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🍳 ②そして上海ジミーで牛すじ丼を食べる 

 

 

 

 

 

まあ、はじめからあまり期待していなかったが、セカストがスカだった。次の目的である1951年創業の老舗洋食屋「上海ジミー」に向かうため、県道を左折して駅前通り方面に曲がる

 

その道と駅前通りの交差点は五叉路になっており、角地には木造量平屋建ての古い建物で現役で頑張っている精米店があった

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらがその精米店で、とても首都圏のJR駅から徒歩5分の場所にあるとは思えない佇まいだ。ここだけ焼け跡にバラックが並ぶ戦後間もない風景が凍結されているような雰囲気であった

 

この精米店のある五叉路の駅前通りを挟んだ向かい側にも……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おそらくかなり以前に廃業(註・現役と確認された)してしまったものと思われる「梅津時計店」などが入居している隅落としの看板建築があった

 

こちらは戦後すぐ。というより昭和30年代を彷彿とさせるような建物で、駅前通りの一等地にこうした物件が残っていることから、この町の最盛期は昭和20~30年代ではないかと推理する

 

 

というのは、戦前も陸軍関連の施設がたくさんある軍都ではあったが、それらの施設は終戦になり米軍に接収された。米軍が進駐した町は横浜を筆頭に横須賀や福生、立川など、明治以降の新興の町を、たいていドルが落ちるブームタウンにしたからだ

 

海軍は横須賀、空軍は所沢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五叉路の最初の2枚の写真は、Pモードで撮影して加工で明るさを持ち上げた写真であるが、やはり盛大なノイズが入っている

 

一方、下の2枚はEXRモードで撮影した写真を加工で逆に暗くしている写真だ。こうして比較してみると、あまりノイズも出ていないし解像度もなかなかの写真になっている

 

 

撮影しているときは、あまり再現性のないショボいモニターだから画像は確認できないため、ここまで違いがあるとには、まったく気がつかなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅前通りは五叉路までは片側アーケードになっており、繁盛している駅前商店街といった雰囲気であったが、五叉路から先はいきなり寂れた雰囲気に変わった

 

アーケード商店街は、ほとんどすべての店が現役で煌々と明かりが灯っているのに、五叉路から先は街灯も暗く廃業しているのか、あるいは営業時間が終わっているのか、とにかく店のシャッターが下りて真っ暗なのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

五叉路にあった平屋建ての精米店の横は、明らかに古い建物が取り壊された不自然な更地になっており、その並びには古い看板建築と同じ幅しかない細長いビルが建っていた

 

ストリートビューを遡りどんな建物があったのか確認してみたが、淵野辺の再開発は最古のビューより以前のことで、どこの更地も2010年の段階で更地というパターンばかりであった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その向かい側に、営業時間は過ぎているが戦後型看板建築の現役の八百屋があった

 

 

どうやら昔の商家の造りのままのようで、つまり店舗の2階が住居になっていて営業を終えたら2階に上がるだけで、そのまま寛げるという寸法だ

 

近ごろは、そういった造りの店でも住居は別にあり通いで働くパターンが多くなったが、こちらの物件は2階の窓から明かりが漏れているので、職住一体型の伝統を守っているようだ

 

 

僕は幼い頃、両親が経営するこういった様式の建物に住んでいたので、なんとも言えないノスタルジーにとらわれた

 

もっとも、その後、父親が事業を拡大したのを機に僕はひとり暮らし(中学三年生のときだ)をはじめ、そういった生活は終わったので、住んでいたのは小中学校時代にかぎられるが……

 

 

 

 

 

 

 

 

その先に三軒長屋の看板建築があったが、これは取材2回めに撮影したので、時刻が遅く真っ暗な写真しか撮影できなかった

 

SONYのRX 100ならISO感度24000の夜間モードがあるので余裕で撮影できるだろうが、さすがに2009年のカメラには無理なシチュエーションである

 

 

などと寄り道をしながら……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅前のバスロータリーを抜けて、アーケード商店街が終わったあたりにある老舗洋食屋「上海ジミー」に向かったのだが、このとき僕は無意識のうちに駅前ロータリーを撮影していた

 

ところが帰宅してロータリーの写真をよく観察すると、どうもこの一本裏手にも商店街があるように思えて、いろいろ調べてみると意外なことが判明した

 

 

先ほど、この町のピークは米軍が進駐した昭和20~30年代ではないかと、テキトーな推理をしたが、やはりその説は間違いではなかったみたいなのだ

 

この近くにはキャンプ淵野辺(現在は淵野辺公園)という基地があり、周囲にもたくさん米軍基地があった。荒くれ者の兵隊が集まるところに売春はつきものだ。なので、たとえば福生のような歓楽街が必ず発生する

 

 

どうやら相模原では、この淵野辺の町にそういった歓楽街があり、それはこのアーケード商店街の裏手にあったらしい

 

そのことを知ったこともあり翌週、急遽この町を再び訪れることにした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが老舗洋食屋の「上海ジミー」である。予定では名物の牛汁を食べるつもりであったが、店頭に置かれた看板の「牛すじ丼」の文字に惹かれて思わず牛すじ丼(小)を注文してしまった

 

この牛すじ丼、なんとたったの600円!

 

食べてみるとかなり濃い味付けで紅しょうがは必須、牛すじの柔らかさが印象に残った

 

 

前文を読むと、いかにも駅前ロータリーの町並みを見て再訪を決めたような印象を与えるが、これを食べたとき次は牛汁も食べてみたい。と、僕のなかではすでに再訪を決めていた

 

ちなみに、この店の看板メニューは、牛汁とハンバーグなのだが何故ハンバーグにしなかったかというと、単純にあまりにも暑すぎるため、鉄板からジュージューと肉汁が滾るハンバーグに気持ちが向かなかったからである

 

 

なので、ハンバーグはもう少し涼しくなってからだな。と、本筋から外れたところで……続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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