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👧 《年間ベストショット2023年》4月・加須編 

 

 

 

 

 

埼玉県の宿場町シリーズではゲストを迎えた二度めの散策である

 

僕はこの加須という町は訪れるどころか近くを通過したこともない、まったくのアウェイで、しかも事前に調べると町の範囲が異様に広い

 

 

埼玉県に残る宿場町は基本的に江戸時代の宿場町の規模とさほど変わっておらず、異なるのは鉄道の開通に伴い中心街は駅前付近に移り、どこも寂れてしまっていることであろう

 

それに追い討ちをかけているのが、無駄な区画整理と道路の拡幅工事で、岩槻や春日部などは宿場町だった面影など、もはや跡形もなく消し去られてしまっていた

 

 

思えば戦後の発展というのは、高度経済成長期には絶大な威力を発揮した、田中角栄が子分とともに力点を置いた土建屋主体の再開発や区画整理事業に偏りすぎてしまったのに、保守政党はいまだに同じ轍を踏みパーティーで裏金を集め、その責任すらバックレている発展途上国よりヒドイ状況である

 

僕が独裁者ならば、あの連中は全員杭に縛りつけて、皇居の前に並べて銃殺刑に処すところだが、幸いにして僕はキムなんちゃらのような独裁者ではないから、あんなクソな連中も無事に生き永らえているわけだ

 

 

という、どうでもいい与太話はともかく加須の町は、昔はよほど繁栄を極めていたようで、その規模は川越や小川町に次ぐほど広範囲にわたって拡がっている

 

そこで案内人として、以前この町にお住まいだったブロ友「みぽぽん」さんに、無理やり案内を頼むことに決めた

 

 

みぽぽんさんとは、アースカラーでまとめたタイトルバック写真のなかで、見事に差し色になっている赤い服を腰に巻いた女性である

 

 

 

 

 

 

 

 

駅から5分も歩くとこんなヤバそうな戦前物件を見つけてテンションが上がった

 

 

ちなみに、この写真の左側には立派な薬医門を構えた広大な敷地の屋敷があったが、門と物置小屋以外はすべて更地にされてしまっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて加須といえば、まず紹介されるスペシャルな物件が「萩原時計店」、そして「新井商店」という2棟の銅板葺き看板建築だろう

 

どちらも東京型の見事な銅板葺きで、この様式の看板建築は加須以外にも菖蒲、騎西(解体済み)などにも見られ、おそらく日光街道や中山道を通うじて東京から伝わったものと考えられる

 

 

「萩原時計店」は、駅前通りにあった建物だが道路拡幅工事のため、こちらに移築されたもので、文化的にどんな貴重な建物でもそのまま知らんぷりでぶち壊してしまう飯能市などよりは、加須は多少意識が高いようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅前通りと直角に交わる街道筋がかつての加須の中心街であったが、例によってここでも建物が取り壊された更地が目についた

 

というか、埼玉県の宿場町で更地が目立たない町など見たことがなく、建物をリノベーションして町に新たな活力を呼び戻そう……という気概は一切感じたことがない

 

 

このまま古い町並みの破壊が続けば、埼玉県という自治体には、日本全国どこにでもありそうな店舗なんてショッピングモールしかない、くっそツマラナイ郊外の町ばかりになってしまうだろう

 

この事実に危機感を感じていない鈍重な自治体というのもスゴい。住民よ今こそ立ち上がれ! と、鼓舞したくなる

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは前々回の記事にて取り上げた武蔵野うどんの加須バージョン

 

ご夫婦が経営する中央食堂のうどんは、東京や埼玉西部の鬼のように固いものではなく、ソフトな感触で食べやすい。調べると加須のうどんは武蔵野うどんとは別に「加須うどん」と呼ばれているようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの写真からは宿場町の様式を残す鰻の寝床状の土地割りがよくわかるが、見方を変えればここに建っていた物件は、跡形もなく取り壊されたということで、ムラムラと怒りが込み上げる光景である

 

