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🏢 ③看板建築の町並みと、もじゃマンション 

 

 

 

 

 

あちこち寄り道したのでブログ記事2回ぶんを費やして、駅から徒歩2分の「中目黒銀座商店街」にすら入っていないのだから、いかに僕のブログの進行速度が遅いか露呈してしまっているが、これは何か発見すると「おやっ」とか、「あれっ」とか思ってフラフラそちらに気を取られてしまうからだろう

 

 

しかし、実際はけっこうな速さで歩いているので、これは武術の達人が敵の攻撃がスローモーションに見えてしまうのと同質の作用が働いているのではなかろうか?

 

したがって、それを時系列で表記すると実際の時間とは乖離したスローモーな展開になるわけだ

 

 

 

という、どうでもいい話はともかく連載3回目にして、ようやく「目黒銀座商店街」に足を踏み入れる

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の記事の最後にも書いたように、この商店街は昭和中期頃の雰囲気とは、さほど変化していないような印象を受ける

 

しかし、それはあくまでも「印象」の話であって、上に掲載した写真を見るとわかるように、大きなマンションが町並みの統一性を破壊しており、通常、こういった場合は、町の雰囲気が台無しにされてしまうことが多い

 

 

では何故そうなっていないかと言えば、これはもう現役の店舗が大多数を占めているのが要因であることは間違いない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが埼玉県や千葉県の古い町だったら、廃業が相次ぎマンションや住宅に上書きされてしまい商店街が滅びの一途を辿ることだろう

 

ところが、中目黒という都心部に近い一等地ゆえに、昔ながらの商家の商売も成り立ち、また廃業して新しい建物に建て替えられても、そこにコジャレた店が入居する

 

 

要するに寂れてしまう一方の郊外とは異なり、店舗の新たな需要があるため入れ替わりはあっても「なくなって」しまったりしないからだと考えられる

 

この商家が再生するというサイクルは、同じ東京都でも下町方面にはあまり見られない現象で、そういった効果によって、賑やかな商店街が継続しているのだろう。これは立地や町のブランドイメージなどがあるからこそなせる技であろう

 

 

とはいえ白金高輪にあった商店街など、都心といってもよい場所でも滅びてしまう例もあるが、そもそも中目黒とは元の規模や立地に大きな差異があり、商店街にとってやはり駅というのは、欠かせない要素と言える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてもうひとつ「目黒銀座商店街」が特徴的なのは、商店街は道沿い「のみ」に展開しており、路地裏というものがほとんどなく通りを外れると、すぐに住宅街になってしまうことだ

 

上に掲載した写真はその例外的な物件で古着屋と、おそらく戦前物件を魔改造した住宅だが、これはあくまでも例外であって、シリーズの最初に紹介した駅前付近とその横道以外は、商店街に横の方向の展開はない

 

 

これは、この商店街、というより町が、東急東横線が開通してから出来上がった町であることに起因している

 

以前、東横線開通直後の風景写真を見たことがあるが、駅の周りにポツリポツリと建物があるだけで、あとは畑なのか荒れ地なのか判然としなかったが、何もない広々とした風景が広がっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが前回の古書店の話で書いた「杉野書店」である。よく見ると入り口の奥は古書の山で通せんぼされているので、これでは中に入ることができないことから、僕は目録営業していると判断した

 

もちろん反対側の通路も隙間なく古書が積み上げられていて、ひとが通れない

 

 

以前は、この少し先の向かい側にグループ店を展開していた「熊の木書店」という古書店があったが、ずいぶん以前になくなってしまった。このグループ店は、マニアックな雑誌のバックナンバーに強くよく通っていたが、代わりになる店がなくて困る

 

神保町に似たような店があるが、ジャンルの偏りがあり物量が圧倒的に少なく、しかもプレミア物にこだわっているため、あまり役に立たない。僕が求めているのは、そういったベタなプレミア物ではないからだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは「目黒銀座」というアーチの前にある2棟の看板建築

 

手焼きせんべい「雷神堂」は現役で営業しているが、シャッターのイラストが印象的なフジカラーの冠がつく「あらいカメラ店」は、とっくの昔に廃業しており、たしかついこの前に見たときはアンティークの店だった記憶がある

 

 

この元「あらいカメラ」の少し先に、さほど古い建物ではないが絶大なインパクトの物件があり、通るたびに呆気に取られて見上げてしまう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

看板建築の広さの間口しかない、この「もじゃマンション」である

 

周囲の状況から推理して、おそらくけっこう昔にここに建っていた看板建築が建て替えられてマンションになり、そのあと周囲の古い建物が根こそぎ地上げされて巨大マンションになり、結果として取り囲まれてしまったものと考えられる

 

 

ちなみに正面がブルーのネットで養生されているのは、工事中とか塗装中なのではなく、これから気温が上がってくると「もじゃ」が繁茂して窓を覆い尽くしてしまうため、そうさせないための工夫だろう

 

 

 

 

 

 

 

 

この「もじゃマンション」のテナントは、見てのとおり古着屋で、この商店街周辺だけで軽く10軒以上の古着屋があり、有名な古着YouTuberの店も2軒ある

 

僕がよく通っているのは、この界隈を古着の町にした大元の「ジャンティーク」で、開店当初から通っているが、ご存知のように現在、古着禁止令が発動中なので最近あまり行っていない

 

 

というのもこの店は、僕の「好み」の古着がよく入荷するからで、ひどいときは月に3回も購入してしまったことがある

 

Googleマップで、この店のピンをタップすると出てくる口コミは「驚くほど値段が高い」「店員が無口で態度が悪い」という批判と、それと完全に反対の意見に二分される

 

 

二分される理由は簡単でネガティブな意見を述べているのは、ほとんどが古着のシロウトだからである

 

貴重なヴィンテージは近年、どんな株よりも凄い勢いで高騰しており、たとえばリーバイスのセカンドというGジャンは、20年ぐらい前に僕は真っ紺色のものを4万円ほどで購入したが、今は30万円以下で売られている例を見たことがない

 

 

もっとも、レギュラー古着と一部のヴィンテージに関しては、下北沢の店などと比較すると明らかに高いが、それは購買層の違いと場所代だろう。僕は開店当初から通っているが店員に不快な態度をとられたことは一度もない

 

店の奥には特撰のヴィンテージを集めたコーナーがあるが昨年は、アメリカのディーラーから直接購入しても150万円は吹っかけられる1930年代のレザートグスという貴重なライダースジャケットが、わずか110万円で入荷して知り合いの古着屋が「オレは某ディーラーから150万で買ったのに……」と、呆然としていた

 

 

この場合、ヴィンテージに詳しい者ならば「えっ、レザートグスが、たったの110万円! どうしよう。借金しようかな」と、なるが、ヴィンテージ古着事情を知らない者がこの値段を見たら「頭おかしいんじゃないの?」とまったく別の感想を述べるだろう

 

この値付けは古着業界の長いオーナーのU氏の矜持と言ってよいだろう

 

 

そういえば僕がパラレスキュー・ジャケットを着て行ったらオーナーのU氏が、あとで店長に「こないだ凄いの着てる客を見た」と話していたそうで笑った

 

たしかに、そういったコレクターズアイテムを実際に着用して、あまつさえ普段着にしているやつは、あまり見たことがない

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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