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👞 苅宿堀の開渠付近のV -MAXから鹿島田へ 

 

 

 

 

 

久しぶりに訪れてみると、かつては賑やかだった苅宿商店街は現在も営業を続けている店は少なく、もはや商店街のあかしであった街灯のプレートも外されてしまっていた

 

これはこの商店街だけの話ではなく日本中いたるところで見られる現象で、大型店の進出という単純な理由だけではなくライフスタイルの変化が大きな原因であろう

 

 

肉や魚、野菜や惣菜から雑貨まで、あらゆるものが1ヶ所で買えてしまうスーパーやショッピングモールは便利にはちがいない

 

たしかに急いでいるときや、帰宅が遅くなりスーパーしか開いていない時間帯ならば、選択肢が限られてくるので、遅くまで営業しているスーパーは非常に助かる存在である

 

 

僕は不規則な時間帯の仕事をしているから買い物をするのはたいてい夜になってしまうため、近所で買い物をしようにも開いているのはコンビニかスーパーという選択肢しかない

 

しかし、そういったやむを得ない事情がなくてもスーパーなどの大型店で買い物をするのが、すっかり普通の日常になってしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういったライフスタイルの変化だけではなく後継者不足というのも大きな問題であろう

 

次のシリーズにする予定の中山道板橋宿の取材においても、たまたま昭和初期から続く老舗の主人と話す機会があったが、跡継ぎはおらず自分の代でこの店もおしまいだと慨嘆していた

 

 

という話はともかく……商店街の通りと丁字路で交わっている通りを、元住吉駅方面から続いている居酒屋「わいわい」があった通りに向かう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その途中で古そうな土蔵と用水路の跡地を見つけた。この水路跡は二ヶ領用水の苅宿堀だと思われる

 

このあたりはかつての武州橘樹郡(ぶしゅうたちばなごおり)苅宿村と呼ばれる戸数20ばかりの農村であった。苅宿という地名は平将門がこの地で仮の宿を取ったという故事に由来しているそうだ

 

 

 

 

 

 

 

 

往時は田圃や畑を潤した用水路は埋めれ、コンクリートのドブにされていたが、幅が狭くなったとはいえ開渠のまま残っているのが珍しい

 

以前、二ヶ領用水の記事を連載していた頃は、まだこのような雑草避けの無粋なビニールシートで覆われてはおらず、もう少し用水路だった頃の面影があった

 

 

この元用水路の向かい側に気になる路地を見つけたので入ってみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見るからに昭和30~40年代といった造りの住宅やアパートがあった

 

川崎市のこのあたりは渋谷からも横浜からも30分以内という利便性の高い立地にあるため、武蔵小杉のタワーマンションを筆頭に次々とマンションが建てられ、以前はいくらでも見られたこのような木造住宅ですら、ほとんど見かけなくなってしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

古そうなアパートらしき建物の階段の下に何気なく視線を送ると、かつて一世を風靡したモンスターバイク、ヤマハのV-MAXが埃まみれで放置されていた

 

昭和中期なアパートとの組み合わせが、なんとなく哀れを誘う光景である

 

 

以前は居酒屋「わいわい」の先にも渋い建物が残っていたが、取り壊されてマンションに建て替えられてしまったので、この先には見るべきものはないから次はJR南武線の鹿島田駅に移動する

 

といっても、鹿島田駅付近にある物件は以前の記事で詳しく紹介したので、今回は駅から離れた場所の物件を見にゆく

 

 

 

 

 

 

 

 

上の写真の奥に見えているタワーマンションは、近隣の武蔵小杉ではなく鹿島田駅と新川崎駅のあいだに建っている

 

そのあたりには以前、新鶴見操車場があり広大な敷地が余っているため、今後もタワマンが増えるかもしれないが、今のところ武蔵小杉ほど酷いことにはなっていない

 

 

写真を撮影した場所は、鹿島田駅から府中街道方面に向かうメインストリートを右に曲がったところで、この写真の左手、数十メートルの場所に大石内蔵助が討ち入りの前に準備を整えた称名寺がある

 

称名寺と府中街道のあいだには、赤穂浪士との繋がりがあった平間村年寄・軽部五兵衛の屋敷があり、内蔵助はその伝を頼りこの地に身を潜め討ち入りの準備を整えたわけだ

 

 

五兵衛の屋敷に赤穂浪士の隠れ家を建てた大工の子孫は、今もこの地で建設業を続けているそうだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

称名寺のある通りから鹿島田駅に続く駅前通りは、すっかり建て替えがすすみ首都圏のどこにでもあるビルが並んだ平凡な町並みになっていたが、看板建築の古そうな靴屋が現役で営業していた

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの物件は主屋の様式から、戦後型の看板建築だと類推できる

 

しかし建物を正面から見ると、2階部分の中央にスクエアな形状の窓がひとつという、戦前型の特徴を備えていることから、昭和20~30年代初期に建造された建物だろう

 

 

靴屋がある駅前通りにはゆかず、そのまま称名寺のあった通りを真っ直ぐすすむと、ちょっとディープな雰囲気の飲み屋街がある

 

 

 

 

 

 

 

 

派手な赤い建物があるのが駅前通り。画面左手には廃墟のような雰囲気の古いビルがあるが、その向かい側を見ると……

 

 

 

 

 

 

 

 

古そうなビルと似たようなテイストを漂わせた、こんな店が並んでいた

 

 

ということで、次回はこちらの飲み屋街を紹介したあと矢向駅方面に向かい、「苅宿商店会」に続いて滅びかけている商店街を紹介する

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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