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🚑 《年間ベストショット2023年》11~12月・旧東海道 

 

 

11月末から12月頭まで月をまたいだこの散策も北鎌倉に次いで、まったくの無計画、というより、その場の思いつきで行った

 

この日は大井競馬場のフリマなので何も考えないで昼前に自宅を出て、ボーッとしながら会場に到着すると、ほとんどの出展者は片付け作業に入っていた

 

 

あんまりボーッとしすぎて、フリマは基本的に午後2時頃に終わりだということを、うっかり失念していたのだ

 

しかし、立会川という、こんな品川区のど田舎のような場所(行ってみれば納得する)で、どうやって時間を潰そう。いや、いっそのこと品川駅まで出てどこか他の町に遊びにでもゆくか……

 

 

--と、一瞬、動揺したが、駅に戻る最中にふと「目の前の通りは旧東海道ではないか」ということを思い出した

 

そこで、北品川まではカッタルイけれど新馬場ぐらいまでなら1時間半もあれば散策できるな。という皮算用を弾き出して旧東海道を江戸方面に向かって歩きだすと……

 

 

 

 

 

 

 

 

さっそく、こんな素敵な古民家を発見したが、この建物よく見ると向かって左側が不自然だ

 

見たとたんに「ははあ、これは最近よく見るぶった切られ物件だな」と、すぐに気がついた。ぶった切っておきながら更地のまま放置されているのが、現在の日本のしょーもない現状を無言で物語っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、その少し先、立会川の商店街から鮫洲の商店街に入ったとたんに、素晴らしい出桁造り商家が向かい合うという、往時の東海道の面影を残す場面に感激する

 

各所に使用された銅板細工が戦前物件であることを証明しているが、とりわけ定番の青海波の戸袋が見事であった

 

 

 

 

 

 

 

 

犬の散歩シーンなどを撮影しながら鮫洲駅に近づくと

 

 

 

 

 

 

 

 

一見しただけでは見逃してしまうような隠れ出桁造り商家を発見する

 

思えば観光地化する前の川越の蔵造り通りにも、こんな建物が多かった記憶があるので、よくぞあそこまで旧態に戻したとつくずく思う

 

 

だが鮫洲の主役はこの隠れ出桁造り商家ではなく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

間違いなくこちらの出桁造り商家であろう

 

いろいろ残念な改修をされてしまっていても周囲を圧倒するこの貫禄。これぞ日本の商家の正しい姿と、自信を持って断言できる素晴らしい建物である

 

 

ちなみに、このような2階の部分が高い平入切妻の出桁造り商家を、僕は勝手に武州スタイルと呼んでいる

 

というのも、この様式はおそらく東京が発祥で埼玉、神奈川、千葉などにも見られるが、都心から半径200キロの円から外では、さほど見られなくなり、そしてもっともよく見かけるのが相州や下総ではなく武州だからだ

 

 

 

 

 

 

 

 

鮫洲から先の旧東海道は、おしなべて商店街になっており、東京の都心部付近のため、さほど寂れてはおらず新しい建物が多いが、ところどころに古い建物がしっかり残っている

 

その密度が高いのが鮫洲、青物横丁、新馬場の区間である。鮫洲の中心地を抜けると、いったん寂れてしまうか、青物横丁駅に近づくと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治時代末期に建造された木造二階建て下見板張りの見事な洋館の医院「竹内醫院耳鼻咽喉科」が残っている

 

この建物を初めて見たときは予備知識などなかったので、ごく普通の商店街のど真ん中に、こんな素敵な洋館を見つけて感動したものだ

 

 

しかし、この竹内医院の角を曲がったところで、大きなショックを受けることになる

 

 

 

 

 

 

 

 

半分にぶった切られた銅板葺き看板建築の隣にあった「大場靴店」が、跡形もなく解体されて更地になっていたのだ

 

僕の推測だとこの銅板葺き看板建築は、戦後間もない頃には半分にされて、そのかわりその場所には「大場靴店」という、渋い町の履物店が建てられ、新馬場のランドマークになっていたのだ

 

 

この更地を見たとたんに深い喪失感に襲われたが、その先にも解体→更地→放置という、近年の首都圏が罹患している恐ろしい宿病は及んでいた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土蔵造りの建物は、ちょっと品のないテナントに変わっていたが、とりあえず無事を確認したが、その並びにあった出桁造りの元鮮魚店は、跡形もなく解体されてしまっていた

