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📖 ⑪用賀の廃墟と駒沢大学のブリキ店 

 

 

 

 

 

前回の記事で予告したとおり今回は東急東横線沿線から新玉川線の沿線に舞台を移す

 

といってもこのシリーズは時系列に沿っているわけではなくタイトルにあるように「ランダム」なので、訪れたのはまったく別の日である。そして、このシリーズは出掛けたついでに撮影しているため地理的な順番もテキトーなことを最初に断っておく

 

 

新玉川線は、かつてほぼ同じコースで運行されていた路面電車、玉電を地下鉄化したものだ。大まかに説明すると渋谷と二子玉川を結び終点は溝の口、そして二子玉川から支線があり砧がもうひとつの終点であった

 

玉電を地下鉄化するにあたり、東急は住民に以前の電停の場所に駅を造ると調子のいいことを言って納得させ、あっさり裏切って駅の数を大幅に減らしてしまった。このあたりのやり口は、まさに強盗慶太の面目躍如と言えよう

 

 

そのおかげで、電停に依存していたいくつかの商店街が衰退して滅びてしまった

 

以前、大橋に住んでいる年上の知人が、子どもの頃の池尻は「池尻デパート」という百貨店があるぐらい栄えていたのに、駅が池尻大橋に統一されて駅から離れた池尻は、一気に寂れたと話していた

 

 

新玉川線沿線の付近には駅も何もない場所に店舗が残っている例を見かける。それはたいてい昔の玉電の名残である

 

 

ところで、新玉川線沿線といえば繁華街の二子玉川か三軒茶屋がまず脳裏に浮かぶと思うが、テキトーな順番という公約のとおり、最初は用事でもなければ地元民以外は降りることはない用賀付近からはじめる

 

といっても、用賀駅付近の賑やかな商店街ではなく国道246号線の裏手にある以前から気になっていた物件を見にゆくことにする

 

 

何故(なにゆえ)に駅前付近を無視するかというと……

 

用賀駅の傍らを矢倉沢往還の旧道が通っていて、かつては駅前の商店街を外れたあたりには

 

 

 

 

2015030816410000.jpg

(2015年撮影)

(2017年撮影)

 

用賀界隈では唯一の旧道の名残の戦前物件が残っていたが、数年前に解体されてしまったから駅の付近に立ち寄っても意味がないので、たまたま発見した廃墟物件に向かう

 

 

その物件は数年前に道に迷っていて、たまたま発見した廃墟だが、そのときは車だったので「あっ」と、思ったときには通過してしまい、よく見ることができなかった

 

なので、まだ残っているのか懸念しつつ、記憶を頼りに「たしかこっちだったよな……」と、そこに向かうと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よかった。まだ残っていた

 

というか、こんな状態で長年放置されているということは持ち主不明か、税金対策で放置しているのかのどちらかだと考えられる

 

 

 

 

 

 

 

 

木材が腐食してしまい、あちこちで下見板張りが剥がれて中身が見えてしまっているが、建築様式から昭和30年代頃の建物と見て間違いないだろう

 

隣家のミカンが、なんとなく侘しい風情を加味していて、かつてはここに、どんな生活があったのだろうか……と、しみじみ眺めてしまった

 

 

この場所から、今度は駒沢大学駅方面に向かう

 

というのは新玉川線の用賀駅には駅から離れたインターナショナル・スクールのあたりに「用賀中町通り」という商店街があり、そこにある古書店がまだ残っているのか知りたかったからだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その途中、真新しい建物ばかりが並んだ通りで簓子下見板張りの渋い平屋建ての住宅を発見した

 

こういった新しい建物が並んだ住宅街に、このような物件を見つけた場合、たいてい廃屋化しているが、こちらはしっかり現役のようだ

 

 

右手に廃屋を眺めながら用賀中町通り商店街に向かう……

 

が、かつて何度か古書を購入したことがある古書店は、跡形もなく消え失せていて(僕の大嫌いな)サイディングボード外壁の真新しい建て売り住宅になっていた

 

 

古書店は商店街の中心地にあるヨークマートの真ん前にあったので、場所を間違えていることはあり得ない。ついこないだ立ち寄った記憶が残っていたので、いつ頃解体されてしまったのか過去のストリートビューで確認してみると……

 

 

 

 

 

 

 

「からさわ書店」が取り壊されてしまったのは、2019年のことのようだ。僕の記憶では「ついこないだ」なのに、現実は5年も前のことで時の流れの早さに愕然とする

 

それにしても何故5年も前のことを、「ついこないだ」のように鮮明に記憶しているのかがよくわからない。下手すると3日前のことも忘れていたりするのに、人間の記憶というのは、まことに不思議なものだ

 

 

あのとき店頭の安売りコーナーにあった世田谷区の郷土史料を買っておけばよかった。と、後悔の念にとらわれたが時すでに遅し

 

 

そのすぐ先にちょっと好きだった看板建築があったので、撮影しようとそちらに向かったが、看板建築のあった場所にはファッキンなマンションがあるばかりで、看板建築は地上からきれいさっぱり姿を消していた

 

 

 

 

 

 

 

 

ビューからキャプチャしたこの看板建築があったあたりは、ほとんどワンブロックの町並みが消滅しており、入れ替わった無機質なマンションを見たら一気にやる気を削がれた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生の頃から知っていた古書店がなくなっていた精神的ダメージは、思っていたより大きかったようで、後ほど画像データを確認してみると商店街を撮影したカットは、メインストリートから外れた路地裏の2枚しかなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駒沢大学駅に向かう途中で発見したブリキ波板の集合体といった雰囲気の資材置場の、錆びた風情に惹かれて思わず撮影する

 

こんなものを見て「素晴らしい!」などと喜んでいるのは、僕のような物好きだけであろう

 

 

 

 

 

 

 

 

あー、この看板建築の風情もよいなあ。と、撮影していると通行人が怪訝な視線を僕に送る

 

まあ、これを見て何も感じないような鈍い感性のヤカラにどう思われようと痛くも痒くもないが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先に、建物自体はどうってことのない戦後のものだが、入り口の木製の引戸の窓に「村田ブリキ店」という金文字を見つけて反射的に撮影する

 

今どきブリキ店というのが激しく渋い。駅が近いせいか周囲にはコジャレかカフェなんかがあったりして、マックブックなどをいじりながらテラス席でカッコつけてるような俗物には、この素晴らしさは高尚すぎて理解不能だろう

 

 

 

 

 

 

 

 

たばこ・文房具・雑貨「横溝商店」というなんとなく古典的なイメージと1970年代といった雰囲気のポップなシャッターのイラストのギャップが素敵なので、こちらも無意識に撮影する

 

駒沢大学駅の近くには以前、ブロ友さんが一度入ったことがあると言っていた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おそらく昭和初期頃に建造された素晴らしい出桁造りの居酒屋があったが取り壊されてしまい、今はどうでもいい建物に建て替えられてしまった

 

ということで次回の記事は、順当にゆけば駒沢大学のひとつ渋谷寄りの世田谷区では下北沢に次ぐ繁華街の三軒茶屋ということになるのだが、シリーズ構成上の都合で三軒茶屋をクライマックスに持ってきたい

 

 

という個人的な都合で、次回は世田谷区をちょっと離れて品川区の外れと隣接する目黒区の外れの町を記事にする予定だ

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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