🏢🏢🍰🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢

 

 

 

 

 

 

 

🍰 昭和な風景を求めて夜の荻窪を彷徨する 

 

 

 

 


夜の荻窪散策。前編、後編ときたので、これでおしまいかと思いきや、まるで詐欺のごとく「特選編」をお届けする

 

 

なぜこの回だけ別枠にしたかというと理由は単純で、前後編は名もなき(比喩的な意味合いで)物件の紹介に徹したわけであるが、この回で紹介する物件は、たったの2つ

 

その2つの物件は、無名でもなんでもなく1棟はレトロマニアや古民家マニアなら知らぬ者とてない登録有形文化財の有名物件、もう1棟は駅前から至近。しかも、2棟しか紹介しないくせに写真の枚数はもっとも多い

 

 

まあ、何故(なにゆえ)枚数が多いのかは、写真を見ていただくと納得するだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕にとって荻窪は数々の思い出のある町である。かつて古書の収集に熱を上げていた頃は、掘り出し物の出る良質な古書店のある町として外すことの出来ない駅であった

 

荻窪駅の南口には大型の古書店や老舗の古書店があり、そのうちの1軒「岩森書店」は、現在も駅前で営業を続けている

 

 

南口中通り商店街を少し入ったところには、岩森書店の娘さんが経営しているカフェがあり、そこのシフォンケーキは絶品でけっこう通っていたが、知的な美貌の娘さんに淡い恋心を抱いていたのは内緒だ

 

 

という、どうでもいい話はともかく……

 

そのカフェの並びにも古書店があり、ある日訪れると半世紀も前に出版された活動弁士、漫談家の徳川夢声(夢声は、そう呼ばれるのを嫌っていた)の対談集「問答有用」が、販売されていない私家版2冊を含めた完本12冊が、デッドストックで出て驚愕した

 

こういった全集でもっとも入手困難なものを古書業界用語で「キキメ」というが、キキメもキキメ、販売されていない私家版を含む完本。しかもデッドストックである

 

 

金のない学生だった僕は必死で金策して購入した。もちろん今でも大切に保管しているが、ここで問題になるのは、“なぜ半世紀も昔に出版された本がデッドストックで出た”のか? という疑問だが

 

名探偵の僕にとっては簡単な謎であった

 

 

昭和初期の荻窪は文士村と呼ばれたことでわかるように、井伏鱒二を筆頭に多くの文人が居住しており、徳川夢声も住んでいた。ここから導き出される解答は、すなわち、「遺族(年代的に見て孫だろう)が引っ越しか建て替えで処分した」であろう

 

 

つまり僕は徳川夢声本人が蔵書として保存していた「問答有用」を入手することができたというわけだ

 

 

いかん、いかん、冒頭から盛大に話が横道に逸れたので戻す

 

この荻窪駅西口の中通り商店街を入ってすぐの路地を左に曲がり、5分も歩くと商店街から薄暗い住宅街に変わり左手にこんな風景が目に入ってくる

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんの3年ほど前まではアメリカンエキスプレスの本社だったビル、そしてビルの入り口には巨大な樹木と……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな立派な長屋門が! こちらの長屋門は青梅街道沿いの荻窪村の名主を代々勤めた中田家の長屋門である

 

門前には明治天皇がこちらに行幸したさいお休みになられたことを記念した碑が建てられている

 

 

中田家の長屋門の建造年代に関しては、特定する資料がないので判然としないが、武者窓が付く出桁造りという農家の長屋門には差し障りのある様式であるため、普通なら明治以降!

 

と、即断できるが、じつはこの中田家に関しては当てはまらないから困る

 

 

というのも、中田家には寛政年間に、将軍徳川家斉が鷹狩のたびに休息所として利用したという経緯があるため、武者窓、出桁造りではないと武家(しかも将軍)を迎えるわけにはいかないため、当時からこの様式だったはずだからだ

 

なので現在していない主屋には、当然のように式台付き玄関が設けられていただろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつては門番が睨みを効かせていたであろう武者窓には、今も明かりが灯っているが、もちろん今は門番など住んではいない

 

 

 

 

 

 

 

 

長屋門の横には、明治天皇が休まれた茶室も保存されているが、残念ながらこちらは非公開である

 

 

この長屋門には、この土地を中田家から現在の所有者に譲り渡すさいに、長屋門と茶室だけは取り壊さないでくれ……という願いを承諾し、所有者が居住しなくなりビルとなってしまった現在も、その約束は守られている

 

という、日本人として誇りに思うような美しい話が秘められているのである

 

 

 

 

 

 

 

 

長屋門の潜り戸を覗くと、はるか向こうに青梅街道が見える

 

当時のままの屋敷が維持されていたら、何しろ巨大なビルがすっぽり入ってしまうのだから、さぞや物凄い豪邸だったことであろう

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、長屋門のなかはガランドウにされて会社にチャリ通勤する社員のための自転車置き場になっているので、外から眺めるだけにしたほうが、ガッカリしなくてすむことを附記しておく

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この度肝を抜かれる長屋門から東方面にさらに2、3分も歩くと見えてくるのが……

 

 

 

 

 

 

 

 

説明不要なぐらい有名な有形文化財「西郊ロッヂング」である

 

 

 

 

 

 

 

 

この建物に初めて気がついたのは、まだ古民家にさほど興味のない学生の頃であったが、この圧倒的な存在感に「うわ、なんじゃこりゃ」と、三度見ぐらいしてしまったほど驚いたものだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、昭和13年に洋風アパートとして建造された、当時の東京でも最先端のモダンな建物であった

 

 

現在は和風建築の新館が「西郊」という旅館として、こちらの洋風部分はアパートとして使用されているが、アパートは常に満室だそうでである

 

だよね。だってこれ、僕も住んでみたいもん

 

 

 

 

 

 

 

 

角に面した部分はアールを描くようにデザインされ、そこに「西郊ロッヂング」という金文字が光る

 

アパートの頭の「西郊」は、昭和初期頃、駅から少し離れると田圃や畑ばかりだった「西の郊外」だったことから名付けられたのだろう

 

 

文人というのは気取り屋が多いので、なんとか文士村というのは、たいてい郊外にあるのがデフォルトで、目白、雑司が谷、田端、大森、いずれも昭和初期頃は郊外といった雰囲気の場所である

 

まあ、柳宗悦を代表とする民芸運動の人びとがこぞって暮らした手賀沼というような例外はあるが。ちなみに意外なことに、柔道の嘉納治五郎もそのひとりだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとした丸窓などにも気のきいた意匠が施されているのが昭和モダンな雰囲気を盛り上げている

 

一方、新館の旅館のほうは超モダンな本館と比べて、むしろ時代を遡ってしまったようなレトロ感が素敵で、なんとなくホッとするような暖かい家庭的な雰囲気だ

 

 

ということで、恒例のクッション記事はこれぐらいにしておいて、次回から《観光客の行かない鎌倉》シリーズを再開するが、チャプター3は冒頭から意外な展開を見せることになる

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🍰🏢🏢