🏠🏠✈️🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠

 

 

 

 

 

 

 

✈️ ⑤塞がれてしまった防空壕と久本薬医門公園 

 

 

 

 

 

前回の記事にて紹介した闇市の匂いを色濃く残した「溝の口西口商店街」は線路沿いにあり、すぐ脇を矢倉沢往還(大山街道)が通っているので南武線の踏切がある

 

踏切を越えると街道はかなり急な坂道になっていて、つまり二子溝口宿の町並みは、そこで終わっていたわけだ

 

 

その坂を以前、ママチャリで登ったことがあるが、おそらく僕のように人並み外れた脚力がないと、登りきることは出来ないであろう急な坂であった。頼まれても二度と登りたくない

 

昭和初期に書かれた紀行文を読むと、その坂を登りきって溝の口とは反対側(宮崎台方面)を臨むと一面の麦畑が広がっていたそうで、つまり高所のため水田には適さない土地だということだ

 

 

 

 

 

 

 

 

この地図でいうと画面左上の「ツクバビル」という文字の下の平仮名の「し」を横に倒したような細い道が溝の口西口商店街である

 

そこから踏切をわたり左に曲がると溝の口駅の南口に出るが、駅のこちら側は、駅前バスロータリーの前にいきなり低い山があるため商業地区としては山の麓を横切る通り沿いに店があるだけで、商店街というほどの規模はない

 

 

以前は、駅前付近にごちゃごちゃした飲食街のようなものが多少はあったが、区画整理事業により消えてなくなってしまった

 

駅前バスロータリーから川崎市民プラザ方面に向かう道筋(県道14号線)は、古くは鎌倉街道の一部であり、中原往還と矢倉沢往還を結ぶ道筋の古道であり、したがって古くから集落が存在していた

 

 

駅前ロータリーからその道筋をすすむと……

 

 

 

 

 

 

 

 

前述の駅前に聳える低い山の崖に、こんな防空壕が残っている……と、撮影しに行ったら、いつの間にか金網でふさがれてしまっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

たしか去年の年末に見たときは、このように歩道に面しているのにも関わらず、こんなに開けっ広げに残されていたのに、野暮なことをするヤツもいたものだ

 

この駅前の低い山は、現在はびっしりとマンションや住宅が建っているが、昔はそうでもなかったようで

 

 

 

 

 

 

 

 

このように山に入ってゆく階段が、あちこちに残っているのに、いずれも封鎖されていたり、あるいはこの駅前にある階段のように、藪に覆われて自然に入れなくなっていた

 

僕が小学生ならば、間違いなく入っていって探検するだろうけど、今どきの子どもは外を駆け回ったりしないのか、誰かが登る姿は一度も見たことがない

 

 

話を先ほどの地図に戻して、その道筋の少し先に「久本薬医門公園」と、緑色で記されているが、ここにはかつて岡家という医療や地域の発展のために尽くした人物の屋敷があり、その跡地が公園として整備されている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地図に「馬坂」と記された坂道のある路地(タイトルバック写真)には薬医門と板塀が残っている

 

この馬坂は、中原往還から矢倉沢往還に向かうひとの近道として利用されていたそうだが、一度ためしに登ったことがあるが、舗装路のない時代には、かなりの難所だったことが想像できた

 

 

 

 

 

 

 

 

残念ながら屋敷は残されておらず公園内には土蔵が1棟ポツリと残っているだけで、出来れば屋敷ごと残してほしかったものだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

説明板に添付されていた写真を見ると薬医門の奥には、巨大な茅葺き屋根の屋敷が見えており、畑の向こう側の集落の上に多摩川が白く光っている

 

この岡家薬医門から山の麓沿いをすすむと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前はこんなフォトジェニックな古民家が残っていたが、今回この場所に出向くと跡形もなく消滅しており、毒にも薬にもならないツマラナイ新建材の住宅になっていた

 

ちなみにこの山裾沿いに谷戸というには急峻すぎる崖地を回りこむと久本横穴墓群という古墳があるが、崖が急峻すぎて崩落の危険があるためコンクリートでふさがれている

 

 

 

 

 

 

 

 

そのすぐ先にも駅前にあったものと似たような低い山に登るための階段があったが、こちらも完全に封鎖されてしまっていた

 

岡家のある路地から県道14号線に出ると少し先の左側に洗足学園という音楽に特化した高校・大学があるが、その向かい側に……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仲道酒店」という入母屋屋根の渋い酒屋が残っている

 

営業している姿は十年ぐらい前から見た記憶がないので、おそらく現在は自販機のみの営業だと思われる

 

しかし、周囲はいつもきれいなので、住居としては現役なのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

近ごろはあまり見かけなくなった大きく酒瓶が描かれた看板を残しているのは、商品自体は自販機で購入できるので「ギリギリ現役やぞ」という主張だろうか?

 

この通りは多摩丘陵のとば口とでも言うべき低い丘陵沿いを延々と続くが、その丘陵沿いを、かつて二ヶ領用水の支流が流れていて通りと用水路のわずかな隙間(家1軒ぶん)にも家並みが続いていた

 

 

その家並みは洗足学園の前の部分にだけ店舗が並んでいて、以前は学生向けのコジャレたカフェや古着屋まであった

 

 

6~7年ぐらい前までは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな激渋な看板建築の長屋が残っていたが、いつの間にか取り壊されて、更地のまま現在も放置されている

 

この建物の並びには、ほぼ同様のディメンションのアパートもあったが、そちらも更地にされ、やけに何もない空間がしばらく続いている

 

 

おそらくそれは道路拡幅工事のためであろうが、何度も書いているが、もう首都圏に新しい広い道路なんて必要ない。むしろ車のナンバー末尾で通行を規制するなど、海外では当たり前になっている根本的解決を目指すべきことは明白だ

 

そんな単純なことも出来ないのは、裏金脱税議員が跋扈しているのに、そんなクズを許容している政党に、相も変わらず投票する頭のカラッポな愚民がいまだに多数存在しているからだろう

 

 

というどうでもいい話はともかく、この先の交番のところには牛丼の「すき家」があるが、そのあたりも十年ちょっと前ぐらいまでは古い銭湯を中心とした商店街になっていたが、銭湯は跡形もなく取り壊されてしまい、現在は半分以下の規模になってしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらがその銭湯と入り口にあった看板建築などを中心とした商店街である

 

銭湯の真ん前には二ヶ領用水の支流が流れていて、まだ通水していた頃は、小さな橋をわたって風呂に入るという贅沢が味わえたわけだ(僕は入ったことないけど)

 

 

昨年、銭湯もこの町並みも跡形もなく取り壊されて更地にされてしまった。跡地に何か有意義なものでも出来るのならともかく、そこに建つのはどうせクダラナイ建て売り住宅やマンションなのだから、まったく救いようがない話だ

 

 

しかし、この通りには、それ以外にも特筆すべきことがひとつある

 

それが何かというと何故かこの通りの周囲には、おそらく明治時代に建造されたものと思われる茅葺きトタン張りの古民家がまとまって残っているのだ

 

 

ということで次回は、それらの古民家を紹介しよう。続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠✈️🏠🏠