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💈 ⑨魔改造出桁造りとビスポークテーラー 

 

 

 

 

 

前回の記事で思わせぶりに書いたクライマックスというのは、決して大袈裟な表現ではない

 

池袋から巣鴨にかけては東京大空襲により、ほぼ灰塵に帰してしまったが、西巣鴨の外れあたりから滝野川にかけては戦災を免れた。そのおかげで駅から離れていることとの相乗効果により、このあたりには古い建物が奇跡的に残されたというわけだ

 

 

しかし、そんな災害を免れた町並みも、大型店舗の進出、後継者不足や商店街という形態自体の衰退、無意味な再開発などの“人災”によって壊滅寸前の様相を呈していた

 

 

 

 

 

 

 

 

手前の看板建築も古そうだが、表から見える部分は戦後になってからの改装と思われるので、あまり撮影する意味がないけれど、そこから先には上の写真からわかるように、昭和初期頃の建造物がズラリ(というほどのものではないが)と並んでいる

 

逸る気持ちを抑え、まずは手前にある出桁造りの建物から見てゆく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの物件は、残念ながら戦後になってからかなり魔改造されてしまっており、入り口なども無粋なアルミサッシに替えられてしまっているが、2階の窓を見ると木製の高覧はオリジナルの状態をよく保っている

 

一見すると2軒長屋の出桁造り商家に、看板建築の床屋がくっついているように思えるが、よく観察してみると床屋の看板建築も屋根は繋がっていることがわかる

 

 

そして3軒並んだ店(あるいは元は店)の間口を見ると真ん中の店舗部分が少し狭く、右端の部分も床屋の部分も同じ幅だと気付くだろう

 

つまりこの建物は、元々は真ん中の店舗部分だけ少し間口の狭い三軒長屋の出桁造りだった建物の左端の床屋だけが、戦後になってから看板建築に改装したということが読み取れる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし看板建築に改装したのは、ずいぶん昔(昭和30年代頃か?)のことのようで一見しただけでは“ちょっと古い戦後型看板建築”にしか見えない

 

よく見ると2階の窓の上にも骨組みの残骸が残ることから、そこにはクレハロンテントが張ってあったものと思われる。さらに、古いサインポールだけではなく袖看板も備わっていたようだが、こちらもずいぶん昔に消失しているようだ

 

 

町並みを撮影した最初の写真だけ見ると、古い建物の向かい側が写っていないが、じつはこちらの建物の向かい側にも……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和初期頃の建造物だと思われるこのような出桁造り商家が残っていて、しかもこちらは紺暖簾からわかるように、現役の焼き鳥屋として営業中である

 

残念ながら焼き鳥屋の隣の物件は、廃業してしまったのか2017年に散策したときには……

 

 

 

 

 

 

 

 

このようにまだ営業しいいて店先に商品が積まれていた。クレハロンテントの文字は、廃業したので消してしまったのかと思いきや、2017年当時でも塗料が剥落してしまっていた

 

かろうじて文字の痕跡は残っていたので、なんとか解読すると、どうやら「食料品 堀商店」という店だったようだ(後で気がつくがテントの横にはハッキリした文字が)

 

 

ーーと思ったが念のためGoogleマップで確認してみると、現役で営業しているようで、たまたまこの日が定休日だったことが判明した。どのような商品を扱っているのか、口コミを読んでみると……

 

僕と同じように町並みを撮影する趣味のひとが投稿していて、撮影していたら店主が出て来て撮影するとはけしからん! と、大声で怒鳴られ撮影した写真の消去を要求されたそうだ

 

 

このような経験は僕も数度経験しているが、ハッキリ言っておくが、公道から見えるものを撮影してはいけない。などという法律は、どこかの独裁国家ならともかく、まともな国家には存在していない

 

そんなに撮影されたくないのなら建物を風呂敷か何かで包んで「撮影禁止」と大きく書いておけばよいのだ

 

 

同様に通行人を撮影する行為も、それを禁止する法律は存在しない。そんなものがあったら、スナップ写真自体が成立しなくなる

 

よく肖像権の侵害などとホザクやつがいるが、一般的にそんな権利も存在していないし、無断で撮影されたなどと訴訟を起こしても、その行為によって、どのような損失を被ったのか具体的な証拠を揃えて理論的に立証しないかぎり、裁判所から門前払いを喰らうだけである

 

 

という、どうでもいい話はともかく、この建物を撮影した一連の写真の最初の1枚目と2017年に撮影した写真の画面の左端に注目してほしい。細い路地の奥に何やら文字が記された建物があることがわかるだろうか?

 

 

前回の散策のときは気付かずにスルーしてしまったが、散策スキルが上がった現在の僕がこれを見逃すはずがない

 

 

 

 

 

 

 

 

さっそく路地に入ってみると、タイル張りのショーケースのようなものを備え、ファサードには「鈴よし」と記された店があった

 

建物の造りから見て、鮮魚店、もしくは精肉店だろうと見当をつけてGoogleマップのピンをタップすると精肉店と記されていた

 

 

営業しているときはどんな姿なのか、過去のストリートビューを順次遡ってみたが、営業している映像はなくショーケースの雨戸が一度リニューアルされているのが唯一の変化であった

 

しかし、僕が撮影したときチラリと見えた整然とした内部には、蛍光灯の明かりが灯っていたので、おそらく一般向けから業販専門に鞍替えして営業しているのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな狭い路地なのに「鈴よし」の向かい側には「洋服のマツイ」というテーラーがあった。シャッターが閉まっているが、こちらも現役のようでマップの記載がある

 

それにしても、昔ながらのテーラーでビスポークを名乗るのは珍しい。というのも我が国でビスポークという言葉が広まったのは、1990年代のクラシコイタリアブーム以降のことだからだ

 

 

路地のさらに奥が気になったので先にすすむと、そこには意外な風景が広がっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこにはなんと、広々とした風景が!

 

それまでの軽自動車も入れない細い路地とのギャップに戸惑い驚くが、これは明らかに地上げなどの理由ではなく、工場や学校、あるいは公共施設のような大きなものを取り壊した跡地だろう

 

 

そう見当をつけて過去のストリートビューをたしかめてみると

 

 

 

 

 

 

 

 

ビンゴ! 過去のビューには比較的新しい建物だと思われる都営住宅が写っていた

 

おそらくこのような低層の建物では都営住宅としては効率が悪いため、高層住宅に建て替えたのだろう

 

 

しかし、ビューに写っていた5階建ての都営住宅は、どう見ても建物の寿命が尽きたボロい昭和な団地スタイルではなく、昭和後期から平成の時代の建造物にしか見えない

 

だとすると減価償却する以前に、もっともらしい理由をつけて建て替えるという、喜ぶのは土建屋とそれに連なる連中だけで税金の無駄遣いに、なりはしないか? という、果てしなくブラックに近いグレーな物件である

 

 

ということで次回は旧中山道に戻り、この先にある建物を紹介する

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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