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🍢 ⑧昭和なビルはスクラッチタイルなのか? 

 

 

 

 

 

「巣鴨地蔵通り商店街」を抜けて都電荒川線の踏切を越えると、それまでの“いかにも東京都内の賑やかな商店街”といった雰囲気から、場末の商店街じみた風景に変化した

 

たとえればそれは、今までが平成だった風景が令和の現在においては希少になってしまった昭和中期そのもの風景である

 

 

今どき都心部に近い場所で、目障りなマンションが視界に入らないのは珍しい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無事な姿を確認した「かすみ書店」から先も高くてもせいぜい5階建てのビルがあるだけで、並んでいるのは戦後型看板建築がほとんどで、昔はどこにでもあった当たり前の風景が続く

 

遥か彼方にマンションが見えるが、それは池袋駅前まで続く都道沿いで、その通りは当然、池袋駅前までビルが並んでいる

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が育った商店街も昔はこんな感じの町並みであったが、今は面白味の欠片もない味気ないマンションが並んだ殺伐とした町並みに変わってしまっているから、訪れたとしても懐かしいなんて感情はひとつも沸いてこないだろう

 

 

「国敗れて山河あり」という言葉がある。戦に敗れてなにもかも失っても故郷には昔と変わらぬ山河がある……というノスタルジーは、この国ではもはやSF小説のようなフィクションになってしまった

 

いい加減、土建屋主体の再開発を発展という言葉に置き換える欺瞞的な行為の愚に気がつかなければ、近い将来この国は滅びるだろう

 

 

という話はともかく並んでいる店が気になる。手前の店は色褪せた青いクレハロンテントに「炭火焼 うなぎ・焼鳥 新鮮海産物」と記されているが、メインの商材がどれなのかさっぱりわからない

 

これは鰻屋が炭火で焼けるものならなんでも焼くようになって、どんどんジャンルを拡げたのだろうか?

 

 

隣にある「愉快酒場 鯉幟」という店にも端っこに「焼鳥」とあるが、もしかしたら炭火焼の店が、閉まるとこちらの居酒屋にシフトするのだろうか?

 

などと、次々と疑問点が浮かぶが、そんなことよりも、その並びに今度の散策で見たかった物件がある

 

 

それは前回の記事で取り上げた解体されてしまった昭和なビルと、対を為すような物件だ

 

 

 

 

 

 

 

 

それがこちらの三階建ての廃ビルである

 

何故このビルが見たかったのかというと、こちらの建物にも僕の大好物のスクラッチタイルらしきアイテムが使用されているからだ

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の記事で解体を確認したビルのタイルは、過去のストリートビューを見ると、スクラッチタイルではなく、どうやら似たような別のタイルであったが、こちらの建物は記憶のとおりスクラッチタイルのようだ

 

スクラッチタイルとは昭和初期に大流行した建築資材で、有名なところでは、かのフランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルの外装に全面的に使用されたことで知られている

 

 

「スクラッチタイル」で検索するとWikipediaには

 

 

 

 

 

 

 

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スクラッチタイルは煉瓦からタイルに変わる際の過渡期の建材である[2]帝国ホテル旧本館(ライト館)には煉瓦ではなく「スクラッチ煉瓦」が用いられ、世界で初めて外壁にスクラッチタイルを用いた作品とされる。1923年(大正12年)の関東大震災で帝国ホテル旧本館は無傷だったこともあり、震災復興期の建築にはスクラッチタイルが多用された[4]。官公庁・大学施設・金融機関などの建築にスクラッチタイルが用いられ、1928年(昭和3年)から1931年(昭和6年)に流行がピークを迎えた[2]

 

 

ーーと、記されている

 

でもこの建物は、どう見ても昭和30年代以降のものじゃないの? というのはもっともな疑問であるが、じつはスクラッチタイル自体はトイレで知られたリクシル(INAX)やニッタイ工業などが現在も生産している

