🚙🚙🍶🚙🚙🚙🚙🚙🚙🚙🚙

 

 

 

 

 

 

 

🍶 ④小町大路の土蔵造り商家と旧車大路に驚く 

 

 

 

 

 

鶴岡八幡宮の真ん前を横切る北鎌倉から続く道を、小町大路に曲がると、そこには面白味の欠片もない平凡な町並みが続いていた

 

やけに交通量が多いその通りを、少しガッカリしながらすすむと、北鎌倉からはじまった鎌倉散策シリーズにおいて、もう何棟目にしたのか忘れたぐらいたくさんあった房総スタイルの古民家を発見した

 

 

これで俄然「さすが鎌倉だ。やはり期待に応えてくれるぜ」と、散策する足にもちからが入ったとたんに……

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな素敵な建物が目に入ってきた。これならシロウトさんでも古い建物だと一目でわかるだろう

 

通りに面した1階の部分は元の姿が想像つかないほど住居仕様にされてしまっており、なおかつアルミフェンスにより塞がれているが、壁面のトタンで覆われていない部分には漆喰が見えており、それより何より出桁造りである

 

 

そのことから昭和初期に建造されたものと考えられる商家であるが、結局、商売のほうは代替わりせず、住居仕様に改装されてしまったのだろう

 

こういった物件を見ると、もはや当ブログにおいて定番化しているフレーズ「取り壊されてしまうより百倍マシ」「むしろ残っていてくれてありがとう」と感謝する以外の方法がない

 

 

などと、ここ最近の散策ではいつもの複雑な気持ちになっていたが、そんなモヤモヤなど跡形もなく吹き飛ばすような風景が!

 

 

 

 

 

 

 

 

これには思わず変な声が出そうになってしまった

 

もう僕のなかでは定説になった房総スタイル海上伝播を象徴する完璧な房総スタイルの古民家と、土蔵造りの商家が並んでいるではないか

 

この写真のキャプションに「房総往還の蘇我で撮影」と、記しても疑う者はいないであろう

 

 

こちらの物件も不自然なブロック塀により、通りに面した1階の部分が完膚なきまでに塞がれている

 

これが東京の下町や武州の場合だと、店舗の部分は看板を外すぐらいで、そのまま住居仕様にするか、カッコ悪い魔改造(大好物の)が定番なのだが……

 

 

どういうわけなのか、本千葉から蘇我あたりにかけては、廃業して住居仕様にする場合、1階の部分を塀などで隠すのがデフォルトになっている

 

こういった誰も気にしない「当たり前」のことは、その地域では当たり前だが、その風習を持たない余所者から見ると異様な光景に思えることが多い

 

これはあくまでも僕の妄想の域を出ない説だが、鎌倉には房総半島から建築スタイルだけではなく、そういった風習まで伝播したのかもしれない。いや、単純に移民と考えるのが妥当な線か?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あまりのことにエキサイトしてしまったが、こんなニッチな話題について来られる読者は、ごく少数の民俗学、地理学、古民家、およびブラタモリマニアだけであろう

 

 

話を戻して……この立派な土蔵、僕がやって来た方向から見ると単なる立派な土蔵に過ぎなかったが、反対側から見るとちゃんとした土蔵造り商家に見えるという、ユニークなデザインで驚く

 

いや、というより平入の造りの土蔵造り商家を、無理やり妻入の位置に置いたようにも見える

 

 

いずれにせよまさか相模の国の鎌倉に、こんな武州にある商家のような土蔵造りの物件があるとは、ますます奥の深さに瞠目する思いである。いやあ、鎌倉は深い。そしておもしろい!

