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🌱 ⑪厨子二階建ての「東京種苗株式會社」 

 

 

 

 

 

前回の記事にてタイトルバック写真の物件「伊勢屋紙店」について細かく説明した。このあたりは旧中山道の板橋宿より手前ではあるが、江戸時代から町並みが成立していた

 

それには理由があり、このあたりは現在は豊島区西巣鴨という住所であるが、江戸時代にはそんな行政の都合で決めた味気ない住所ではなく、以前シリーズで大きく取り上げた滝野川の一部だったのである

 

 

そして、滝野川は滝野川牛蒡、滝野川人参などの生産で知られる農村地帯で、このあたりは野菜の種を売る商売をしていた家が三軒あったため「滝野川三軒家」と呼ばれていた

 

滝野川野菜で知られるようになると中山道を通る旅人が種を求めるようになり、明治以降の最盛期には種苗問屋が7軒、小売店にいたっては、ここから板橋宿の区間に、なんと20軒を数えたそうだ

 

 

そんな滝野川三軒家の話をはじめる前に……

 

 

 

 

 

 

 

 

2つ前の記事でネタにした「ビスポークテーラー 洋服のマツイ」の建物の裏側に、チラッと見えていた建物は私有地の奥にあり近づくことができなかったと書いた

 

タイトルバック写真の「伊勢屋紙店」の斜め向かい側は、ずいぶん以前に町並みがゴッソリと更地にされているが、その更地の奥を見ると

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錆び錆びのこんな建物が目に入る

 

「ビスポークテーラー マツイ洋服店」の奥に見えていた建物は、この錆び錆び物件の隣にある建物で、ご覧のとおりコンプライアンスを遵守して接近することは不可能であった

 

これは、せっかく数メートル先のテーブルの上にご馳走が並んでいるのに、テーブルまでのあいだは他人の土地なので、手を伸ばせば届きそうなのに、微妙に届かないという、お預けを喰らったもどかしい状況と似ている

 

 

しかしよく見ると、そのご馳走の手前に、いわばジャンクフードのような見事な原爆型トマソンがあるではないか!

 

ここは7年前にも通過している場所なのだが、周囲に古民家が固まっていたため、散策スキルが低かった当時の僕は完全に見落としていた物件であった

 

 

それにしても気になるのは、この場所にどのような建物があったのか……ということだが、いつものように文明の利器、過去のストリートビューでサーチしてみると

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、なるほど。想像したとおり渋い平屋建ての住宅が狭い隙間に建っていたことがわかった

 

手前に邪魔っけなRC構造の建物が建てられる以前には、旧中山道から奥に向かって古民家が連なっていたのだろう

 

 

しかし、この物件を見落としていたのは、7年前の僕の散策スキルが低かったというのもあるが、最大の原因はこの更地の目の前に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな魅力的な物件があったからだ。こんな建物があったら心を奪われるのはしごく当然なので、当時の僕を責めることはできまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの建物は、今まで登場してきた昭和初期頃の建造物だと思われる出桁造り商家とは、まったく違う厨子二階建ての造りになっている

 

 

造りが違うのも当然で、この建物こそ明治時代に建造された「滝野川三軒家」の末裔「榎本留吉商店」なのだ

 

「榎本留吉商店」は江戸末期の弘化元年(1884)年の創業

 

初代・榎本留吉は滝野川三軒家「榎本重左衛門」の三男が分家して種子屋となり「カネト」という屋号で、この地で160年間にわたり種子の卸問屋を営んだ

 

 

などと物知り顔で述べているが、これは僕が博識なわけではなく、ましてや懸命にリサーチしたわけでもない。何故そんなに詳しいのかは後ほど判明するだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

建物の入り口のガラスには「農業種子生産卸 東京種苗株式會社」と記されている

 

おそらく「カネト」は屋号にして、店の名称は近代化で会社組織にするときに「東京種苗株式會社」に変えたものと考えられる。「会」が「會」という旧字体なので、それは戦前のことであろう

 

 

ところで当然、7年前の散策のときもこの建物を撮影しているのだが、建物を見た瞬間、何かしらその当時の記憶とは微妙に齟齬を来していることに気がついた

 

うーん、何処がおかしいのかわからないけれど、この違和感はなんなのたろう?

 

 

ーーと、現地ではそれで終わったが、モヤモヤするので念のため帰宅後に、2017年に撮影した写真をアーカイブから引っ張り出してくると……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なるほど。と、納得。7年前に撮影したときには、建物の向かって左側にプチ看板建築のようなものが合体していたのに、それが取り壊されて不自然な隙間が出来ていたのだ

 

なぜ取り壊されてしまったのかわからないけれど、台風などで自然に倒壊したのではなく、きれいさっぱり消滅しているということは、この建物は長年使用されていないようだが、何らかの手入れをしている者がいるということだろう

 

 

それにしても、後年の増築の可能性はあるが、せっかく建物の個性になっていたのに残念である

 

おそらく豊島区の有形文化財に指定されたことにより、建造当初のオリジナルの状態に戻したのだろうが、こういった改装もひとつの文化ではないかと僕は思うのだが……

 

 

余談だが僕が前回旧中山道を散策した2年前までは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

向かい側にこんなファンタジスタな「田川酒□」という、いぶし銀の酒屋が残っていたが2017年の段階では、隣にあったベージュの看板建築もろとも取り壊されてマンションにされてしまっていた

 

冒頭のトマソンが見えた更地は、いちばん古い2010年のストリートビューの段階ですでに更地にされており、旧中山道の荒廃化はずいぶん以前から進行しているようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

取り壊されてしまった「田川酒□」の跡地の横にある看板建築は残っていたが、その先にはまたしてもマンションがあり、明治通りとの交差点の角地は広大な更地(駐車場)になっていた

 

 

この更地には、かつて戦前物件の入母屋屋根の大きな自転車屋があり、明治通りのランドマークになっていたが、取り壊されて更地のまま放置されている

 

前回の記事にコメントをいただいたが、このような町の荒廃化は日本の政治がいかにダメダメなのかを如実に示しており、そんな政策しか取れない政党に、相変わらず票を入れてしまう愚民がいるかぎり、この国に明るい未来など決して来ることはないだろう

 

 

この更地の手前に「庚申塚商栄会」の看板が出ていて商店街はここで終わっていることがわかる。そして信号の先の広い明治通りをわたると、いよいよ以前シリーズ化した滝野川に入る

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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