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👧 《年間ベストショット2023年》10月・中野江古田・相模中野 

 

 

ということで、西武池袋線の江古田駅周辺から、中野区にある本家本元の地名として存在する江古田に移動する前に、駅前付近にある有名物件「江古田コンパ」と、その横からはじまる商店街の……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

反響が大きかった「江古田電波ハウス」を紹介する

 

この電波ハウスは、かなり有名な電波系の物件で、こういったカルトな物件を紹介するブログやインスタではお馴染みであるが、年々、その深度が深くなっている

 

 

僕が初めてこの物件を見たのは十数年前のことで、まったく予備知識なしに突然目に入ってきたので、思わず2、3歩後ずさるほど驚いた記憶がある

 

当時はまだ入り口までアイテムに埋もれておらず、リサイクルショップか何かの成れの果てなのかな? という印象を受けたが、今や建物から何か違うモノに進化してなかば生物のようだ

 

 

--と、最後に濃いやつを紹介して、本家本元の中野区「江古田」に移動する

 

 

 

 

 

 

中野江古田

 

 

 

 

西武池袋線の江古田駅前にはバスロータリーなどを造る余地がなく、バス停は千川通り沿いに並んでおり、そこからバスに乗れば20分ほどで中野区の江古田に到着する

 

 

こちらの写真は中野区江古田の中心街の最寄りのバス停から江古田の商店街を撮影したものだ

 

中野江古田に着いたとたん上の写真の右側に、いきなり

 

 

 

 

 

 

 

 

出桁造りの建物があった。隣には郵便局があるので、ここが中野江古田の中心地で間違いないだろう

 

メインの部分は、この出桁造り商家から西側に展開していたので、こういった場合のセオリー「栄えていなさそうな側」から見ることにして、交差点の東側に曲がると……

 

 

 

 

 

 

 

 

厨子二階建てっぽい戦前物件だと思われる元商家があった

 

すっかり住居仕様に魔改造されているが、こういう店舗には、入り口の上の部分が明かり取りがあり、その部分はほとんど手付かずで残っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東側は、さほどゆかないうちに商店街は終わってしまうが、その端っこにこんな見事な出桁造り商家が!

 

よく見ると建物の向かって右側に屋敷神を備えた立派な商家が当時は農村地帯だったこんな場所にあるとは、やはり昔から江古田村の中心地だっただけのことはある

 

 

この出桁造り商家から先は見事に新しい建物ばかりになるので、おそらく昭和初期頃までは、江古田村の入り口にあった商家だったのだろう

 

東側はこの他にはとくに見るべきものがなさそうなので、先ほどの交差点に戻り郵便局があった西側に移動した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すると郵便局とスーパーの斜め向かい側にあったのが、こちらの出桁造り商家である

 

木造二階建て平入切妻で2階の部分の背が高い典型的な武州スタイルの建物で、これが町にあるだけで「ああ、このあたりは昭和初期頃から栄えていたのだな」という、町を見るひとつの指標になる物件だ

 

 

そして、この町に到着したときに閃いた「中心地は交差点の西側だな」という直感は正解だったようで、この出桁造り商家から少し歩くと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦前物件だと思われる看板建築と中野区江古田に到着してから4棟めの出桁造り商家があった

 

こちらの物件は肝心の2階の部分が大きな看板によって隠されてしまっていたが、屋根の造りを見ただけで一目で「それ」とわかる佇まいであるが、残念ながら廃業してしまっているようで、存続が心配される

 

 

 

 

 

 

 

 

この2棟から先も巨大な病院と大規模再開発された巨大マンションのあたりまで古い町並みは続くが、再開発地区から先はとくに何もなさそうなので最寄り(というほど近くはないが)の西武新宿線の沼袋駅まで歩いた

 

つまり、途中少しバスでワープしたが西武池袋線からスタートして西武新宿線に移動したわけだ

 

 

 

 

 

 

沼袋

 

 

 

 

 

 

 

ざっと商店街を歩いたところ戦前物件は一切目にしなかったが、だからといって魅力のない町ではなく、建て替えがすすみかなり取り壊されて上書きされつつあっても昭和な雰囲気は十分残っている町であった

 

 

ということで、本家本元なのに知名度の点でかつての江古田村の人びとが開拓した江古田新田を西武鉄道が戦略的に「江古田」というネームを利用きたため、地元民とマニア以外には認識されていない中野区の江古田を紹介した

 

ところで、江古田はさすがにふたつしか聞いたことがないが、日本全国に同じ地名が存在する例はかなりあり、江古田のある東京都中野区の中野という町も、信州中野なんて有名な別の中野が存在している

 

 

だが、ほとんどのひとに認識されていないが、東京都の隣の神奈川県相模原市にも中野という町が存在するのだ

 

 

 

 

 

 

相模中野

 

