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👩 ⑫女子高生と二郎系の汁無しラーメン 

 

 

 

 

 

巣鴨駅を降りて旧中山道の道筋に続く「巣鴨地蔵通り商店街」を抜けて、都電荒川線の庚申塚電停を過ぎると商店街の名称は「庚申塚商栄会」に変わる

 

とげぬき地蔵のおかげで観光地となり賑わいを見せていた地蔵通り商店街とは異なり、庚申塚商栄会には昭和のまま時を止めたような懐かしい空気が漂っていた

 

 

僕が初めてこの通りを歩いた高校生の頃は、庚申塚商栄会も賑やかだった記憶が残っているが、ズラリと並んでいた看板建築や出桁造り商家は次々と解体され、歯抜けの町になった現在は地方の寂れたシャッター街のような様相を呈していた

 

 

 

 

 

 

 

 

「庚申塚商栄会」は明治通りとの交差点で終わり、そこから先は豊島区西巣鴨から北区滝野川に住所が変わる。上の写真は明治通りの反対側、つまり滝野川から「庚申塚商栄会」を撮影したものだ

 

 

かつては明治通りとの角地の右側に入母屋屋根の見事な自転車屋があったが、解体されて今は更地のまま放置されている

 

その後ろに聳えるマンションの場所には看板建築があったが、今では商店街には見えない殺伐とした風景になり果ててしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治通りとの交差点の西巣鴨側には、廃業して放置されているものと思われるベージュ色のモルタル外壁の看板建築があったので、思わずシャッターを切る

 

画面にやたらと女子高生が写っているのは狙ったわけではなく、この界隈には前々回の記事で述べたように、大正大学を筆頭として淑徳巣鴨中高等学校、巣鴨中高等学校などがあるためで、決して僕の趣味ではない

 

 

というどうでもいい話はともかく、タイトルバック写真から1枚を除いて、妙に悪目立ちするものが画面に写りこんでいるのがわかるだろうか?

 

そう、目がチカチカするような品のない黄色い看板である。なんだよ、この鬱陶しい看板は……と、思って看板を出している店を見ると

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラーメン 鷹の目」という、なんとも悪趣味なデザインのラーメン屋があった

 

こういった悪目立ちする店は、アタリかハズレの二択で「まあまあ」というのは、あまりなさそうな気がする。しかし、そろそろ腹が減ってきたので、夕食をどこで摂ろうと考えていたので、ええい、ままよ! と、入ってみることにすると……

 

 

僕の苦手な二郎インスパイアの店であった

 

「うおっ、何も考えず入っちまったが、15分歩いてファイト餃子の行列に並びたくないし我慢して食べるか」

 

 

と、諦めてメニューを見ると「汁無し」というメニューがあった。二郎系は苦手だが、スープがなければジャンクフードとしては優秀な可能性があるということは、以前「立川マシマシ」で経験済みだ

 

しかし、二郎系なので間違いなく食べきれない量のはずだから「ミニ」というメニューを注文した

 

 

 

 

 

 

 

 

えっ、これで「ミニ」なの?

 

僕の奥に座っていたお一人様の女子大生は、驚くべきことに「普通」を注文したようで、彼女の前には、まるで富士山のようなルックスの物体が置かれていた

 

 

この店はどうやら人気店らしく、入店したときは女子大生と大学生風の客3名しかいなかったのに、次々と客がやって来てたちまち満席になったが、周りの客は「大盛り」「○○増し」などを注文していてさらに驚く

 

あとで食べログで検索してみたら、蒲田などにも店を構える二郎インスパイアの有名行列店であることが判明し、僕がすんなりと席に座れたのは、開店5分後だったからだと判明した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の「ミニ」「ニンニク少なめ」でコレなのだから、大盛りの破壊力は推して知るべし。もし卓上のニンニクを自分で入れる形式なら、僕はこの半分も入れないと思う

 

しかし、幸いなことにこちらの店はアタリで、ジャンクなテイストがクセになるインパクト抜群の味わいであった。女子大生が太らないことを祈りつつ満腹になって店を後にした

 

 

これで西巣鴨側に用事はなくなったので、旧中山道を先にすすむ……が、

 

その前に、「鷹の目」の並びにある大正大学の向かい側、明治通りにある建物に目が引き寄せられた。そこに並んでいたのは

 

 

 

 

 

 

 

 

一目見ただけで雰囲気から直感的に戦前物件だとわかる看板建築の町並みである

 

と、まあ、大袈裟に書いたが町並みといっても5棟並んでいるだけなのだが、今まで見てきた歯抜けな町並みから比べたら、これでも十分町並みと言ってよいだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

並んでいたのは、戦前物件によく見られる典型的な様式の十字型看板建築であった

 

入居しているテナントは昔からの店ではなく、新たに入った店ばかりのようで、古民家に興味のない者が店舗部分だけ見たら戦前の建物と思うことはないだろう

 

 

向かって右端の物件は建物全体に味気ないサイディングボードが張られてしまっており、古い建物にはまったく見えないけれど……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隣にある十字型看板建築との隙間の部分に壁面が延長されて連結されていることから、同じ時代の建造物だとわかる

 

このように隣にある建物との隙間をアーチ状にする様式は、都内各所で見られ、先日アップした中原街道でも見かけたし台東区の東上野、小島でも見られたスタイルだ

 

 

明治通りはだだっ広い道路だし渋谷、原宿、新宿、池袋を通過しているため、新しい道だと思われがちだが、その名のとおり明治時代に敷設されたもので、池袋からぐるっと回った墨田区あたりでも戦前物件が、ちらほら残っている

 

看板建築の町並みを撮影したあとは、つい先日散策したばかりの旧中山道の滝野川地区に入る

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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