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🌵 ⑩銅鉄・岡田金属とメゾネット錆びアパート 

 

 

 

 

 

今回の記事から取り上げるのは、中丸子地区をぶらぶらして発見した物件である

 

中丸子は、川崎市中部にあるJR南武線の平間駅から南部沿線道路を越えて、多摩川に沿ったあたりの不便な場所に位置している

 

 

このあたりはかつての丸子村の一部で、現在は上丸子、中丸子、新丸子、下丸子に別れていて、下丸子だけが川崎市ではなく東京都の大田区にある

 

その中心部は現在の東急東横線の新丸子駅付近、中原街道の丸子宿にあったわけだが興味深いのは「丸子」という地名が多摩川を挟んで東京都大田区と川崎市中原区の両方に存在していることであろう

 

 

これは多摩川が暴れ川で大水が出るたびに、何度も流路が変わってしまったためで、丸子だけではなく土方歳三の故郷である石田をはじめとして、宇奈根、等々力など多摩川を挟んで同じ地名が両岸に点在しているわけだ

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日、南部沿線道路を自転車で走っていたら、道路から少し引っ込んだ場所に、建物の全体がブリキ波板で錆び錆びの片流れの倉庫のようなものが見えた

 

しかもその奥には、なんだか凄そうな建物があるではないか。長年この道は通っていたが、こんな物件があったとはまったく気がつかなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

錆び錆びのブリキ波板片流れ倉庫の横には、何やらドラム缶が並んでいるので、どうやら町工場のような物件らしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

並びにあった倉庫の本体は、青梅スタイルの平屋型の看板建築だったので驚いた

 

以前は看板建築のファサードの部分に、何らかの文字が記されていたようだが、全体が白いペンキで塗りつぶされてしまっており、文字を読むことはできなかった

 

 

この看板建築の横を抜けて南部沿線道路と多摩川の中間あたりを平行して通っている裏道に抜けると……

 

 

 

 

 

 

 

 

今度は昭和30年代テイストのブリキ波板外壁の住宅があった

 

建物自体には、さして見るべきようなところは存在せず、ありきたりの物件ではあるが、この家の物干し台が素晴らしく思わず目を奪われてしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物干し台は、建設現場で使用されるような軽量化のための穴が開いた鉄板と、こんなんで強度は大丈夫なのか? と、疑問に思わずにはいられない細い鉄パイプによって組み上げられている

 

この造りは、どう考えてもシロウト仕事というか、場当たり的なDIYの為せる技だろうが、偶然それがギリギリ美的なバランスを保ちなんとも言えない風景を造り出していた

 

 

さらに目を惹くのが何故かその脇に公園のトイレにありそうな石造りの流し台があること、さらに隣家とのあいだに植えられた傍若無人に育ったアロエが織り成す対比が素晴らしく、思わず何枚も撮影してしまった

 

アロエは生命力が強く、傍若無人に繁茂した光景は、とうの昔に廃屋になった家では定番のアイテムとなっているが、廃屋ではなさそうなのに、ここまでサボテンのような暴力的な大きさに育っている例は珍しい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

などとアロエの生命力に感心していると、そのすぐ先に厨子二階建ての古民家を発見した

 

建物の横には、細い路地沿いに長い塀があったが、またしても錆びついたブリキ波板である

 

 

それにしてもこの造り。普通の住宅にしてはほとんど端から端まで並んだ窓が不自然なので、もしかしたら昔は商家だった建物なのではないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

厨子二階建ての建物と道路を挟んで反対側には、壁面に大きな文字で「 岡田金属」と記されたモルタル葺きの建物があった

 

こちら側から見るとアパートのようにしか見えないが、金属加工の町工場だろうか

 

 

こちらの物件にもブリキ波板の倉庫のような建物が付随しており、またしてもブリキ波板の塀。中丸子地区ではブリキ波板を使うのが流行った時期があるのか、やたらとこのマテリアルを見かける

 

 

 

 

 

 

 

 

その並びにも昭和30年代ちっくな住宅があった。こちらの物件は、建物自体はどうでもよく玄関の左脇に大きな切り株があることに注目

 

おそらく枯れるか何かで伐採されてしまったものと思われるが、切り株が腐らないようにビニールか何かで保護した上に、プランター置き場になっているところが興味深い

 

 

 

 

 

 

 

 

その先で多摩川に続く道があり、その道沿いにも錆び錆びブリキ波板外壁の建物があった

 

 

この道に入ってしまうと西松屋の先で多摩川の土手に出てしまうため、そちらにはすすまずガス橋に続く平間の駅前通りを横切って、住宅街を記事2回ぶんを費やした古市場方面に続く路地に向かう

 

というのは、6年前に古市場の取材をしたとき、その路地の奥で芸術の領域に達した錆び錆びブリキ波板物件の王者とでも呼ぶべき廃屋を見つけたので、その建物が無事に残っているのかどうか確認したかったからである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

果たしてブリキ波板の芸術とでも呼ぶべき物件は、驚いたことに6年の歳月を経て奇跡的に同じ姿で残っていた

 

久しぶりに見たのでまじまじと観察してみると、建物の造りからして明らかにアパートであるが、よく見ると不思議な造りをしていることに気がついた

 

 

このアパート、2階につながる階段が存在していないのだ

 

通常、こういったアパートには鉄製の外階段があり2階にも通路があるはずなのに、この建物には2階に上がる階段もなければ、2階の部分に外廊下も存在していない

 

一瞬、2階に登る階段は内部にあるのかと思ったが、それぞれのドアは独立して存在している

 

 

以上の条件から、この錆び錆びブリキ波板アパートは、それぞれの部屋が二階建てになっているメゾネット形式ではないかと推理できる

 

メゾネット形式のアパートが一般的になったのは、おそらく1970~1980年代にかけてだと思われるので、この錆び錆びブリキ波板アパートは、時代に先行して建造された意欲的な物件だったのではないだろうか?

 

 

しかし、その特異性ゆえなのか初めて見た6年前にはすでに廃屋化してしまっていて、入居者がいるようには見えなかった

 

それが、こうして6年の歳月を経て無事に残っていたのは、僕が記録に残すことを待っていたのかもしれない

 

 

ということで、錆び錆びブリキ波板アパートを撮影したが、この先には僕がわざわざ中丸子まで来た目的の物件があるはずなのだが、果たしてその物件も無事に残っているだろうか?

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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