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👖 ⑩初めて気付いた厨子二階建て出桁造り商家 

 

 

前回の記事で触れた向かい合った渋い2棟の平屋建ての建物は、ストリートビューの映像には残っているので、解体されてしまったのはごく最近のことだと思われる

 

その片方は、キッコーブンザンの石橋醤油店と同じく方形屋根を模した房総スタイルだったのが気にかかるが、とりあえず新丸子駅方面に向かうと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな「変形凸型看板建築」が見えてくる

 

新丸子~武蔵小杉編の冒頭で記したように、僕の祖父はこの近くに住居兼仕事場を構えていたので、この道は何度も通ったことがあり、この物件も子ども心に「変な建物だなあ」

 

と、興味深く見ていた記憶が残っている。しかしその当時すでに廃業しており、どのような業種の店なのかはよくわからない

 

 

建物の形状に注目すると看板建築にしては、やけに入り口が狭いことから、おそらくクリーニング店とか洋裁店のような商品を陳列する必要のない商売だったのだろう

 

この変形凸型看板建築のある路地を、医大方面に向かって歩くと、僕が子どもの頃は左手に倉庫のような素っ気ない外観のマーケットがあったが、当ブログで初めて新丸子を散策した十年前の段階で、すでに跡形もなく消えてマンションになっていた

 

 

マーケットはもう存在していないが、この先にすすむと新丸子西口の本通り商店街に出るので、なんとなくそちらに向かうと……

 

 

 

 

 

 

 

 

ムムム、なんか古そうな建物があるんだけど……

 

「あれっ、おかしいな。この道は子どもの頃何十回も通っているのに、こんな物件を見た記憶はまったくないぞ」と、狐につままれたような気分で建物の正面に回ってみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

これには心底驚いた。ええっ、そんな馬鹿な。なんと出桁造りの元商家ではないか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかも向かって左側の横の部分を見ると屋根の下のところに窓があることから、どうやら厨子二階建ての構造になっているようだ

 

大袈裟でなく、この道は何十回も通っているのに、こんな建物があったとは、今回の散策で初めて気付いた

 

 

子どもの頃のみならず成人してから何度も通っていたのに、この建物に気付かなかったのは、現在と違ってさほど古民家には興味がないため目に入っているのに、認識していなかったのだろう

 

それにしても、商店街を外れたこんな路地裏に出桁造りの建物が残っているとは新丸子侮りがたし

 

 

驚愕を隠せないまま、なんとなく玄関周りを観察していると、郵便受けの横に真っ赤に錆びついた「サンコー堂」という文字が記された看板のようなものが目に入った

 

 

これは、この店の屋号ではなく医大通り商店街の外れにあった「ジーンズ サンコー堂」に間違いなかろう

 

建物の古さとジーンズというのが時代的に合わないが、おそらくジーンズショップになる以前は、サンコー堂という洋品店だったのではなかろうか

 

 

何故そんなことを覚えているかというと、小学校高学年の頃、そのサンコー堂で祖父にビッグジョンのジーンズを買ってもらったことがあったからだ。もちろん現在その店はすでに存在していない

 

 

新丸子西口本通り商店街を歩いたが、とくに興味を惹くようなものはなく昔は戦後型看板建築が並んでいた通りは、面白味の欠片もないマンションばかり目についたので、中原街道に戻る

 

ちなみに昭和中期頃までは商店街のすぐ脇に、女優・鰐渕晴子の住居の洋館があったが、現在はどうでもいいマンションになっている

 

 

 

 

 

 

 

 

新丸子駅の西口を降りて中原街道に出たあたりに、こんな物件が残っているが、残念なことに物件の前の一部分が駐車場にされていて、全景を見ることができない

 

古民家に関心のある方なら、この端っこの部分を見ただけでなんとなくタダ者ではないとわかると思うが……

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、こちらは個人の住宅としては、初めて市の重要歴史的建造物に指定された小杉村の名主だった安藤家の長屋門があるのだ

 

 

こちらも幼い頃から何度も前を通っていたのに、存在を知ったのは大人になってからで、祖父の家に遊びに行っていた頃、古民家に興味があれば昔の姿を見ることができたのに残念だ

 

もっとも、小学生が「おおっ、この長屋門は出桁造りに武者窓があって立派だなあ」なんて悦に入っていたら、かなり気持ち悪いが

 

 

 

 

 

 

 

 

門へのアプローチは松の木などが植えられており、なかなかよい雰囲気だが、中原街道から引っ込んでいて、なおかつ門の左右の土地は駐車場や住宅が建っているため全景が見られないのが珠に傷である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この屋敷は近隣の名主を統括していた割本名主だった安藤家に、代官の娘が嫁いだとき代官屋敷の裏門を移築したという伝承があるそうだ

 

当時は同じ階層の物が縁戚関係を結ぶのが当たり前だったので、いかにもありそうな話である

 

 

この安藤家のすぐ先にも肥料で財を成した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有形文化財の原家薬医門が残っている。しかし残念ながら門のなかには主屋は存在せず、近代的なマンションが建っている。つまり、この門はモニュメントとして保存されているわけだ

 

僕が子どもの頃は向かって左手奥に土蔵もあったが、そちらも解体されて扉だけが、やはりマンションのモニュメントとして残されているそうだ

 

 

では肝心の主屋はどうなったのかというと……

 

 

 

 

 

 

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こちらは向ヶ丘遊園にある日本民家園に移築保存されている

 

この写真は11年ほど前に民家園に行ったときに撮影したものだが、神社仏閣並みに豪勢な造りに度肝を抜かれた。説明板を読んだら建造するのに、なんと22年の歳月を費やしたそうだからとんでもない

 

 

これだけの立派な建物は明治時代という、建てるための建材と、それを活かす腕を持った大工がいてこそなし得た建造物で、まさに日本の宝。取り壊されてしまわなくて何よりである

 

ということで次回は新丸子駅付近を散策する

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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