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🛀 ⑯今度は看板建築の阿部耳鼻咽喉科見る
前回の記事にてしつこく紹介した「宮歯科医院」は、個人的に板橋区を代表する洋風建築のひとつだと考えている
というのは貴族や財閥系のものを別にすると現在、都内に残っている明治時代の洋風建築、しかも木造の銀行建築などはこの1棟だけで、他には存在していないからだ
これほど素晴らしい建物なのに、有形文化財などに指定されずに商店街の一角に放置されているとは、なんという宝の持ち腐れであろう
これだけの物件ならば東京都なり板橋区が何らかのかたちで保存して活かすことが責務なのに、そういった話はネットで検索しても一向に出てこない
それどころか検索条件を変えて試してみても前回の記事にて取り上げた「僕の近代建築コレクション」以外には、この物件に言及している記事すら見つけることができなかった
「宮歯科医院」の周囲は隣に寺院が、向かい側に廃業したものとおぼしき看板建築がある以外は、すっかりマンションに取り囲まれてしまっていた
上の写真を撮影したのは洋館の隣にあった更地で、おそらく寺院の土地だと思われるが、この場所にはかつて
このような戦前物件の出桁造り商家があったが、2009年のストリートビューを最後に姿を消していた
この写真では「酒処 満盛」と「美容室 マイステップ」という店が入居しているが、僕の記憶では1990年代頃ここには古書店があったはずだ
当時は町の古書店がブックオフに駆逐される以前で、中山道板橋宿付近だけで5、6軒の古書店があり、何度か回ったことがあるが現在残っているのはたったの2軒である
そのすぐ先の路地を曲がったところに、平尾宿(板橋宿は平尾宿、仲宿、上宿で構成されている)脇本陣の案内板がある
脇本陣は、とっくの昔に取り壊されているのに、何故こんな案内板があるのかというと、平尾宿脇本陣には流山で出頭した新選組の局長・近藤勇が幽閉されていたからだ
僕は新選組シンパなのでずいぶん昔に訪ねたことがあるが、脇本陣のかわりにマンションがあってガッカリした記憶が残っている
その少し先にも「クリーニング オート」と記された緑色のクレハロンテントの出ている戦前物件が残っている
ちなみに隣にある更地には、以前やけに細いエンピツのようなビルが建っていた記憶があるから、過去のストリートビューで確認したらその記憶は間違っていなかった
上の写真を見ると更地とは反対側には、大きなマンションが聳えているが、僕が以前散策した2017年までは
こんな立派な「花の湯」銭湯があったけれど、散策をする前の月に取り壊されてしまった
じつはブログをはじめて2年目の2015年にも新選組祭りのついでに板橋宿を歩いていたが、そのときは銭湯にはさほど興味がなく撮影していなかったから、過去のビューからキャプチャした画像を貼った
国道から商店街に入ったあたりは今ひとつ寂れた感じであったが、このあたりからだんだん賑やかな雰囲気に変わってくる
普通は駅付近よほうが賑やかなのに、離れるにつれ賑わってくる商店街などは、横浜のアメ横と呼ばれている洪福寺松原商店街ぐらいしか思い浮かばない
そういえば、あの商店街も旧東海道の道筋なのが意外な符合でおもしろい
という話はともかく、商店街が賑やかな雰囲気に変わったあたりには……
「阿部耳鼻咽喉科」という看板建築が残っている
こちらの建物も2015年の散策で撮影しているが、そのとき驚いたのが前回の記事にて取り上げた明治時代の洋館医院「宮歯科医院」と同じようなテイストでデザインされていることだ
こちらは看板建築で向こうは洋館という違いはあるが、壁面の塗装や窓の配置などになんとなく類似性が感じられ、建物の手前に配置された低いブロック塀すら同じテイストなので、明らかに狙ってやったものだろう
2015年に散策したときは、まだ現役であったが2年後に訪れたときには、すでに廃院になっていた
過去のストリートビューで確認してみると意外なことがわかった
僕が最初に散策したとき現役ではあったが、袖看板などはなかったのに、2010年の映像を見ると大きな袖看板が取り付けられているではないか
このように「宮歯科医院」と「阿部耳鼻咽喉科」は、建造された時代は異なっていても対を為す存在なので、どちらも後世に伝えてほしい、旧中山道の面影を残す貴重な建物といってよいだろう
ということで、いよいよ日没が迫ったので次回このシリーズ最終回!
†PIAS†
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