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🐸東急東横線の祐天寺駅付近にある戦前物件を見る 

 

 

 

 

 

東横線沿線は開発されたのが大正末から昭和初期頃なので、古い建物はあまり残っていない

 

しかし、目黒区内の一部は東横線が開通する以前からの町なので、中目黒や祐天寺にはかなり戦前の建物が残っている

 

 

といっても、そこは首都圏でも人気のあるエリアにあるため、年々古い建物の解体は進行しており、祐天寺の門前町にあった銅板葺き看板建築などは、魔改造された挙げ句跡形もなく取り壊され、現在はくっそツマラナイ建て売り住宅にされてしまった

 

が、しかし駅の東口の商店街には、いまだに戦前物件がかなり残っており、今回は中目黒~学芸大学まで古着屋を回ったついでに、いつ取り壊されてしまうか心許ないそういった物件を撮影してきた

 

 

 

 

 

 

 

 

祐天寺東口のバスロータリーを中目黒方面に向かう商店街は、百メートルぐらいで住宅街にフェードアウトしてしまうが、意外なことに戦前の出桁造り商家が複数残っている

 

その裏手の住宅街には、おそらく明治時代に建造されたものと考えられる茅葺き屋根にトタンを張ったミラクルな建物が残っているが、薄暗い住宅街にあるため今回はスルーした

 

 

商店街に入ると右手に見えてくるのが「ネパール民芸品 ヒマラヤ ウ」という目を惹く店だが、ずいぶん以前に廃業してしまったようだ

 

僕の記憶では、この場所にはネパール民芸品ではなく、時計屋があったはずなのだが、僕の知らないあいだにネパール民芸品の店に変わり廃業してしまったのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

そのすぐ先の左手を見ると出桁造りの中華料理屋が現役で営業中である

 

商店街をそのまま中目黒方面にゆくと今度は右手にこんな物件が見えてくる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらも戦前物件の出桁造り商家だが、看板建築風に改装された挙げ句廃業してしまい、現在は倉庫して使用されているようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

そのすぐ並びには、廃業して長らく放置されている「平成軒」というおそらく中華料理屋だった建物と「久女寿司」というモルタル外壁の建物があるけれど、もはや完全に廃墟になっている

 

このふたつの物件が開いていた記憶は残っていないが、僕は中学生の頃からこの町を歩いているので、現役の姿を間違いなく見ているはずだ

 

 

こちらの商店街は、すぐに突き当たって終わるが、商店街を外れた住宅街には、駅前から移転した親子二代で通っているカレーの名店「ナイアガラ」がある

 

今回はそちらにはゆかず商店街を戻り、セカストの手前、ドトールコーヒーの角から古刹・祐天寺方面に続く商店街に曲がった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの商店街も戦前から続く町並みなので、以前はけっこう賑やかな通りであったが、神社仏閣を詣でるのがレジャーの主役でなくなると同時に、徐々に寂れてしまい、やたらと更地が目立っていた

 

東京の下町を散策していると、古い建物が取り壊されて放置された場所をやたらと見かけるが、それは下町だけではなく首都圏全域で見られる状況である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「関口食料品店」と「おいしいお肉 ㈲津田屋」は現役だったと思うが……

 

定休日を引く男の本領を発揮して、ものの見事に休んでいた。それにしても、津田屋の軒先クレハロンテントに記された「黄金漬け」というのが気になる

 

 

 

 

 

 

 

 

津田屋のすぐ先には、かつてはおばあちゃんが経営していたタバコ屋の激渋の平屋建ての商家があったが、いつの間にか廃業して無住になり取り壊されてしまわないか心配していたら、コジャレたカフェにリノベーションされていた

 

これが千葉や埼玉の寂れた町なら、そのまま朽ち果てるまで放置されるにちがいない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平屋建てのリノベーションカフェの先に、道路の形状に合わせてズレて建てられた出桁造り商家が残っている

 

向かって右側は現役で営業している中華料理屋(またしても中華料理屋である)だが、隣の建物はずいぶん以前から廃業して放置されている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左手の建物にはガレージのような空間が残されていたが、長らく使用されていないようで、入り口には雑草が繁っていた

 

一方で、注目すべきは向かって右側の中華料理屋で、2階のベランダ(というか、かつての物干し台であろう)が、ブロック塀という意表を突くマテリアルで魔改造されていることだろう

 

 

現在こういった建物の主流になっているサイディングボード製の外壁で囲われたショボい2✕4の建物に、こんな重そうなベランダを乗せたら崩壊するかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

出桁造りの中華料理屋の先は、若干の戦後型看板建築があるだけで、その先は駒沢通りまで住宅街になってしまうため、駅前バスロータリーまで引き返して、駅前のメインストリートを駒沢通りに向かった

 

この通りは十年ぐらい前から古着屋の多い通りで現在も個性的な店が並んでいる

 

 

駅前通りと駒沢通りの交差点には、上の写真の出桁造り商家か残っているが、一度コジャレたカフェにリノベーションされたが廃業してしまった

 

したがって、建物の行く末を心配していたが、後日通りかかると別のコジャレたカフェになっていた。千葉や埼玉の寂れた町では考えられない変転で、東京には、そういった需要が多いことがわかる

 

 

そこから駒沢通りに出て学芸大学方面に向かうと、当ブログで何度もしつこく紹介していた戦前物件の見事な十字型看板建築が残っていたが、昨年ついに解体されてしまい現在は虚しく更地になっている

 

おそらく、どうでもいいツマラナイ建て売り住宅やマンションが建つのだろうファッキンシット!

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、そのすぐ先、東横線のガードの手前、アルケオロジーという古着屋の向かい側に銅板葺き看板建築のタバコ屋が残っている

 

店の前には灰皿が設置されているので、いつも仕事帰りや休憩中の近隣のサラリーマンの憩いの場所になっていて、僕もお世話になっている

 

 

 

 

 

 

 

 

その斜め向かい側、東横線のガードのすぐ脇に長年放置されているモルタル外壁の平屋建ての住宅が残っている

 

ここでも廃屋に特有の現象である政党ポスターが無遠慮にベタベタ貼られている。どうやらこの場所は日本共産党の縄張りのようだ

 

 

こちらの物件は、僕が初めて意識した十年ほと前にはすでに廃屋になっていたが、毎年、秋冬になると庭の柿の木だけがたわわに実り、むしろ無常を感じさせる

 

ということで、この後は学芸大学の古着屋を回って帰宅したが、当然、何も購入していない

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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