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🍊 ⑤マンサード型屋根と鎌倉十橋の乱橋 

 

 

 

 

 

かつて幕府があった頃の鎌倉の町は、山を背負うかたちに鶴岡八幡宮があり、そこを中心として海に向かって都が拓かれた。そのため鎌倉に入るには山越えせねばならず現在も切通が各所に残っている

 

その当時、江戸などはまだ片田舎のじめじめした入江で、わずかばかりの漁師が住む寒村だった頃の話だ

 

 

メインストリートは基本的に縦方向の今大路、若宮大路、小町大路などで、そこを横切っていた「横方向」のメインストリートが車大路であった

 

ところが縦の道は残っていて現在も賑やかな通りなのに対して、横方向のメインストリートだったはずの車大路は……

 

 

 

 

 

 

 

 

地図にはしっかり記されてはいるが、現地で目にした実際の姿は……

 

 

 

 

 

 

 

 

「大路」という大袈裟な名称にそぐわない、まるで暗渠のような住宅街の隙間にされてしまっていた

 

鎌倉幕府が滅び日本の首都ではなくって千年近い月日が流れたとはいえ、鎌倉には鶴岡八幡宮や長谷の大仏など、後の時代にも訪れる参拝客は絶えなかったはずで、それらの施設の周囲は今でも町並みを形成している

 

 

車大路も長谷から鎌倉駅付近までは、しっかり商業地区として存続しているのに、何故この車大路だけが単なる住宅街の隙間になってしまったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

という疑問はともかく、この暗渠のような細い路地には何かしらひとを惹きつける魅力があるようで、ちょっと確認するだけのつもりが、吸い込まれるように、どんどん路地に入ってゆくと……

 

 

車大路沿いの民家の風情たっぷりの板塀からはみ出した枝には、たわわにミカンが実っていた。夏ミカンならぬ真冬のミカンである

 

 

 

 

 

 

 

 

板塀越しのミカンの家の先にも渋い雰囲気の板塀と平屋建ての一軒家があった

 

鎌倉時代とまではゆかずとも、どうやらこの車大路は古くからの住宅街だったようで、新しい建て売り住宅に混ざって古い建物が点在していて、けっこう楽しい通りだということがわかった

 

 

 

 

 

 

 

 

その先の辻で道幅が少し広くなり道路には「止まれ」と記されており、ここからは自動車も通行可能のようだ

 

 

辻の端には何やら古そうな石碑が設置されているが、苔蒸した上にそれが乾いて緑色になり、何が書いてあったのかは判然としなかった

 

Googleマップにもわざわざ「石碑」と記されているので、タップして確認してみると口コミが一件だけあり、やはり読めなかったが残された文字から「道路の拡幅を記念して建てられたのではないか」と記されていた

 

 

しかし、それよりも気になるのは辻に建っている住宅だ。壁面や窓を見ると、別にどうってことのない普通の建て売り住宅のように見えるが、よく観察してみるとマンサード屋根なのだ

 

何故、そんなに古くない住宅にマンサード屋根? と、疑問に感じてさらによく観察すると屋根のマテリアルが、寺院や古い商家によく使用されている亜鉛合金系(うろ覚え)らしく見える

 

 

わざわざ屋根だけ古い建材で建てる合理的な理由はなく、もしかしたらマンサード屋根の古民家の外観を魔改造したのではないか?

 

という、もやもやとした疑惑が僕の脳裏をよぎったが、そこからいくらも歩かないうちに、もやもやどころではない物件が目に入った

 

 

 

 

 

 

 

 

おおっ、この重厚な風格。ドイツ下見板張りにハーフティンバー、そしてダブルのマンサード屋根。なんと三役揃った見事な擬洋風建築ではないか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残念ながら後年になってブロック塀が建てられてしまい、建物がよく観察できないが、凝った造りから戦前物件と見て間違いないだろう

 

それにしても、こんな路地裏に見事な擬洋風建築があるとは、やはり鎌倉は侮れない町だと再確認した

 

 

もっとも、鎌倉の町をGoogleマップで子細に見ると住宅街や山のなかのような場所にも、やたらと「史跡」マークや「◯◯住居跡」があるので、それらを全部追及していたら、いくら時間があっても足りないだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、屋根がトタン波板張りで、それが錆びついているあたりも渋いし、それに植栽の松の木がアクセントを加えているとこなどは、思わず唸るような美意識である

 

が、ここから先はいきなりツマラナイ風景に変わってしまったので、小町大路に戻り湘南新宿ラインの踏切をわたり、またしても未知なる領域に突入した

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、湘南新宿ラインの踏切を越えた先は、振り出しに戻った感じで、またしても東京都杉並区なんだか、千葉県船橋市なんだか、どちらでも納得するような平凡な町並みになってしまった

 

あっ、勘づいた鋭いひともいると思うが、ここから先はカメラを予備機として持参していたRICOHのGRに気まぐれでチェンジした

 

 

 

 

 

 

 

 

カメラをGRにチェンジしたとたんに、またしても板碑があり、その横には小さくてかわいい橋跡というか欄干が残され、その欄干の橋が架かっていた小河川の暗渠があった

 

 

 

 

 

 

 

 

川はひと跨ぎできそうな、まさに「小川」といった川幅しかないが、そこに架かっていた橋には「乱橋(みだれはし)」という大袈裟な名称と、鎌倉十橋のひとつだと記されていた

 

鎌倉市のホムペによると新田義貞の鎌倉攻めのさい、幕府の軍勢がこの橋のあたりで乱れはじめたという説があるが、それよりも以前の「吾妻鏡」に、この小河川はよく氾濫したとの記述があるので「濫橋」というのが正しいのではないかと記されていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川の反対側の欄干も残されていて、おまけにこちらは暗渠ではなく開渠になっており、ボックスカルバートのドブのような川跡が残っていたが、残念ながら一滴の水すら流れておらず、川底はカラカラに乾燥していた

 

これでは氾濫しようがない。おそらく水源となる場所が宅地化により湧水が枯れて、水源の役割を果たさなくなってしまったのだろう

 

 

できればこの川にせせらぎが流れていた頃の風景を、この目で見てみたかったものだ

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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