🏠🏠🍖🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠

 

 

 

 

 

 

 

🍖 ③次第に消えゆく昔の淵野辺の町並み  

 

 

 

 

 

前回の記事の最後でセカスト以外の目的地である1951年創業の老舗洋食屋「上海ジミー」にて衝動的に「牛すじ丼」を食べた顛末まで記した

 

 

そして、この記事は最初の淵野辺散策から2週後に書いているのだが、前回2度めの取材と書いたが、じつはこの記事は3度めの淵野辺取材から帰る途中の車内で書いている

 

つまり、この2週間のあいだに淵野辺には3度訪れ当然のように「上海ジミー」も3度訪れた

 

 

僕はわりと一度食べた食べ物屋を連続して訪れることはない性格だから、これはかなり異例なことで、つまりそれだけこの店の味に惹かれているということになる

 

という前おきはともかく「上海ジミー」のあたりで駅前商店街は唐突に終わっているが、これは町並みがそこで終わっているわけではなく、その先は古い町並みが一掃されてファッキンなビル群に取って替わられているからだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の写真が「上海ジミー」と、その後ろ側に聳えるビルで、この写真の右側からほぼワンブロックは道の両側とも大きなビルにされてしまっており、昔の風景を想像することは不可能だ

 

一方、下の写真は「上海ジミー」の斜め向かい側の風景で角地には、わずかに戦後型の看板建築が残っているが、その奥(写真の右方向)にも、やはり高層マンションが聳えている

 

 

しかし、駅側から見て右側には、かつての風景を彷彿とさせる町並みが、かろうじて残されていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道を曲がってすぐの場所には、軒先のクレハロンテントの文字が消され廃業しているものと思われるメガネ店と、その隣には「理容スズキ」という店があった

 

理容スズキは店舗の部分が住居仕様にされているようにも見えるが、屋内には明かりが灯っており、無住にはなっていないようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先で駅前のアーケード商店街から曲がったところにある商店街の外れに出た

 

終戦後に米軍が基地を設けたあとは、この商店街が歓楽街となり、いかがわしい飲み屋や売春宿などが並びペイデイのあとは、札束が乱舞し夜な夜な米軍兵士やヤクザ者、不良学生たちが乱闘騒ぎを起こしていたというブームタウンの面影は欠片も残っていない

 

 

現在、古い建物は、ほぼ一掃されており、どこにでもありそうな駅前商店街といった面白味のない風景にされている

 

ただ角地にあった「リトルフジヤ」という洋品店や「上海ジミー」といった店の屋号に、かろうじて米軍兵士が大勢いた頃の雰囲気を感じさせた

 

 

「上海ジミー」というのは、いかにもレトロを狙った最近の店のような屋号だが、この店の創業は1951年である

 

二代目店主のインタビュー記事によると敗戦で抑留されていた先代が中国大陸から帰国して店をはじめたという話なので、上海というワードには何らかの意味があるのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつての怪しい飲み屋街は完全に滅びたものと思っていたら、ちょっと怪しい一角を見つけた

 

同じような時期に建造されたものと思われる戦後型の看板建築が一例に並んでいて、そのうちの1軒はまだ現役で営業しているではないか

 

 

しかしその向かい側は、1棟の建物を除いてすべて更地にされている

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、かつて(いや、現在もか)地上げが横行した東京の町でよく見かけた典型的な地上げ風景である

 

まるでオセロゲームのように、周囲をひとつひとつ潰して土地を取得して、残った建物にプレッシャーを与え、後ろに見えているマンションのようなクソみたいな建物をこの場所に建てようという意図なのだろう

 

 

かつて渋谷の東急109もその手法で恋文横丁を潰したが、最後まで土地を売らず109の一角にクジラ料理屋が残ったことを想起させる光景だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは片側一列は片付けたけれど、もう片側は丸ごと残っているので、この精肉店が頑張っているのか、あるいは他の看板建築の土地の権利者が不明なのかどちらかだと思われる

 

さらに、この路地の入り口には一軒家があるので、交渉の難航が予想されるため、こちらの片側ははじめから予定地に入っていない可能性もあるだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

淵野辺の町は、東京の町とは違って街灯が少ないため、暗くてよく見えなかったけれど精肉店の周囲は、すべて廃業しているように見えた

 

向かい側の土地が地上げされる以前は、どんな風景だったのか興味があったので、例によって過去のストリートビューで確認してみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうやら2010年の段階で向かい側の土地は、すでに地上げされており、後ろに聳える高層マンションも完成していることから、淵野辺の再開発は、推理したとおりかなり以前から行われていたようだ

 

しかしまだ周囲の店にある軒先のクレハロンテントは、さほど悪い状態ではなく精肉店の隣にある店は、軒先テントを伸ばしていた

 

 

このことから、向かい側の建物が地上げされる以前は、クレハロンテントによる簡素なアーケード商店街になっていたのではないかという想像が浮かんだ

 

もし、そのような物件が残っていたならば多くのレトロ建築ファンを惹き寄せたにちがいない

 

 

ということで……続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍖🏠🏠