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🏮 ④田中屋、灰吹屋、稲毛屋、老舗の矜持・2 

 

 

 

 

 

前回の記事は、たった3つの物件を紹介しただけで終わってしまったが、今回も似たようなもので、タイトルにある「灰吹屋」「稲毛屋」「田中屋」の紹介だけで終わる予定だ

 

なんといっても、かつての矢倉沢往還(大山街道)の面影を残す建物は、もうこの3軒しか残っていないのだから

 

 

ところで「灰吹屋」の隣にある秤屋から茶舗になったほうの「田中屋」には、まったく触れていないが、こっちの「田中屋」は、まだ現役で営業しているが、ビルになってしまい、奥のほうに土蔵が残っているだけで絵にならないという理由だ

 

もし、こちらの「田中屋」も……

 

 

 

 

 

 

 

 

このような昔の姿で残っていたら、30~40枚は撮影したであろうに残念でならない。樹木の後ろ、画面の左端にチラッと写っている屋根は、前回の記事で紹介した「灰吹屋」だろう

 

もっとも、この街道筋に関しては残念なことばかりで、よかったことなど何もないが

 

 

 

 

 

 

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こちらはまだ「灰吹屋」に看板建築の店舗が残っていた2014年に撮影した写真である

 

この時点では「灰吹屋」の向かい側にあるのは、面白味の欠片もないビルになっていたが、以前は出桁造り商家と、提灯や法被がディスプレイされたやけに目立つお祭りグッズの専門店があった

 

 

今にして思えば写真を撮っておけばよかったと思わないでもないが、まだブログをはじめていなかったので、撮影する理由もなく「ユニークな店だなあ」と、ただ眺めながら通り過ぎるだけであった

 

 

 

 

 

 

 

 

念のため過去のストリートビューを見てみると、やはり営業している姿は確認できなかったが、いちばん古い2009年のものに出桁造りの建物の姿だけは、かろうじて残されていた

 

ちなみに、次のビューではすでに跡形もなく消え去っており、くっそツマラナイ建物に替わっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

という今までの文は前振りで、ここからが本題

 

上の写真は、先日の取材撮影した二ヶ領用水から矢倉沢往還を見た構図で、左岸(画面右)には宿場町の町割りのままの平屋建ての看板建築があるが、すでに廃業してしまっているようだ

 

 

この平屋建ての看板建築とは用水路の反対側には、かつての宿場町の雰囲気をもっとも感じさせる風景が残っていて、ここをとおるといつも見とれていた

 

 

 

 

 

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そう、今はマンションが建っている大石橋の袂には、このような土蔵が残されていて、後方の野暮なマンションさえなければ、橋の欄干、風にそよぐ柳の葉、その後ろには土蔵……

 

という、風情の欠片もなくなった矢倉沢往還で唯一の街道らしい風景を見ることができたのだ

 

 

 

 

 

 

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こちらが二ヶ領用水に架かる落合橋である

 

橋の脇には明治時代のはじめに創業された稲毛屋という金物屋があり、店舗は冴えないビルと看板建築にされてしまっていたが、用水路の畔に土蔵がある風景には、ずいぶん癒されたものだ

 

ところが、ある日とおりかかると……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土蔵以外の建物は、すべて取り壊されていて愕然とした

 

ああ、これで矢倉沢往還の面影というのは完全に消えて、どこにでもあるツマラナイ町並みになってしまうのか……と、ずいぶん気落ちしたものだ

 

 

そして、予想どおり店舗を取り壊した跡地には、半世紀もすれば老朽化して始末に負えない巨大な粗大ゴミと化すマンションになっていた

 

こんな環境破壊以外の何物でもないくそみたいな建物を野放しにしておいて、サステイナブルとは聞いて呆れるぜファッキン!

 

 

と、怒りが込み上げたけれど……ただひとつ、こちらの予想を斜め上のほうに裏切ったのは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのマンションの裏側に、くだんの土蔵が曳き家されて、ひっそりと残されていたことだろう(ちなみに、Googleマップにもピンが打ってある)

 

町並みはガタガタになってしまったが、灰吹屋と稲毛屋は老舗の矜持を失っていなかったのだ。と、少し感動した

 

 

稲毛屋の向かい側の二ヶ領用の支流沿いの路地には、僕が小学生の頃までは、稲毛屋の本家である名主・上田家の長屋門が残っていたようだが、ずいぶん前に取り壊されてしまったので見た記憶はない

 

 

 

 

 

 

 

 

これがその自由民権運動にも関わる上田家長屋門である

 

しかしその当時、同級生がこの長屋門のある通りの少し先に引っ越したので、一度遊びに行ったことがあるから、確実に目にしているはずなのだが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが土蔵と2階の格子が美しい出桁造り商家だった頃の稲毛屋を撮影した半世紀以上も昔の写真である

 

 

「稲毛屋」の奥にも同じぐらい立派な出桁造り商家が見えるが、この建物を見た記憶はまったくないので、僕が物心つく頃には取り壊されていたのだろう

 

それにしても、手前には平屋建て看板建築が確認できるが、僕の大好物の「凸型看板建築」だったのが興味深い

 

 

そして1枚目の写真の奥に、三角屋根の洋風建築が見えているのが気になるので調べると

 

 

 

 

 

 

 

 

この木造二階建て下見板張りの洋館は旧高津警察分署の建物だと判明した。おいおい、こんな素晴らしい建物を壊して、あんなツマラナイ建物にしちゃったのかよファッキン!

 

どうやら警察分署のあとは郵便局、役所の施設として使用されたが結局取り壊されたそうだ

 

 

これらの素晴らしい建物たちが、そのままの姿で残っていたらどんなに素敵な町並みだったことか。というか、都心部からすぐの古い町並みとして川越のように観光客を誘致できただろう

 

 

ということで、次回も溝の口の続きだが、レトロ物件マニアには超有名物件が登場する

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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