🏠🏠🚉🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠

 

 

 

 

 

 

 

🚉 ②TDHの古民家と2棟残る戦前型の商家 

 

 

 

 

 

王子駅を降りて飛鳥山の坂道を登り本郷通りに出ると、都電が一般道路を走る唯一の地点として、鉄道マニアのみならず一般的によく知られた場所に出る

 

今回の散策の最初の目的である、その通りに残っている出桁造り商家と煉瓦の土蔵を撮影したあとは、歩道橋をわたって都電荒川線の飛鳥山電停を掠め滝野川一丁目電停方面に向かった

 

 

都電に沿った猫の通路のような細い道をしばらくすすむと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

踏切があり、そこを左に曲がると前シリーズで散策した「しもふり銀座」から続く長い商店街の外れに出るが、そちらにはゆかず反対の右方向に向かう

 

右手には首都高速中央環状線が覆いかぶさられた明治通りがあり、そこから分岐した道が西ヶ原四丁目方面に伸びている

 

 

これを地図で見ると……

 

 

 

 

 

 

 

 

真ん中を右上から左下に横切っている町を完全に分断している道路が明治通りと、それに覆いかぶさっている首都高速中央環状線である

 

現在、僕のいる場所は都電荒川線の「飛鳥山」の左下「浅野ハイツ」という文字の下の踏切の左側で、これから向かうのは、その左側にある明治通りから分岐している、やや広い道路の方向だ

 

 

明治通りの向こう側の「セブンイレブン滝野川2丁目店」から左上に向かって二又があるが、その左側の道が前シリーズで発見した終わった雰囲気の「馬場商店街」である

 

明治時代に明治通りが敷設された頃は、これから向かう道と馬場商店街は、ひと繋がりの商業地区になっていて大いに栄えていたのではないかと推測している

 

 

 

 

 

 

 

 

その道に入るとすぐに、一目で戦前からあるとわかる立派な門と板塀で囲われた屋敷が目に入ってくる

 

その屋敷を右手に見つつ西ヶ原四丁目方面に向かうと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たった今見た立派な屋敷よりも、さらにひと回り大きな屋敷があり、こちらには入母屋屋根の主屋が残されている……が、壁の端のほうに「TDH」という謎の記号が記されている

 

この「TDH」というのは、地図にある「東京歯科衛生専門学校」のことだ。この屋敷はその学校が買い取って保存している物件で、特別な授業やイベントなどで使用しているそうだ

 

 

いずれにせよ、相続などで持ち主が売却して消えてしまう古い住宅が多いなか、このように残ったことは大変嬉ばしい

 

 

しかし、目的地は当然、東京歯科衛生専門学校ではなく、その学校の向かい側に残っている物件である

 

 

 

 

 

 

 

 

長々と続く塀の向こう側には、戦前物件だと思われる廃業して住居仕様に改装された看板建築が目に入る

 

 

この塀の向こう側を左右に横切っている道路は、江戸時代から続いている古道と思われ、その通り沿いには戦前から建物が並んでいたものと考えられる

 

というのは、この看板建築と路地を挟んだ向かい側には

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木造二階建て簓子下見板張りの平入切妻の元商家と、同じく木造二階建て簓子下見板張りの入母屋屋根の古民家が並んで残っているからだ

 

 

この2棟は、6年ほど前に「TDH」の古民家が気になったので、なんとなく裏手に回ったら発見した物件である

 

看板建築と考え合わせ、さらに、ここから明治通り方面に向かったところには床屋が残っていることから、戦前はこの細い道が商店街だったであろうことが類推できる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

向かって左側の平入切妻の建物には、シャッターがあるので間違いなく元は商家の建物だが、右側の入母屋のほうは、全面格子戸という仕様なので、おそらく料理屋だったのではなかろうか?

 

この他には、正面に見えていた住居仕様に改装された看板建築と床屋しか残っておらず、あとは建て売り住宅やマンションに建て替えられている

 

 

 

 

 

 

 

 

格子戸の半分は雨戸が閉ざされ、その前には戦前のものと思われる防火水槽が置かれていた

 

格子戸の上の梁は一枚板という非常に贅沢な造りで、行灯のようなデザインの玄関灯があることから、元は高級な料理屋だったような造りだ

 

 

不思議なのは建物のにある妙に奥行きのない部分で、横から見ると

 

 

 

 

 

 

 

 

このように2階の窓の下の部分が空間になっていて、そこがネットで塞がれていることであろう

 

この部分は正面から見ても竹垣を模した塩ビかポリ系のもので蓋がされていることから、酒瓶などを入れたケースを収納していたのではないか?

 

このことから僕は、元は酒屋と推理したが果たして真相やいかに

 

 

 

しかし、その周囲にあるのは新しい建物がほとんどで……

 

 

 

 

 

 

 

 

今までの記事で紹介した立派な門構えの古民家が2棟、看板建築が1棟、そして伝統建築の元は商家だったと思われる建物が2棟残るだけで、明治通り沿いには巨大なマンションが町を圧迫するように聳えていた

 

この状況は7年ほど前に散策したときと、さほど変わっていない。そして広い道路沿いに、もう1棟の古い建物があった記憶があるから、その建物に向かった

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🚉🏠🏠