、話を散策のほうに戻そう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

板橋駅から、かつての中山道板橋宿に向かう旧中山道は、板橋駅のメイン商店街でもあるが千川上水沿いとその周辺には、メインではなく場末の飲食街といった雰囲気が漂っていた

 

 

古い建物は少なくなっても前回散策した旧中山道沿いでは、かつての街道風情を感じることができた

 

しかしこちらは、そもそも用水路を埋め立てた跡地なので、歴史の重さはなく、古くても昭和中期の建物しかないから、その中途半端な感じが場末の印象を与えるのだろう

 

 

でもこの場末の雰囲気は嫌いではない。いや、むしろ好物なので、読者諸賢の感想はともかく個人的には大変楽しい散策のスタートであった

 

そして、このすぐ横にある路地には、以前、偶然見つけてテンションが上がった物件があるので、そちらに向かうと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怪しい雰囲気の看板建築は、7年前に散策したときと変わらぬ姿で残っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

「いざかや お登代」という魅力的な外観の店は現役そうに見えるが、隣の店はショーケースが空っぽになっており、もう廃業しているような感じだが長屋としては今も継続しているようで少し安心する

 

しかし、冒頭で記したように板橋駅西口の周辺は大規模な再開発が行われている真っ最中なので、いつなくなってもおかしくない風景ではある

 

 

 

 

 

 

 

 

居酒屋「平家」という屋号がおもしろくて撮影した1枚。平家というと落ち武者とか隠れ里といった滅亡のイメージしか浮かばないのは、平家を滅ぼした源氏の歴史操作であろう

 

徳川幕府が崩壊した無血革命を「維新」と、いかにも善行であるかのように操作した明治政府も同じ手口を活用している

 

 

 

 

 

 

 

 

などと、どうでもいいことを考えていると建物を10軒ぐらい取り壊したような更地の奥に、僕の言うところの戦後型土蔵があった

 

不愉快な話なので、あまり触れていなかったけれど板橋でも目立つのは、微妙に寂れつつある飲食街と更地である

 

 

 

 

 

 

 

 

看板建築長屋の飲食街に寄り道してから千川上水沿いの裏道に戻る

 

やはり旧中山道のような風情といったものは皆無で、いかにも戦後になってから拓かれた町……といった日本全国どこにでもありそうな退屈な町並みが続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、そんな町並みのなかにも、ところどころにモルタル葺きの看板建築や、大好物の平屋建て看板建築などがあり個人的には飽きない眺めであるが、読者諸賢は退屈なだけかもしれない

 

と、初回の記事はほとんど「丸十製パン」の説明で終わってしまうという、横道に逸れてばかりの本領を発揮したところで……

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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