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♎ ②田中屋、灰吹屋、稲毛屋、老舗の矜持・1 

 

 

 

 

 

前回の記事の最後は思わせ振りに終わったが、演出でもなんでもなく単に写真がやたらと多くなったからで、とくに深い理由はない

(というか、今回のシリーズは建物がロストの場合、過去に撮影した写真で補うので、写真多めになる)

 

 

だが、高津図書館の入り口の隣にある廃業した平屋建ての看板建築の隣にある物件は、思わせ振りにした価値のある物件であることは間違いない

 

というのも、その物件は、もはや壊滅状態と言っても過言ではない二子溝口宿のかつての面影を偲ばせる数少ない建物なのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それがこの典型的な武州スタイルの「田中屋」である

 

この建物は、ほんのひと昔前までは現役で営業していたので、当然その姿は何度も見ているのだが、洋品店だったような記憶がぼんやりと残るだけでハッキリとしたことは覚えていない

 

 

おそらく僕にはまったく用事のない店だったことは確実で、昔の写真を見てみると……

 

 

 

 

 

 

 

 


屋号は「タナカヤ呉服店」とある

 

古写真だと隣に妻入の古い商家や、向かい側にも2棟の古い商家があるが、僕が物心ついた頃には隣と「高津ホテル」の看板の後ろの出桁造り商家はすでに見当たらず、これらの建物を見た記憶はまったくない

 

 

と、思っていたのだが「高津ホテル」の看板の後ろにある建物は、じつは街道に面した部分には、材木屋の材木置き場があったので、見ていたのに「認識していなかった」ことが判明した

 

 

 

 

 

 

 

こちらが半世紀前に撮影された「タナカヤ呉服店」の写真だが、呉服というより婦人物の洋服がディスプレイされている

 

 

 

 

 

 

 

 

そして2009年のストリートビューには、まだ営業していた頃の映像が残されていたが、驚いたことに半世紀前に撮影された写真とほとんど変わっていない

 

婦人服に力を入れていたようで、半世紀経ってもショーウィンドウには婦人服がディスプレイされている。これを覚えていたので洋品店だと思っていたらしい

 

 

隣には武州には珍しい家具店らしき妻入の商家が写っているが、更地だった風景しか記憶に残っておらず、おそらくかなり以前に解体されてしまったのだろう

 

 

「タナカヤ呉服店」もずいぶん以前から生活感はまったくないので、無住のまま放置されているようだが、自治体が買い取って何らかの施設として活かす……などという粋なことは、野暮な川崎市には望むべくもないだろう

 

ちなみに溝の口には「田中屋」が多く隣にチラッと見えているやけにオレンジ色が目立つ建物も写真館の「タナカヤ」。そして、府中街道との交差点にある老舗の茶舗も田中屋である

 

 

この先で矢倉沢往還は府中街道(川崎街道、かつての八王子道)と交差しているが、そのあたりが宿場町の中心地だったようで、前述した薬種屋の灰吹屋など江戸時代から続く店も数軒残っている

 

そして、そんな老舗ではなくとも戦前物件の出桁造り商家なども残っていた。「いた」と過去形なのは、この数年で相次いで取り壊されてしまい、どうでもいいマンションなどにされてしまったからだ

 

 

 

 

 

 

 

 

唯一、残っているこの出桁造り商家も看板は外され、廃業した店舗に特有のガラス戸のなかは白いカーテンという、残念な状態になってしまったので、取り壊されてしまうのは時間の問題だろう


 

 

 

 

 

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これは2013年に撮影したこの建物の並びの風景である

 

このように現役の八百屋として営業しており、隣にも出桁造り商家があって、その先には看板建築のバイク屋もあったが、今はもう跡形もなくなりツマラナイ建物に建て替えられてしまった

 

 

ところで僕が撮影した写真の八百屋の左にある出桁造り商家の間口が、やけに狭いことに気がついただろうか?

 

そう、読者諸賢もお気づきのとおり左側の建物は、もう首都圏では定番化している……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶった切られ物件」で、二軒長屋の向かって左にあった花屋の部分が、あろうことかぶった切られてしまったのだ

 

こちらは例によって過去のストリートビューからキャプチャした

 

 

そして、もちろん何か有意義な物に建て替わったわけではなく、どうでもいいマンションが、またひとつ増えるだけ。といった不毛なことになっている

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは2021年に撮影した営業中の同店。なんとも素晴らしい風情ではないか

 

この八百屋は昨年末にも営業してる姿を見たような記憶があるので、廃業していたとしたらごく最近のことであろう

 

 

府中街道をわたったすぐ先には、江戸時代の宿場町には珍しい秤の専門店から茶舗になった「田中屋」と前述の「灰吹屋」が残っているが……

 

 

 

 

 

 

 

 

土蔵造りの灰吹屋は、何年も前からすでに店舗としては営業しておらず、よい雰囲気にヤレていた壁は、なぜか真っ白に塗られていた

 

 

 

 

 

 

 

 

並びにあった看板建築の店舗はマンションに建て替えられてしまった

 

今の店舗は少し高津駅寄りに調剤薬局があり、駅ビルのノクティという一等地で営業を続けており、宮前平などに支店もある大きな店に成長しているので、この土蔵造りの建物はモニュメントとして残しているのだろう

 

 

上の写真は、この場所での営業をやめてしまった頃に撮影したものである

 

 

 

 

 

 

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看板建築のほうの店舗に「明和二年創業」と誇らしげに記されている。歴史に残る目黒行人坂が火元の明和九年の大火よりも以前のことだ。これは2015年に撮影した

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和20~30年代に撮影された灰吹屋。どうやら後年になって店舗の上にあった屋根庇を取り払ってしまったようで、屋根庇のある昔の姿のほうが何倍も風格を感じさせる

 

 

矢倉沢往還は灰吹屋の少し先で、川崎市の全域を潤していた二ヶ領用水という用水路と交差していて、そこに落合橋が架かっている

 

 

 

 

 

 

 

 

かつてはその畔に元禄時代に創業された旅籠「亀屋」が業態を変えて「亀屋会館」として残っていたが、現在はビルになっている

 

画面右側の入り口に2本の円柱が立っている建物は「亀屋会館」が、まだ「亀屋」の看板を掲げていた頃の姿であるが、残念ながらかなり昔のことなので、もちろん僕は見たことはない

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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