 

リクシルなどはスクラッチタイルの故郷とでも呼べる常滑市役所のマテリアルとして、百年前のスクラッチタイルを再現したりしているぐらいだ

 

 

しかし、どんなに頑張ってもリプロダクトはリプロダクトでしかなく、本物が重ねてきた年月による経年変化を再現することはできない

 

僕は長い年月を経て経年変化したヴィンテージが好きなのであって、リプロダクションにはあまり興味がない

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえばこちらは、1960年代初頭に製造されたリーバイス507XXというGジャンだが……

 

このモデルはヴィンテージのデニムジャケットを代表するアイテムなので、それこそ糸の素材や撚り、染料の組成にいたるまで、徹底して科学的に解析されてリプロダクションが造られている

 

 

したがって着て楽しむだけなら、何十万も出して本物を買わなくてもまったく問題はない

 

でも、やはりそこには年月による経年変化や歴史の重みというものは存在しておらず、僕のような古着マニアなら見て触れば本物かどうか、たちどころにわかってしまうものだ

 

 

つまり、本物とリプロダクトには、わかるひとならわかる明らかな壁というものがあるのだ。逆に言うと「それ」がわからないヤツは、本物を買っても意味がないと言ってよいだろう

 

もっとも、最近はロレックスの時計と同じように趣味ではなく投資で買うアホが多いので、古着好きとしては迷惑極まりないが

 

 

あれっ、何の話だっけ?

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、とりあえず無事な姿は確認したので満足して先にすすむが、その前に正面の構図を1枚

 

ーーと、カメラを向けたら、ちょっといい感じの女の子が通りかかったので、思わずテンポをずらして真ん中に来たところでシャッターを切った

 

 

行為としては不純だが、この写真で建物の大きさがわかると言い訳しておこう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庚申塚から先の町並みは「巣鴨地蔵通り商店街」とは違って、前回散策した2017年とさほど変わらない風景が続いていた

 

違うのは前回の散策建物は同じでもテナントは入れ替わっているか、あるいは廃業してしまった店が多いように感じたことだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毒々しいほど派手なストライプが目立つこちらの「増田屋」という“おでん種”の店は、前回の散策のときは営業していたが、7年のあいだに廃業してしまったようで、荒廃した雰囲気が漂っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

これは2017年の7月に撮影したアングルは違うけど同じ場所である

 

おでん種を並べる什器の横には花が活けられている長閑な光景が胸を突く

 

 

隣の店には「KOKUYO」の看板が掲げられており、文具かそれに関係する店だったことがわかる。こちらの物件もプランターが置かれているため生活があり、建物もイキイキとしているように見える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都電荒川線の庚申塚電停付近では、ゴッソリと町並みが地上げされていて思わず怒りがこみ上げたが、駅から離れるにしたがって、以前とあまり変わらない看板建築が並んだ風景が続いていた

 

 

残念ながら定休日のオレンジのクレハロンテントの「手づくりパン丸十」は、つい先日の記事で散策した三軒茶屋の矢倉沢往還の旧道にも店があったが、そちらはなくなっていた

 

 

その先に「西勘」という文字が記された屋号を見ただけで老舗とわかる店があるが、こちらは「西勘工匠具」という左官の使う鏝などの専門店で、安政元年に西屋勘三郎によって京橋で創業されている

 

本店はいまだに京橋にあるはずなので、こちらは暖簾分けの店であろう

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、滝野川まではあと少し。駅からかなり離れたここからが、いよいよ西巣鴨のクライマックスである

 

上の写真を見ただけで観察力の鋭いひとならば、タダモノではない建物が並んでいることがわかると思う

 

 

いや、いちばん手前の一見どうってことのない看板建築ですら、主屋の破風を見れば「これはもしや……」と、思い当たるはずだ。そう、ここから先は、米軍の空襲による被害を免れていたのだ

 

 

 

ということで続く!

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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