 

 

 

 

それが津久井湖畔にある中野で、こちらも東京や長野の中野に負けておらず、新興の町ではなく江戸時代から三軒茶屋と津久井郡を結ぶ「津久井道」の宿場町から発展した古い町並みである

 

津久井湖畔と書いたが津久井湖は相模川を塞き止めて造ったダム湖なので歴史はこちらの町のほうが圧倒的に古い

 

 

津久井道は往還でも脇往還でもなく単なる「街道」だったので、制度的な宿場町はなく、大きな町は川崎市にある登戸とこの中野しかなかった

 

往還ではないとはいえ、甲州と相州、武州、そして江戸を結ぶ物流ルートとして利用度の高い街道だったため中野の町は、旧津久井郡ではもっとも栄えた町で、神奈川県最古の酒蔵も現存し、かつては「中野商店街」として、山間部の町としては大いに繁栄していた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、ここでも例によってバイパスが開通すると交通手段は自家用車が主流となってしまい、バイパス沿いの大型店に客を奪われ次第に衰退してしまった

 

とどめを刺したのが橋本駅から伸延される計画だった京王相模原線の計画が白紙撤回されてしまったことで、当時「いずれこの町には駅が出来て都心に直結する」という謳い文句で行った分譲は詐欺同然の結果になった

 

 

かつては近隣の集落の繁華街として店舗が軒を連ねた中野商店街も、現在は営業している店舗よりも廃業して放置されている廃墟が完全に上回り、まるで鉱山が閉鎖されて廃墟と化した町同然の寂れた様相を呈していた

 

 

 

 

 

 

 

 

「立ち食い 讃岐うどん・そば 木曽」という、よく考えると矛盾している屋号が、けっこうお気に入りの廃墟。できれば現役の頃、一度食べてみたかった店である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイパスが開通したため「旧道」になってしまったかつての繁華街には、モダンに改装したのはよいが後継者不足なのか廃業してしまった出桁造りの「都代田 渡辺商店」や大きな看板建築など二度とシャッターの開かない店舗が並ぶ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんな商売をしていたのか、おそらく昭和初期、あるいはもっと昔に建造されたに土蔵造りと木造厨子二階建て平入切妻の立派な商家も、シャッターは閉ざされたまま放置されていた

 

 

 

 

 

 

 

 

またしても巨大看板建築が……と、思ってカメラを向けるとわざわざ旧道をコースにしたバイクのツーリンググループが通過していった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「山本書店」のシャッターには、店をやめてから描かれたようなコミカルなイラストが施され、むしろ物悲しい雰囲気を漂わす

 

建物の横を見ると驚いたことに「カシグネ」が。これは生け垣を「塀」のように剪定して、季節風を避ける武州や相州でよく見かける往時の手法である

 

 

 

 

 

 

 

 

古そうな土蔵とわりと新しい看板建築が並んでいた。どうせ廃業しちゃうなら、古い建物も残してほしかった。と、自分勝手な感想が脳裏をよぎる

 

 

 

 

 

 

 

 

路地裏に入るといきなり軽トラが曲がってきたので反射的にシャッターを切った

 

 

 

 

 

 

 

 

神奈川県で最古の酒蔵「清水酒造」は残念ながら定休日で閉まっていた。杉玉は新酒ができた合図だと何かで読んだ記憶がある

 

 

 

 

 

 

 

 

中野商店街には、かなりの時間滞在したがバイパスがあるので車はほとんど通らず、住民はたくさんいるはずなのに、ほとんど見かけることはなかった

 

なんとなく寂しい思いをしていたら「ロザリー」という、えらく魅力的な現役の手芸店の前を双子のような姉妹とお母さんが通りかかり、なんとも言えないノスタルジーが胸に去来する

 

 

 

 

 

 

 

 

 

珍しく営業していた「えのもと酒店」に杉玉が下がっていた。こんな廃業した店ばかり目立つ中野には、造り酒屋、酒屋が4軒もあるのが興味深い

 

おそらくこのすぐ脇を通るバイパスにあるダイエーには、ロクな日本酒が売っていないからだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山あいのもっと小さな集落ならともかく、ここまで閉まっている店ばかりが並ぶ町並みは神奈川県ではレアケースだろう

 

今回は掲載しないが往時の商店街の写真を見ると、まるで都内にあるどこかの駅前商店街のように賑やかな町だったのが嘘のように思える

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの巨大看板建築もずいぶん以前に廃業してしまったようだ

 

この少し先に現役の美容室があり、旧道はバイパスに合流して終わっていた。合流地点にも大きなスーパーがあった

 

 

商店街は壊滅していてもバイパス沿いに大きなスーパーが2軒もあるため、買い物には苦労しないのたまろうが、商店街を愛する僕にとっては、なんとも淋しいかぎりの町であった

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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