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💈 ④滅びてしまった商店街⑴「苅宿商店会」 

 

 

 

 

 

僕は子どもの頃から放浪癖があるようで小学生の頃から、2つ隣の学区まで自転車でフラフラと彷徨ったりしていた。こことは違う何処かへ、あるいは、まだ見ぬ風景を求めて

 

高校生になると今度は学校をサボり、やはり自転車で時には10キロ以上離れた町まで出掛けたり、明確な目的地もないまま都内を彷徨っていたから、テリトリー内の川崎市中部から都内は大田、目黒、品川、世田谷などの地理は、地元民より詳しかったりする

 

 

何故そのように彷徨っていたかというと、サボって繁華街に出掛けてゲームセンターや喫茶店などに居たら、まず間違いなく補導員やお巡りに因縁をつけられるからだ

 

これが午前中に高校生が制服を着て自転車で走っているだけなら「ああ、これから学校に行くんだな」と思うだけで、目をつけられることはなく、仮に因縁をつけられたら「すいません、遅刻なんで急いでます」と言えば説得力がある

 

 

まあ、その前によく名画座で映画を見たりしていたから、必然的に金がなく喫茶店で優雅に過ごす余裕などなかった。これが自転車でウロウロするだけならば、お金は一銭もかからない

 

 

そうした放浪中に発見したのが、今回紹介する「苅宿商店会」という元住吉駅からも平間駅からも数百メートル離れた場所にある地味な商店街である

 

といっても地元民以外には、それって何処だよ! と、思われるのは必至なので一応、場所を説明しておく

 

 

 

 

 

 

 

 

画面を縦に貫く東横線の線路と平行している道が綱島街道、前回の記事で紹介した居酒屋「わいわい」があったのが、マックスバリュの文字の上あたりである

 

 

昭和30年代頃まではファミリーマート苅宿店のあたりまで店舗が並んでいたが、現在はマックスバリュのあたりから住宅街になっている。そして今回の記事で取り上げるのは……

 

その右下のセブンイレブン苅宿店、AEONマイバスケット苅宿店のある通りで、このように駅から完全に隔絶している道が、かつての「苅宿商店会」という商店街だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地図を見ればわかるように、商店街の端を新幹線の高架線が横切っていて、その一風変わったロケーションが僕にとっては大変魅力的なのである

 

 

商店街に入ってすぐのところにあるファサードの文字がすべて抜け落ちて「ち」という文字の痕跡だけが残っている戦後型看板建築が素晴らしい

 

袖看板を見ると、この店が「ちぐさ化粧品店」という屋号だったことがわかる

 

 

 

 

 

 

 

 

この店は数年前までは現役で営業しており店の前に商品が積まれ、いかにも昔からある店の雰囲気を醸しだしていた

 

上の写真は2018年の5月頃の撮影だが、隣にあった妻入切妻型の商店が取り壊されて更地になっていてガッカリした記憶がある

 

 

 

 

 

 

2016020817390000.jpg

 

 

2016年にも営業中の店頭の写真を撮影しているあたり、この物件が相当僕のお気に入りだったことがわかる

 

現在は数軒の店とセブンイレブン、AEONマイバスケットが残るぐらいであるが、かつてのこのあたりの風景をストリートビューからキャプチャしてみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

ズラリと店舗が並び商店街を形成していた。以前は川崎信用金庫のATMではなく出張所があったことからも、ある程度栄えていたことが類推できる

 

興味深いのは、この時点ではファサードに「ち」の痕跡だけではなく「お  れの店 ち ゛さ」と、まだ文字が残っていることであろう

 

 

僕がこの場所を偶然見つけた頃は、2009年のストリートビューの頃より、もっと賑やかな雰囲気だったことを覚えている

 

 

それでもこのビューの当時は、まだ商店街の組織があったようで街灯に「苅宿商店会」の文字が読み取れるが、現在は撤去されていた

 

ちなみに、街灯が設置されたのは2002年のことで、記念の様子を撮影した写真が残っているが、その賑やかな様子に驚く

 

 

言い換えれば2002年の段階では元気だった商店街の繁栄は、20年ぐらいしか続かなかったということになる

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこれが現在の姿だ

 

まだ夜でもないのに2階の雨戸は閉ざされ、ファサードには、廃業した物件にハイエナのように群がる政党ポスターが貼られていることからも「ちぐさ化粧品店」がすでに営業していないことが見て取れた

 

 

このように個人商店は衰退して大型商業施設のみが繁栄する現状。それを経済的成長と捉え「経済は上向いている」などと、少し考えれば小学生でも欺瞞とわかる嘘を平然と唱える政党、そしてそれに疑問すら抱かない国民……

 

 

大手資本による寡占的な状況により個人商店は壊滅。僕は共産主義者では決してないが率直な感想を述べると、これはかつてのブルジョアによる搾取と何ら変わることはない

 

異なるのは搾取されている側の思考が停止しているため、搾取されていることにすら気が付いていない能天気さにあると言えよう

 

 

 

 

 

 

 

 

商店街の中ほどから新幹線のガード方面を撮影すると鮮魚店が営業しているだけで、あとはシャッターが閉まっていたり、住宅に建て替えられていたりしていた

 

この写真を見ると、もはや商店街という雰囲気はほとんど残されていないが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2009年のビューを見ると、画面の中央あたりに現在と変わらぬ姿で青いクレハロンテントの鮮魚店の他に、薬局、中華料理屋、八百屋などが並んでいたことがわかる

 

残念ながらこれらの物件のほとんどは、取り壊されるか改装されるかで現在は存在していない

 

 

驚いたのは下の写真の左側に「苅宿マーケット」という、僕の大好物のマーケットがあったことで、何度も通っていたのに、この店にはまったく気が付かなかった

 

これは当時の僕がブログをはじめていなかったことが大きな理由であろう。というのは、古い建物や町並みを撮影する習慣が身についたのは、ブログをはじめた2013年以降のことだからだ

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの2棟並んだ戦後型看板建築を見ると、屋号を記した看板などは一切出ておらず、印象に残っていた軒先のクレハロンテントも撤去されていた

 

こちらの建物を2018年に撮影した写真を見てみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

「サワノ洋品店」という袖看板も備わっているが、この時点ですでに廃業してしまっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

2009年のストリートビューを見ると「サワノ洋品店」の隣にも渋い看板建築の「高松薬局」(この商店街で2軒めの薬局だ)という建物があるが、解体されて更地(駐車場)のまま放置されている

 

 

 

 

 

 

 

 

そして滅びた商店街でもたいてい生き残っている床屋は、ここでもその強さを発揮しており「バーバー スミヨシ」は元気に営業していた

 

苅宿商店会は、さほど長い距離ではなく200メートルほどゆくと丁字路に突き当たり終わっているが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丁字路を曲がった先にも若干の店舗や町工場のような建物が点在していて、おそらく往時はこの丁字路でぶつかる道筋も商店街の一部であったことが類推できた

 

この丁字路を左方向にすすむと新幹線のガード下をくぐり「ファミリーマート苅宿店」の丁字路に出る。すなわち前回の記事で取り上げた「居酒屋 わいわい」のある通りである

 

 

ということで次回は、その通りに向かう

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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