これが町の活性化や発展に繋がる何かになるのなら、まだ納得のしようがあるが、こういった貴重な歴史を土足で踏みにじり、どうでもいいマンションなどが建ってしまうのだから救いようがない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつての加須の繁栄を物語る3棟の洋館医院建築

 

川越や浦安など昔から栄えていた古くからの町には、洋館の医院が残っている例が多いが、加須にもこのような見事な洋館が3棟残されている

 

 

ちなみに「松本医院」の向かい側には土蔵造りの商家があったはずなのに、訪れたときは更地にされていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の2枚の写真は、駅前から優に2キロ近く離れた場所にあった戦前物件である。これだけでも驚いたのに、そのあともう1キロほど離れた騎西に続く街道の分岐点にも、看板建築と出桁造り商家の町並みがあり、ひっくり返るほど驚いた(写真3枚目)

 

これだけ駅前から離れても立派な商家が建っていたのは、同じ埼玉県では小川町しか思い浮かんでこない

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、こちらも驚愕した三階建ての繭蔵である

 

繭蔵は養蚕で得られた蚕を保管する蔵で、このように開口部が多いのが特徴的で、主として長野県に見られる様式だが、まさかそれが埼玉県のど真ん中にあるとは……

 

ちなみに地図を参照すると、この場所には老舗の繊維工場があったはずだが、見たかぎり稼働しているようには思えず敷地内の多くは更地にされていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先ほどまでは加須駅前から見て東京方面の町並みを見たわけだが、前述したように3キロ近く離れた場所にも戦前物件があった

 

一方、こちらの群馬方面のほうには、驚いたことに戦前の建物が町並みとして残されていた。が、ご覧になればわかるように、そのほとんどは廃業してしまっているようで、もはや廃墟街寸前の様相を呈していた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

驚いたのは、そこからさらに離れた場所にも一目見れば戦前からのものとわかる町並みが残っていたことだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

曲尺手状になっている部分にだけ看板建築がくっついている「梅沢酒店」は現役で営業していたが、向かいにあったテーラーもしくは仕立屋だったものと思われる立派な商家は、放置されており朽ち果てようとしていた

 

この先で、いったん町並みがほとんど途切れるが、古いストリートビューを見ると十年ほど前までは商家が並ぶ町並みが続いていたようだ。しかしその向かい側に巨大なスーパーが出来てしまったため、今は唯一、八百屋が頑張っているだけであった

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、巨大なスーパーの先の広い県道をわたると、さらなる驚きが待っていたのである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京方面と同じように、こちらの方面も駅前から優に3キロあまり離れたところから、戦前物件が並ぶ町並みが出現したのだ!

 

しかも、先ほどまでの死んだような町の雰囲気とは異なり、営業を続けている店舗がけっこう混ざっている

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは廃業して朽ち果てようとしている元歯科医院。パッと見は旅館のような佇まいである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これには理由があり、じつはこの商店街は不動ケ岡不動尊・總願寺の門前町で、土産物の五家宝で知られており、なかでも「武蔵屋本店」は、昭和初期に建造された看板建築のまま営業を続けている

 

じつは、みぽぽんさんとふたりで、こちらの五家宝をお土産に購入したのだが、間違いなく人生で食べたもっとも美味しい五家宝であった

 

 

どうやら現地にゆかなくても大宮で売っているようなので、いずれまた買おうかと考えている

 

 

 

 

 

 

 

 

總願寺のあたりで商店街は終わっていたが念のため寺院の裏手に回ると、そこにも一目で老舗とわかる武州では珍しい妻入の戦前物件の店舗があった

 

現地ではなんとなく酒屋だろうと思っていたが、帰宅後にGoogleマップで確認すると「和菓子屋」と記載されていた。ほんまかいな

 

 

ということで、加須は内容が濃いため記事を丸々1回使ってしまったが、次の久喜市には、久喜駅付近、橋場付近、そしてかつて水運で繁栄を極めた菖蒲と見所が3か所もあるので、またしてもそれだけで1回、いや、2回ぶんのスペースが必要だと思われる

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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