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💈 ⑬陸軍用地境界標と道路予定地の古民家 

 

 

 

 

 

どうでもいいけど、一昨日、付き合いの長いブロ友さんの記事に「いいね」をつけようとしたら画面に「ログインしてください」という表示が

 

はぁ? こちとら一度もログアウトしたことないぞ。なめてんのかゴルァ!!

テイッ(ノ`Д´)ノ彡┻━┻

 

またしてもダメーバのエラーで勝手にログアウトしていることになっていた。このエラーが出たのはもう5回ではきかないだろう。いい加減にしろよなカスが! ファッキンシット!!

 

 

 

 

 

 

--という、どうでもいい話はともかく、駒込駅近くを横切る本郷通りからはじまった「しもふり銀座」商店街は、染井、西ヶ原と名前を変えながら延々と2キロ以上も続いていた

 

商店街は本郷通りから離れるにしたがい寂れた様相に変化して、ゲーテの小路という、ちっとも小路に見えない広い通りに分断された先は商店街として終わっているような雰囲気であった

 

 

通りは、そのすぐ先で都電荒川線の滝野川一丁目電停方面から斜めに切り込む道と丁字路で交わり、左に続いていたが……

 

 

 

 

 

 

 

 

その曲がり角、少し前の記事で紹介した社員寮なんだかアパートなんだか判然としない廃屋の隅っこに「西谷戸新道」という古そうな道標が設置されていた

 

 

ということは、滝野川一丁目方面から切れこんだこの細い道は、そこそこ歴史のある古道なのだろう。新道というと新しい印象を受けるが世の中には江戸時代に敷設された新道もあるから油断がならない

 

もっとも、このあたりが開発されたのは昭和初期頃なので、おそらく谷田川が埋め立てられた時期という可能性が高いが……と、思って調べると

 

 

やはり西谷戸新道が敷設されたのは大正時代だそうで、まだ谷田川が埋め立てられてしまう直前のことのようだ

 

 

その角にあった、すでに廃業してしまっている「魚末」「山新豆腐店」という2軒については詳しく述べたので置くとして、延々と続いた商店街も「もじゃ多肉植物ハウス」から先は見るべきものがないな……

 

と、思って引き返そうとすると

 

 

 

 

 

 

 

 

大谷石の擁壁の一部分だけが妙に古いことに気が付いて、無意識のうちにこの写真を撮影していた

 

そのことは、帰宅してデータを見るまですっかり忘れていたのだが、はて、この場所はどこだったのかしらん? と、疑問に思ってGoogleマップでたしかめてみると

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと、この写真を撮影した場所に「陸軍用地境界標」というタグがあるではないか!

 

いやいや、そんなものは何処にも見当たらなかったんだけど……と、不審に思って画面をストリートビューに切り替えてよく観察してみると

 

 

 

 

 

 

 

 

わかるだろうか? 僕が撮影した古い大谷石の擁壁の左下、新しい大谷石との境目あたりの歩道の隅に、高さ20センチほどの突起物が写っている

 

ああ、たしかにこれなら目にしていたが、僕はてっきり最近の水道とかその手の境界標だと思ってチラ見しただけでスルーしていた。我ながら不注意に忸怩たる思いである。今度からもう少し気をつけねばなるまい

 

 

という話はともかく、これで本当に見るべきものはなくなったので……

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ営業前だった「中華 わらく」の前を通って、都電荒川線の滝野川一丁目電停のほうに向かった

 

 

 

 

 

 

 

 

西谷戸新道を滝野川一丁目方面に向かうと、新道は本郷通りから、しもふり銀座の通りと平行するように敷設された広い道路に分断されていた

 

新道がぶった切られた角地にファミマがあり、かつての道筋はそちらのほうに続いていたようなので、広い通りをわたって続きを見にゆくと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶった切られた先は、すでに住宅街に上書きされてしまっており、唯一、こういった状況には滅法強い床屋だけが残されていた

 

店先だけではなく袖看板のかわりにサインポールを斜めに掲げてやる気満々だが、日曜日なのになぜか閉まっている。入り口の扉には「ハラ理容所」と古風な屋号が示されているので、おそらく老舗の床屋であろう

 

 

「ハラ理容所」の先は、とくに見るべきものはなさそうだったので、都電荒川線の滝野川一丁目電停に向かった。というのも、その少し先に、残っているかどうか確認したい物件があったからだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホームの脇まで行ったが踏切は開いており、ここはやっぱり都電が来るまで待つでしょ。と、不審者のごとくホームの端でしばらく佇んでいると、ようやく車両がやって来たので撮影する

 

滝野川一丁目の線路をわたり、緩やかな坂道を登った正面に、目当ての物件があったはずなので、いそいそとそちらに向かうと

 

 

 

 

 

 

 

 

よかった。入母屋屋根の古民家は、記憶にあったとおり坂道の正面に鎮座していた

 

この場所は、先ほどとおった本郷通りから続く広い道路の予定地になっているので、もうとっくに解体されて更地にされているだろう……という僕の悪い予感は、珍しく外れたようだ

 

 

しかし、7年前に見たときとは、微妙に風景の印象が異なっていたので、過去の記事に掲載した写真を見ると……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが7年前に撮影した同じ建物の裏側だが、建物の右手に大きな樹木が写っている

 

ところが、今回の散策で撮影した写真を見ると……

 

 

 

 

 

 

 

 

長い年月をかけて大木になった銀杏の木は、伐採によりバラバラにされて、その骸が古民家の前にぶちまけられていた

 

このことから、どうやらこの建物も、さして必要とも思えない利権の臭いしかしない無駄な道路のために取り壊されてしまうようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

果たして現在も居住者はいるのだろうか? と、思って建物の横手に回りこんでみると、手作りであろう棚の上にズラリと鉢植えが並んでいた

 

しかし、よく見ると鉢植えの数はたくさんあるけれど、植えられている植物がみんな同じ種類に見えるのは気のせいか?

 

 

細長い葉のフチが白いこの観葉植物は、たしかオリヅルランという名称だったはず。と、思ってググってみるとやはりオリヅルランで正解のようだ

 

ツルッとした葉っぱの雰囲気と、フチが白いことから江戸時代に大流行した万年青(オモト)の親戚のように思っていたが、Wikipediaを見ると原産地がアフリカ大陸で驚く

 

 

そういえば、おひたしにすると美味しいので、日本の特有種のように勘違いしてしまうが、オクラもアフリカ大陸が原産地だったよな

 

 

という、どうでもいい話はともかく次回は、この建物の7年前ではなく現在の反対側を見てみよう

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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