 

それだけでなく、その周囲にあった東京都が撲滅しようと躍起になっている木造家屋密集地帯のほとんどが更地にされていたのだ

 

 

我が国は地震大国だけあって、このように「防災」を建前に押し出せば、たいていの無理難題は通ってしまう。しかし、逆に言えば、このような木造住宅密集地帯は、そういった災害を乗り越えて生き残ってきた貴重な物件なのである

 

それは各々の住人が、木造家屋が密集していて危ないということを常に意識して生活していたからこそ残っていたわけで、決して偶然残ったのではない

 

 

これを、火災や地震なんて起きても安全な基準で造っています

 

なんて謳い文句のタワーマンションを、本来ならば大きな建物などは建ててはいけないような畑にも出来なかった低湿の荒れ地に建てて、ちょっと台風がきただけで水浸しになる……などという愚劣なことを繰り返しているこの国には呆れるしかない

 

 

 

 

 

 

 

 

などと憤っていたが東海道品川宿の面影を現在に伝える「疊 松岡」の無事を確認して荒れた心も安らぐ思いを味わう

 

銅板細工の亀甲紋様の戸袋もそのまま残っているのが素晴らしい。昭和初期の旧東海道には、こういった建物がたくさん並んでいたのであろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先の一角も出桁造り商家が軒を連ねていた往時の東海道の風景を想わせるが……

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして町並みとして残っている場所のなんと少ないことよ

 

いつもなら、このまま旧東海道を真っ直ぐすすむのだが、この日は横道や路地も見てみよう。というコンセプトだったので、何かしらありそうな雰囲気の横道に曲がると

(帰宅後、大井町の古民家ゾーンであるゼームス坂通りの続きだと判明した)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

驚いたことに向かい合う出桁造り商家と戦前型の看板建築が残っていてビックリした

 

この界隈は、以前2回ほど散策しているのだが、そのときは「旧東海道」という、固定観念が頭にこびりついていたため、脇道や路地裏を散策しよう。という発想が浮かばなかった自分を叱りたい

 

 

しかし、こうなると路地裏にも期待できるのではないか? そう思って、さらにこの横道から路地裏に入ると……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

期待を上回る素晴らしい物件に出合うことができた

 

なんと昭和のまま冷凍保存されたような平屋建ての駄菓子屋と、大好物の錆び錆びブリキ波板の仕舞屋である

 

 

このときは喜びに満たされたが、帰宅後に過去のストリートビューを見てみると、なんと錆び錆び物件の斜め向かい側には、以前、僕が散策したときまでは、出桁造りの居酒屋が残っていたことが判明したが、後の祭りであった

 

旧東海道は、この先で新馬場駅前を横切るが、その駅前に抜ける通りこそが今回の散策のクライマックスなのだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅前通りに曲がると出桁造りの化粧品店が、そしてその向かい側には戦前型の看板建築があり、いずれも現役で営業している

 

看板建築の並びには元酒屋の出桁造り商家などもあるが、真の見所はそのさらに先にある

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらも現役で営業している銅板葺き看板建築の「トモ薬局」である

 

 

これだけでも、かなり都心部に至近の品川区としては充実しているが、この並びには……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古民家マニアなら血圧上昇必至の三軒長屋の銅板葺き看板建築が!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この新馬場の駅前通りには、駅の隣に邪魔っけな巨大マンションがあるだけで、そこから8軒もの戦前型看板建築が並ぶという、今となっては奇跡と呼ぶしかない町並みが残されている

 

これは都市化がすすんでしまった品川区では貴重な例と言えるだろう。一刻も早く町並みごと有形文化財に指定した上で、品川区なり東京都が保存に努めるべき風景であろう

 

 

ということで、11月後半から12初頭にかけては品川区に残る旧東海道の町並みを紹介したが、かなり「はしょる」必要があり、総集編では戦前物件にかぎって掲載した

 

本編では、もっと子細に物件を網羅しているので、是非ともそちらをご覧いただきたい

 

 

ということで、次回は《年間ベストショット》最終回、12月後半は鎌倉を紹介しよう

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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