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🌼 ①最初は矢倉沢往還の旧道の町並みから 

 

 

 

 

 

《東急沿線界隈ランダム散策》もついに最終章の三軒茶屋編に入るが、これが最終章なので、散策する場所は三軒茶屋のみ、ということになる

 

したがってタイトルにある「ランダム」という単語とは矛盾してしまうためランダムではなく「三軒茶屋編」に変えた

 

 

タイトルについての説明が終わったところで、三軒茶屋について軽く説明しておく。三軒茶屋は新玉川線で渋谷から2駅目、池尻大橋の次の駅になる

 

 

三軒茶屋という地名は……

 

この場所で矢倉沢往還(大山街道・国道246号線)と津久井道が分岐しているが、江戸時代その分岐点に三軒の茶屋があったことに由来する

 

三軒の茶屋のうち2軒はもう存在していないが、田中屋という1軒だけが茶屋ではなく陶器店として現在も営業を続けている

 

 

さて、今回の散策は駅付近の繁華街ではなく、駅から南側のもっとも離れた場所からはじめる。これを地図で説明すると……

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが三軒茶屋付近の地図だ。地図の真ん中あたりの「Y」を左側に倒したような道の上が津久井道、下の「↙️」が国道246号線で、今回の散策はその旧道の地図でいうところの下側からスタートする

 

「↙️」の国道246号線の真ん中あたりにある「トレファクスタイル」の向かい側にあるレストランの記号の右下から細い道が分岐しているのがわかると思う

 

 

その細い道が旧道で「セブンイレブン三軒茶屋病院前店」の前を通って「コーポ中島」という文字の先、地図から外れたあたりで国道と再び合流している

 

合流地点から数十メートルは、マンションが並ぶツマラナイ風景が続くが旧道らしく湾曲しているあたり、つまり地図の端あたりから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

看板建築が並んだ、いかにも旧道といった風情の町並みがはじまっている

 

僕が高校生の頃は、下の写真の看板建築の左側、国道までのわずかな路地の裏に「本の時代や」(以前は店名が違っていた記憶がある)という古書店があり、何度も入ったことがある

 

 

当時はまだ三軒茶屋のランドマークであるキャロットタワーなどはなく、世田谷線の駅舎の周りにはバラック商店街があり詩・短歌専門の古書店があった

 

薄暗いバラックの通路にあった平台に、アララギのバックナンバーが積まれていた光景をはっきり覚えている

 

 

その他にも記憶に残っているだけで三軒茶屋から三宿にかけて映画専門の「映通社」、久住昌之と何度か顔を合わせた三宿の「江口書店」、神田神保町にも店があった「三茶書房」など、8軒も古書店があった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その向かい側には、神社仏閣のように立派な入母屋屋根を持つバイク屋があり、このブログで何度も取り上げている

 

建物はおそらく昭和初期頃の建造物だと思われるので、バイク屋という業態とはマッチしていないが、他の業種から転業、あるいは後からバイク屋がテナントで入ったのだろう

 

 

このバイク屋から東方面に向かう路地には……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このような戦前物件だと思われる平入切妻の元商家が残っている

 

 

 

 

 

 

 

 

以前はこの先に、こんな戦前物件の元は店舗だった建物が残っていたが、今は痕跡すら残っていない

 

 

つい先年までは、この緑色のクレハロンテントの平入切妻の元商家の向かい側に銭湯があったが、廃業してしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

これがその銭湯の入り口。建物は先ほどの路地に面しているが、入り口は旗の台の「ゆ にしきゆ」で述べたように、旧道沿いに、前回の記事に書いたように、“店と店の隙間”の奥に立派な唐破風玄関を備えた入り口がある

 

銭湯はほんと、このパターンが多く何故なのか、その理由が気になる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先に戦前物件の長屋が残っているが現在は無住のようで、シャッターは閉ざされたままだ

 

しかし、2017年に撮影した写真を見てみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャッターが開いており、この時点ではまだ居住者がいたようだ

 

ちなみに、こちらの物件が現役時代はどんな業態だったのか知りたくて、例によって過去のストリートビューで確認してみると

 

 

 

 

 

 

 

 

どうやら園芸店だったようだが僕には縁のない業種なので、まったく記憶に残っていない

 

僕がブログをはじめる直前までは、この園芸店のすぐ先にも

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶった切られ物件」の、こんな戦前型の看板建築が残っていたが2010年頃に解体されてしまった

 

以前はその先も普通に商店街が続いていたけれど、日大農獣医学部のほうに続く道路を拡幅したため、町並みの連続性が失われ商店街は分断されてしまった

 

 

ほんの数年前までは、この看板建築だけではなく分断地点の手前には……

 

 

 

 

 

 

 

 

このような看板建築の素敵な町並みが続いていたけれど、そのほとんどが取り壊されてしまい、どうでもいいマンションが並ぶツマラナイ風景になってしまった

 

このままマンションや更地が増殖すると町並みの荒廃化が進行して、この道に刻まれてきた先人たちの築いた歴史は、早晩なくなってしまうであろう

 

 

ということで次回は、その分断地点から先の町並みを見にゆくわけだが、そこに早くも三軒茶屋の最初のクライマックスが待っている……はずだ

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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