 

 

 

 

 

 

 

 

その先に、このあたりの鎮守である蛭子神社があった

 

鳥居の脇には「村社蛭子神社」とあるように、古くからこのあたりを見守ってきた神社だが、前述したように当ブログでは神社仏閣はスルーの方針なのに、なんとも雰囲気がよくて思わず撮影した

 

 

調べてみると頼朝が鎌倉幕府を拓くときに鎌倉の鬼門の守りとして祀った夷堂が由来だそうだ。うーん、またしても西暦でいうと1100年代の遥か昔の話だ

 

 

 

 

 

 

 

 

蛭子神社のすぐ先の交差点には、おそらく戦前からのものだと思われる邸宅があった。なかなか立派な建物だったけれど植栽が邪魔になり、ちゃんと撮影できなかった

 

ここまでは、まったく未知な町並みであったが、さらに先にすすむと……

 

 

 

 

 

 

 

 

あらら、なんだか見覚えのある風景が

 

この建物は前回の散策の最後のほうで撮影した廃業したものとおぼしき平屋建て看板建築の鮮魚店ではないか

 

 

これで鶴岡八幡宮から前回の散策で歩いた小町大路がつながったことになる。ここまで来たということは、僕の撮影している位置の後方に5分も歩けば鎌倉駅があるということだ

 

が、鎌倉駅方面には向かわず、そのまま小町大路を真っ直ぐすすむと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからしばらくは、一度ブログで紹介したエリアなので撮影せずに、さっさと通り抜けようかと思っていたが、やはり個人的に鎌倉ではお気に入りの風景が続くので、結局シャッターを押してしまった

 

何度見てもやっぱり「漆原米店」の醸し出す風情は素晴らしい。そしてその先には……

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、こちらも無視して通過することが不可能なぐらい見事に昔の雰囲気を残した「石川屋酒店」が

 

こないだは撮影に夢中で気がつかなかったが、よく見ると2階の木製の高欄に、落下(何が?)防止のためなのか金網が張ってある

 

 

 

 

 

 

 

 

このまま小町大路をさらに南下すれば、やがて湘南新宿ラインの踏切を越えて材木座にたどり着くが、その前に……最初に鎌倉の散策をしたときから、気になっている道があった

 

その道は地図上に「旧車大路」と記されており、「大路」とあることからわかるように、かつてこの地が都だった頃のメインストリートだったことが読み取れる

 

 

鎌倉は鶴岡八幡宮を正面にして、縦方向に西側から「今小路」観光地の「小町通り」、そして縦のメインストリート「若宮大路」「小町大路」と、縦方向の町並みが主要な道だが、それを横に貫いているが「車大路」であった

 

なので、初めて鎌倉の市街地をGoogleマップで確認したときから、この「旧車大路」というのは、ものすごく気になっていた

 

 

ところが、いざ現地でその旧車大路を通過したときは……

 

 

 

 

 

 

 

 

画面の左手奥、白い塀のあたりが旧車大路で、道はそこを左右に横切っていた

 

写真に写っていない左方向は、江ノ電の踏切を越えて長谷まで続く商店街になっている。ところが右方向は、この出桁造りの元商家の隣にある白い三階建てのビルの横の隙間しか残っていない

 

その隙間は行き止まりになっており、つまり、この場所から右方向の旧車大路は見事に「消滅」してしまっていたのだ

 

 

なので、車大路が再び復活する場所が、現在どうなっているのか個人的に、かなり興味を抱いていた

 

地図上に再び姿をあらわしたかつての都・鎌倉の横方向のメインストリートである旧車大路は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あろうことか住宅街にある極細の裏路地。いや、これでは路地というより暗渠にしか見えない、単なる住宅街の隙間になってしまっていた

 

ええっ、これが「大路」? かつて鎌倉幕府の都の横方向のメインストリートの車大路なのか!?

 

 

一部消滅していることから、こんなオチだろうとは薄々思っていたが、その思っていたビジュアルを遥かに凌駕する没落ぶりであった

 

まあ「いざ鎌倉」のときに、都である鎌倉に向かうために整備された当時の幹線道路である鎌倉街道ですら、あちこち消滅しているのだからしかたないが、肝心の都のメインストリートですら一部消滅してしまっているとは「時の流れは無情だ」としか言い様がない

 

 

とはいえ、この路地にはなんとなく惹かれるものがあるので、ちょっと入ってみることにすると、そこで思わぬ物件に出合うことになる

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

🚙🚙🚙🚙🚙🚙🚙🚙🍶🚙🚙