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🍜 ①小杉センターロードと拡幅される府中街道
3月に「川崎市中部ランダム紀行」と題してマニアックな記事を連載した
そのシリーズで書いたように、川崎市中部の町歩きのブログ記事を見かけないのは戦前物件が少なく、また絵になるような古い町並みなどは皆無なので、散策系ブロガーも記事にしにくいのがその理由であろう
もっとも武蔵小杉と新丸子のグルメ記事的なものは、いくらでも出てくるが
溝の口の矢倉沢往還の町並みはマンションだらけ、新丸子の中原街道は道路拡幅により戦前物件は残り数棟、向ヶ丘遊園の津久井道はファッキンな区画整理で壊滅した
したがって、川崎市の中部でディープな物件を探すということは重箱の隅をつつくような内容にならざるを得ない
今回はつついた重箱の隅を、さらにつついて深掘りしようというのがその趣旨である
まず最初に取り上げるのは、前シリーズでは無視した、タワーマンション銀座のおかげでマイナーな町から住みたい町の上位の一躍全国区になった武蔵小杉からはじめる
武蔵小杉駅北口のロータリーを降りると駅の真ん前の右側に、昭和30年代からほとんど変わっていない古い看板建築が並んでいる。駅から徒歩30秒。文字通り駅前である
入居している店も昔から変わっておらず花屋(もう営業していないかもしれない)、ケーキ屋、町中華などは僕が高校生の頃からあった。いや、おそらくもっと以前からそのままだろう
現在はこの東横線の盛り土に沿った古い看板建築と向かい側の商業ビル兼マンション以外、ほとんどの建物は建て替えられてしまった
向かい側の商業ビル兼マンションは外側から見るとテナントが入っているので、マンションに見えないが以前、その建物に住んでいた知り合いがいて一度入ったことがある
そんな建物など、わざわざ撮影していないからストリートビューからキャプチャする
こうして外装を見ると商業施設が入ったオフィスビルにしか見えないが、高層階の内側が回廊のようになっていて、そこに住居スペースがあるわけだ(今もそうなのかは不明)
武蔵小杉駅前はタワマンだらけでとくに見るべきものなどないが、駅前を通っている南部沿線道路の東横線のガードの東側を見ると
昭和な感じの古いビルが並んでいる。そこから数十メートル先を綱島街道のオーバーパスがあり、その脇によくぞこんな立地に建てたと呆れるようなトンガリ物件の鋭角なビルがある
このビルがオーバーパスの綱島街道に面している入り口は動物病院で、入り口に24時間受付と記されていたのが妙に印象に残っている。ちなみに右側の架橋は新幹線と湘南新宿ライン、左側は綱島街道だ
今度は駅の反対側、タワマン密集地帯のほうの改札方面に回る
昔は駅前付近にわずかな商店街とイトーヨーカ堂、東横病院ぐらいしかない場所だったが、タワマンラッシュに伴って大々的な区画整理が行われ周囲の風景は一変した
こちらがその駅前風景である。あえてフレームから外しているがこの風景の左右と後方は、タワマンが目前に迫っている
タワマン地帯の駅前にワンブロックだけ昔の武蔵小杉を彷彿とさせる飲食街の一角が残っていて、そんな飲食店のうちの1軒(画面右端)に家系ラーメンの「渡来武」がある
ご存知のように現在の僕には古着禁止令、およびラーメン自粛例が発動中なので、ラーメンは週に一度しか食べてはいけない「しばり」を設けている
この日は待ちに待ったラーメン解禁日なので迷わず「渡来武」に向かった
うんうん、やっぱこれだよね。今までは気の向くまま無節操にラーメンを食べまくっていたが、週に一度だと有り難みに天地の差があり、ラーメンが目の前に出てきただけで、脳内麻薬であるエンドルフィンが噴出する
久しぶりの動物性脂肪と過剰な塩分、炭水化物が身体に染みるようで、あっという間に完食した
食べ終えると「そりゃあ、こんなもん週に何度も食べてたら太るわな」と反省しつつ頭の隅では、来週の解禁日はどこでラーメンを食べようか。などと考えいるのだから人間とは無力な存在である
こちらは「渡来武」のすぐ脇にある有名な「センターロード小杉」という飲食街だ
余談だが川崎市中部が地元の者は、武蔵小杉を略して「ムサコ」などとは決して呼ばず「小杉」という。なのでそう言っている者はジモティと見て間違いない
右側にある「たばこ」の幟の出ているタバコ屋は、珍しい洋モクを揃えているので昔から世話になっているが、タバコ屋の常として喫煙所を設けているので店の前はいつも混雑している
この写真を撮っていたら僕が高校生の頃は、この路地に入ってすぐ左側におばあさんが経営している3坪ぐらいの小さな古書店があったことを唐突に思い出した
センターロードを抜けてイトーヨーカ堂の脇から府中街道に出る
この通りは昔から狭くて混雑することで知られていたが、ついに道路拡幅工事がはじまり、昭和中期頃の面影をとどめた街道沿いの風景が一変しつつある
写真を見ればわかるように、こんなところにまでタワマンが迫り、戦後型看板建築の町並みは道路拡幅工事によって、次々と解体され更地にされてしまっていた
渋い戦後型看板建築の横にある更地が道路予定地だ
上の写真を見ると道路拡幅を前提に、タワマンがセットバックされて建設されていることがわかる
このタワマンが建っている場所には昭和な雰囲気満点の古いビルがあり、マニアックなサイト「東京DEEP」でも取り上げていたが、跡形もなく取り壊されてしまった
元々、武蔵小杉などは何もない荒れ地のような場所だったので、工場や企業のグランドなどが昭和初期からあり「グランド前」「工業都市」という駅名であった
現在、アホのようにタワマンが建っている場所は、畑にもならない湿地帯で、蔵小杉駅前のバスロータリーの場所には昭和30年代頃までは沼があった
したがって荒れ地として放置されていたため、大きな面積を要する工場やグランドを造りやすかった。逆に言うと、それぐらいしか使い道のない荒れ地だったのだ
しかし、企業が国内製造からアジア諸国などなに拠点を移したり、そもそも業績不振で工場自体が必要なくなり、撤退した機会を逃さずタワマンを建てたのだが、考えてもみてほしい
そもそもそんな畑にもならない低湿帯に、タワーマンションなどの巨大な建造物を建てて大丈夫なのか?
このことは僕がずいぶん前から警鐘を鳴らしていた。案の定、とくに歴史的でもない雨で駅前のタワマンが水浸しになるという災害が発生したが、そんなことは少しでも常識があれば十分予想できた事態である
という話はともかく、上の写真の場所で府中街道から細い道が分岐しており、そこは「サライ通り商店街」という小規模な商店街になっているので、次回はその商店街にある物件を紹介する
続く
†PIAS†
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