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🍚 ⑧駅から徒歩2分と陸の孤島の看板建築
さて今回の《東急沿線界隈ランダム散策》であるが、前回までは中目黒から祐天寺→学芸大学と東横線を中目黒から横浜の方角にすすんで来たわけだが、今回は広義では「東急沿線」と言えるが、正確には沿線から少し離れた場所に突入する
ーーが、その前に、ここで東京都およびその近郊にお住まいでない方には、駅名だけ言っても何のことやらサッパリわからないと思うので、東急東横線について軽く説明しておく。といっても歴史、つまり沿革や政治的背景は一切省いてどんな路線かという軽い説明である
東横線はネーミングからわかるように、「東京」と「横浜」を結ぶ私鉄路線で渋谷から横浜を結んでいる。以前は桜木町が終点だったが横浜から先が「みなとみらい線」になってしまったので、文字通り横浜が終点になったわけだ(といっても横浜行きという編成はないが)
今回は主として目黒、世田谷がテーマなので横浜市および川崎市の部分は省略して、都内の駅は……
渋谷→代官山→中目黒→祐天寺→学芸大学→都立大学→自由が丘→田園調布→多摩川と、この短い区間に全国区の駅名が5つも入っていて、こんな鉄道は日本で東急東横線しかないだろう
で、前回までは中目黒→祐天寺→学芸大学ときたわけだ
学芸大学には大した建物は残っていないと書いた。そして次の都立大学も残念ながらロクな建物が残っていないのだが、駅の東口を降りてメインストリートの並びにあるすぐに終わってしまう商店街に入ったとたんに……
この写真の奥、突き当たりを右に曲がったところが駅の改札口である。つまりこの写真は駅前から徒歩2分の場所から駅前方面を撮影したものだが、右側にある建物を見て観察力の鋭い方なら、もうお気づきだろう
そう、都立大学には、とくに見るべきものなど何もないと書いたが
たった1棟だけ、このような見事な銅板葺き看板建築が残っているのだ!
現在は不動産屋が入居しているが、僕が初めてこの建物を見た頃は、現役で営業している雑貨店で、比較的近年まで営業してた
この場所は駅前一等地なので廃業したあとは、例によって解体されてファッキンな商業ビルかマンションにされてしまうのだろう……
と、ガッカリしていたが、どうやらこの不動産屋は、珍しく建物の価値をわかっていたようで、とくに改装もせず建物を活かしてくれたから、このように銅板葺きのまま残ったわけだ
と、これで都立大学駅の項は終えて、祐天寺方面のほうに戻る
といっても、駅前付近や駒沢通り沿いといったわかりやすい場所ではなく、一応、いちばん近い駅が祐天寺というだけで、学芸大学、同じ東急の地下鉄、新玉川線の三軒茶屋と祐天寺の真ん中ぐらいの最寄駅などない場所である
どんな場所なのか地図で説明すると
今までの展開は、画面の右側を「↙️」の方向に通っている駒沢通り(デニーズとオオゼキ祐天寺店のある通り)を中心として紹介してきたわけだが、今度は商業地区のオレンジ色のない東横線の左側の区域の物件を紹介しよう
画面の真ん中の下あたりに「セブンイレブン五本木店」があるが、そこから左上「↖️」
方面に向かう道は、学芸大学駅の商店街が終わったあたりからはじまっている「五本木商店街」という商店街であった
「であった」と過去形なのは、この通りが商店街だったのは僕が高校生の頃までで、廃業が相次ぎ現在はすでに滅びてしまっているからだ
この滅びてしまった商店街から、さらに外れた住宅街のど真ん中、画面の真ん中あたりの「一丁目」という文字のあたりに……
どういうわけなのか、戦前物件の出桁造り商家がポツリと1棟だけ残っている
この建物に初めて気がついたのは高校生の頃で、当時の僕は、学校をサボってママチャリで毎日のように都内をうろうろしていたのだが、祐天寺から三軒茶屋に抜けようとしていて偶然発見した
その頃は、さほど古民家に興味など持っていなかったのだが、あまりの唐突さに驚いた記憶が残っている。なにせ、もっとも近い五本木商店街から離れた住宅街のど真ん中に、戦前物件があるのだから驚いたのも当然だろう
しかも、その頃は現役の精米店として営業していたのだからなおさらだ
この店が建造された当時、このあたりに住宅街があったとは思えずこのようなロケーションで商売が成立していた理由は、いまだに思い付かない
ところで目ざとい方なら、もうお気づきのことだと思うが、この出桁造りの精米店の隣には……
こんな豪邸のもじゃハウスが!
都内で、しかも目黒区内のこんな場所なら売り飛ばせば9桁近い金額だろうに、このように放置されているということは、持ち主不明物件なのか、あるいは更地にしてしまうと税金が大変だから放置しているのかのどちらかだろう
ところで、この出桁造り商家から少し南下した世田谷観音通りと下馬通りが交差しているあたりに、戦前から続く商店街があった。あったと過去形なのは、こちらも廃業が相次ぎ現在は商店街と呼べるほど店舗は残っていないからである
こちらも祐天寺駅、学芸大学駅のどちらから歩いても遠い遠隔地であるが、じつは学芸大学という駅の名前は、その場所にあった学芸大学に由来する
元々、東横線が開通した当時は「碑文谷」という駅名であったが青山師範学校が移転してきて「青山師範学校」になり、その後「学芸大学」に変わったわけだ。学芸大学は郊外に移転してしまったが、その場所には付属高校が現在も残っている
師範学校が出来たおかげで、その場所には戦前から商店街があり……
都内でも珍しい建物の角が落とされた多角形の銅板葺き看板建築が残っている
つい先年までは角の物件にテナントが残っていたが、どうやら廃業してしまったようで、ご覧のように完全に廃屋化してしまった
ところで、後ろにどうでもいいマンションの建設現場が写っているが、わざわざこんな構図にしてこの写真を撮ったのには理由がある。勘の鋭いひとなら、なんとなく察しがついていると思う
そう、現在このファッキンなマンションが建設されている場所には、ちょっと前まで入母屋屋根に銅板葺きのファサードを持つ「きそば 光月」という蕎麦屋が残っていて、戦前物件が向かい合う世田谷区では珍しい場所だったのだ
百年近い年月この場所にあった素晴らしい古民家を取り壊して、半世紀もすれば始末に負えない巨大資源ゴミと化すどうでもいいマンションにするなど、言語道断、狂気の沙汰としか言い様がない
うーん、素晴らしい! 僕の知るかぎり世田谷区に残っている銅板葺き看板建築は、これと三軒茶屋にある2棟しかないので、取り壊されてしまわないことを祈るばかりである
ということで、次回もこちらの看板建築を紹介したあと、この界隈に残っている古民家が無事かどうかたしかめるつもりだ
続く
†PIAS†
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