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🍺 ④闇市の最後の残滓・溝の口西口商店街 

 

 

 

 

 

かつての矢倉沢往還(大山街道)を外れて溝の口駅前に向かう

 

溝の口は東急の駅名で連絡通路で繋がっているJRのほうは、武蔵溝ノ口と違う駅名になっているのは、小田急の町田とJRが原町田の関係に似ている

 

 

あっちのほうは現在町田に 統一されているので、こっちも統一すればよいのに、と、思わないでもないが「溝の口」で意味が通じてしまう現状を鑑みると駅名にやたらと「武蔵」をつけたがるJRは、国鉄から民営化されてもお役所意識が強いのかもしれない

 

幸いにして武蔵小杉は最初から「武蔵」がついているので、東急、JR共に武蔵小杉と同じで、むしろ戦前の東急は「グランド前」という駅名であった

 

 

という、どうでもいい話題はともかく溝の口の駅前は武蔵小杉と並び川崎市中部の中核都市なので、徹底的に再開発されてしまっており、昔の姿を偲ぶものはほとんど残されていない

 

 

駅前の繁華街付近で、なんとなく溝の口らしい風景といえば、タイトルバック写真のスーパーの「十字屋」付近ぐらいであろう。けっこう安いので以前はよく利用していた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前は、昭和っぽい店がわりと並んでいたガード下付近も平屋建て看板建築の洋品店と、隣の戦後型看板建築以外、ほとんどなくなってしまった

 

 

一部の取り壊されてしまった古い建物の跡地は更地のまま残されており、こんな一等地に新しい建物が建たないのが不可解だが、大規模再開発の伏線、もしくはこの付近を二ヶ領用水の支流が通っていたので、もしかしたらその関係かもしれない*

 

(* 公図に水路敷とある場所には建造物が建てられない)

 

もっとも武蔵小杉のように、そんなものはシカトしてタワーマンションを林立させた挙げ句、台風で水浸しになっている頭の悪い例もあるが

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、ペデストリアンデッキなどが出来る以前、東急田園都市線と南武線のあいだにあった「ヤストモ百貨店」である。ヤストモは「靖国神社友の会」を略した法人組織だったようだ

 

この「ヤストモ百貨店」は、後年、もう少しきれいな建物になり雨の日などは傘をささずに乗り換えが出来たので、僕も利用、というか通り抜けた記憶があり、入居していた文教堂書店で雑誌を買ったりしていた

 

 

やがて、そんなごちゃごちゃとした駅前も区画整理されてヤストモはなくなり、ノクティという商業ビルが建てられペデストリアンデッキも出来て、まるで都会のような風景に変わった

 

しかし、そのペデストリアンデッキから東急ストアーのあるビルの裏側に出ると……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこには闇市の面影を残した「溝の口南口商店街」という、レトロ系のブログやインスタでお馴染みのディープな一角が残されている

 

現在、この写真の左側は植え込みにされているが、かつてはそちら側にもバラック建築の店がズラリと並んでいた。しかし、火事になったのをきっかけにすべて取り払われてしまった

 

 

というのは、左側には二ヶ領用水の支流が流れていて、バラック群は戦後のドサクサ紛れに、その暗渠の上を不法占拠したものであったからだ

 

しかし不法占拠とはいえ、そこで何十年も営業していたため既得権があり、立ち退かせることもできず長年放置されていたものを、立ち退かせようと手ぐすね引いて待っていた自治体が、火事を口実にすべて取り壊してしまったというわけだ

 

 

この一角は、とくに「売り」のない溝の口では、数少ない全国区の物件だっただけに、いくら法律に反するといってもそれを潰してしまうのだから、お役所というのがいかに融通の利かない硬直した組織なのかがよくわかる

 

実情に即していない法律なんぞは変えてしまえばよいのだ。僕が県知事だったら特例の県条例をでっち上げてでも残しただろう。目に見えない価値、つまり文化を理解できないのは野蛮人である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再び不法占拠されないようにフェンスで囲われたおかげで、闇市の風情は激減してしまったが、それでも半分は以前のまま残っており、夕方から夜にかけては、かなりの賑わいを見せる

 

今回この南口商店街の写真を撮影したのは、飲み屋が盛り上がるより以前の時間帯で、まだ開店準備中の店もあったが、開いている店にはすでに客が群がっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和菓子の「玉川堂」は、最近開いているのを見たことがないので、廃業してしまったのだろう

 

現在は飲み屋などの飲食店がほとんどであるが、以前は惣菜が美味い肉屋、洋品店とか薬局とかいろいろな店があった記憶かある。そういえば、やたらと盛りのいい立ち食いそば屋もあったな

 

 

下の写真は二又に分かれている場所にある八百屋を写したものだが、僕の立ち位置の右後ろには、つい最近まで古書店があったが、こちらも最近訪れたときは、いずれも閉まっていて廃業したのかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

八百屋の二又を駅から見て右側に曲がった道筋が二ヶ領用水の支流の流路だが、こちらの商店街アーケードを抜けた先にも飲み屋街は続いている

 

一方、二又を左にゆくと八百屋の隣には、いつも混雑している立ち食いの串焼き屋「串焼 いろは」でアーケードが終わっている

 

 

その出口は、いかにもバラック建築といった絵が撮れるので、インスタやブログでは定番の撮影スポットになっている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在は使用されていない2階に登る階段と錆びついた波板の壁面、窓ガラスの割れた入り口のドアなどフォトジェニックなアイテム満載で、誰もが思わず撮影したくなるだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

線路の反対側から見ると無味乾燥として無個性な町並みに、どんどん上書きされつつある溝の口でも、ここだけ一種異様な雰囲気で戦後が残っている風景は、知らないひとが南武線の車窓から見たら思わずギョッとするだろう

 

 

 

ところで今回、取材したのは昼間なので、この一角がまだ半分眠っているような雰囲気だったので、以前撮影した夜の写真を貼っておく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはりこの商店街(というか今は飲み屋街といったほうが実情に近いが)は、帰宅するサラリーマンが多い時間帯が、いちばん“らしく”見える

 

かと思うと大学生風のカップルがいたり、塾帰りの小学生が自転車でとおり過ぎたりと、闇市的な外観を裏切ってけっこう健全な雰囲気だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サラリーマンのグループが、まさに二ヶ領用水の暗渠の上にあるテーブルで飲んでいると、そこに残業を終えた同じ会社のOLがとおりかかって声をかけ、その横を小学生がママチャリで走り抜ける

 

などという光景は、ここでは日常で、駅への近道として利用するひとも多い

 

 

ということで、今回の記事はほぼ「溝の口西口商店街」の紹介で終わる

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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