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🚑 ⑮あぶきんと明治時代の洋館・宮歯科医院
前回の旧中山道の散策は「滝野川」というくくりで行ったため住所が滝野川から板橋に変わるJR 埼京線の板橋駅をゴールに終了して、まだ陽が高かったのでそのまま古着屋を回った
しかし、今回はそのくくりがないため板橋宿も立ち寄るつもりである
が、散策のスタートも遅く思ったより時間がかかってしまい、板橋駅を過ぎた頃には、完全に陽が傾いてしまいとりあえず“これだけは押さえておきたい”物件だけは撮影したいので、少し急ぎ足で旧中山道板橋宿に向かう
旧中山道は首都高が覆いかぶさる国道17号線のところで分断されており、そこから板橋宿の長い商店街がはじまる
その直前の交差点に「あぶきん」という気になる看板建築が残っている
この建物は、前回(2017年)に板橋宿を散策したときも、このような廃業してしまっているような雰囲気であったが、2階の窓に明かりが灯っていたけれど、久しぶりに訪れるとさらに荒廃感が増していた
ここで気になるのは屋号の「あぶきん」であろう。「あぶさん」という野球漫画があったが、こちらはおそらく油屋金蔵とか、そういった先祖の名前を付けた屋号ではないか?
と思って調べると意外なことがわかった
前回の最後の写真とタイトルバックの交差点を挟んで「あぶきん」の向かい側にある黄色いクレハロンテントの看板建築は、この日は閉まっていたが「油屋 金子金物店 KADO CAFE」という金物店の経営するカフェだったのだ
さらに調べると「あぶきん」は「油屋 金子金物店」の略で、廃業している「あぶきん」は家具や日用雑貨店だったことがわかり、おそらくかつては金物店と雑貨店を道を挟んで2軒経営していたか、あるいはどちらかが分家なのだろう
「あぶきん」の次の交差点は、滝野川の散策でも目についた首都高が覆いかぶさるだだっ広い国道17号線で、ここで町の動線は完全に分断されてしまっている
こういった場合、滝野川でもそうだったが「広い道路は町を分断して結果として滅ぼす」の法則のとおり、この先は寂れた商店街になってしまうのがデフォルト設定なのだが……
ここは数少ないその法則に反する町で、むしろ板橋駅前付近より賑やかな商店街が続いている
これはもう間違いなく、ここが江戸四宿のひとつ旧中山道の板橋宿から発展した商店街だからであろう。要するに鉄道が敷設される以前から栄えていたわけだ
「板橋宿」のアーチをくぐり商店街に入るとすぐに、右側に気になる建物が見えてくる。それこそが今回の散策で板橋宿まで足を伸ばそうと思った理由の建物である
その物件とは塔屋を備えた見事な洋館である
この建物に初めて気づいたのは、ブログをはじめてから最初に板橋宿を散策した2015年のことだ
それ以前にもこの道は何度も通過しているのに、その頃は現在のように古民家には感心がなく、単なる風景として見落としていた己の不甲斐なさには恥じ入るしかない
とりあえずそんな能書きよりも、この素晴らしい建物を見てほしい
建物は凝った造りの二階建てで向かって左側にはデザイン優先の塔屋が備わっている。三階の部分にはわずかなスペースしかないので、これは必然性がある塔屋ではないだろう
建物の全体に僕の大好物のブリキ波板が張られていることから、僕はこの建物を物凄く凝った造りの看板建築だとばかり思っていた
そして入り口の左手には、一目で医院のものと思われる看板があり、そのことから昭和初期頃に建造された看板建築の医院だと判断したわけだ
ところが、建物の隣の更地(かつては出桁造りの古書店があった)からこの建物を見てみると
主屋に連結されている部分は、いかにも昭和初期頃の木造建築物だが、その奥にさらに新しい建物が連結されている
そして主屋の洋館のほうは、通りから見える部分だけ洋風に見えるように看板状の装飾を施したいわゆる看板建築ではなく、建物の横の部分もしっかりと洋風に造られているではないか
これはどういうことだ? と、思って検索するとほとんど情報がないなかで、たったひとつだけこの物件について言及しているブログがヒットした
こちらの「僕の近代建築コレクション」である
このブログは、おそらく都内の近代建築に関してはもっとも詳しく、そして膨大な数の物件が取り上げられていて、いつも感心しているが、今回もそのブログのおかげで概要が判明した
それによるとこの建物は明治時代に建造された「安田貯蓄(りそな銀行に統合)」で、それを「宮歯科医院」の初代が大正元年に購入して歯科医院に改装したそうだ
看板建築に見えたのは、明治時代の洋館だからRC構造ではなく、木造の洋館だったから同じように木造建築物の看板建築だと判断し、外装の波板がそれに拍車をかけたわけだ
ところで、ひとつ気になったのは
2017年の撮影時には、この連結された部分とのあいだに、このような木製の物干し台があったことで、今回訪れてみるとこの部分が跡形もなく撤去されていたことである
これは腐食して壊れてしまったのか、あるいは管理している者がまだいるということだろう(なのに放置されている理由がわからないが)
この建物は都内では貴重な建物のはずなのに、とくに文化財にも指定されず、利用されることもなく朽ちるにまかせていることになる
上の写真を見ればわかるように、旧中山道の板橋宿の宿場町の面影は年々薄くなり、ご覧のように都内を冒す宿病のマンション群が包囲網を狭めている現状を鑑みると、一刻も早い有形文化財の指定と保護が望ましいのに、自治体はいったい何をしているのだろう
ということで、これで今回の散策の最後の予定も消化したので、あとは日没タイムアウトまで旧中山道を行けるところまで散策するが、じつはこの建物と関連する物件が存在している
果たしてその物件は、無事に残っているのだろうか?
続く
†PIAS†
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