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🍚 ①まずは淵野辺の歴史的背景から説明する 

 

 

 

 

 

何故タイトルからいきなり靴の写真かというと、この散策のときはこのシルバノサセッティによるノルベジェーゼ製法のラルフローレン・パープルレーベルのセミブローグ「カレル」を履いていたからで、とくに深い意味はない

 

 

ところで今回の淵野辺の記事は、はクッション記事とも通常のものとも少しおもむきが異なる内容である。では、どう異なるのかまず説明しておこう

 

まず、何故に淵野辺かというと、きっかけは最近この町にセカストが出来たので様子を見に行って、ついでに以前から気になっていた1951年創業の洋食屋「上海ジミー」という店で夕食を摂ったことである

 

 

つまり淵野辺という町自体には、さほど興味はなかったわけだ

 

そもそも相模原方面には、古くから拓けた町というものはほとんどない。したがって古い町並みなども存在せず、米軍基地や自衛隊関連施設、JAXA、大学などの大きな施設、国道16号線沿いの郊外型大型店舗。そして町のほとんどが田圃や畑、荒地を開発した住宅街……

 

 

というのが、僕の相模原方面に対する印象だ

 

まあ、範囲を拡げれば厚木や座間、海老名に。この地区に限定すると上溝、橋本、大山詣での宿場町の田名あたりに戦前から町が拓けていた。ところが相模原市に、そういった「古いものを大事にする」という発想はまったくない

 

したがって、古い街道はことごとく区画整理、道路は拡幅で、昔の町並みなどは欠片も残っていない。おそらく周囲の町村を合併しまくって、さいたま市のような政令指定都市にすること以外考えていないのだろう(典型的な田舎者の発想だな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで今回は、そのような見所などなさそうな町を短期間に2回訪れているため、写真の前後関係が多少こんがらがっていることを最初にお断りしておく

 

上の写真は淵野辺駅の様子。下はそこから直線的に延びる片側アーケードの駅前商店街であるが、これは2度めの訪問時に撮影したもので、もう日没後だ

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが淵野辺駅の周辺の地図だ。薄くオレンジになっている区域が商業地区である

 

これを見るといわゆる商店街は地図の真ん中を横切るJR 横浜線の上側にしかなく、下側は駅前付近にいきなり公園があり、その先を相模原方面の幹線道路である国道16号線が横切っている

 

 

このあたりの町は、郊外型大型店は駅前付近よりもこの国道沿いに集中している。そして、元々は荒地と新田だったことからわかるように、町は横に広いアメリカの田舎のようなロケーションだ

 

したがって、必然的に移動手段は車ということになり、駅前商店街は、どの町もあまり発展していないという特徴がある

 

 

とはいえ、戦前から軍都として開発、区画整理され、戦後はそのまま自衛隊や米軍が駐屯しているため、歓楽街は必然であり戦後は、この淵野辺駅の商店街の裏手にそのような町があった

 

このことは、一度めの訪問の後に調べてわかったことで、最初に訪れた時点では、そのような予備知識などは欠片もなかった

 

 

 

 

以上が淵野辺に関する長い前置きである--ということで、最初にこの町を訪れたときの話に移ろう

 

最初にこの町を訪れたのは日頃から新店舗が出来るたびに、なるべくチェックするようにしているリサイクルショップチェーンの「セカンドストリート」を訪ねるためだ

 

 

駅を降りると駅舎の横には、いきなり桜美林大学の新校舎があり驚く。まさに駅の真横だ(桜美林の本拠地は、駅前通りの突き当たりにある)

 

そして、その先には青山学院大学の相模原キャンパスがあり、並びに國學院大學の運動施設、隣の矢部駅には麻布大学のキャンパスがある

 

 

これは要するに、かつては軍都として大型軍事施設が多かったため跡地を軍事利用だけではなく、大学などの大きな土地が必要な施設なども造りやすかったためであろう

 

 

 

 

 

 

 

 

とりあえずセカストに向かうため、桜美林大学の駅前キャンパスを通りすぎて、線路沿いをしばらくゆくと旧道を拡幅したものと考えられる広い道(県道57号線)が横切る箇所に出た

 

おそらく以前は踏切だったものが、アンダーパスに造り換えられたような雰囲気は、新興の町ではお馴染みの風景と言えよう

 


 

 

 

 

 

 

 

アンダーパスの出口の横には壁面に「エスポット」と記された大型スーパーのような建物があった

 

えっ、これのどこが旧道なの? もっともな疑問である。僕がこの道は旧道を拡幅して利用したのではないかと思ったのは、地形的に見てかつて踏切があったと思われる場所の目の前に……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと木造二階建て平入切妻、そして建物の裏側は片流れ風になっている、典型的な武州スタイルの出桁造り商家があったからだ

 

 

 

 

 

 

 

 

典型的な武州スタイルなのは、このあたりは相模の国ではあるが、相模には、下総のような特徴的な建築様式がなく矢倉沢往還(大山街道)、絹の道(横浜街道)などにより、江戸や武州の文化が入りやすかったためだろう

 

しかし商家とは書いたが、現在はすっかり住居仕様に改装されてしまっているため、よく観察しないと気がつかない物件だ

 

 

このような物件があった場合、その建物だけが単独で残っている例はむしろ稀で、必ず他の建物もあるにちがいない……と、考えながらセカストに向かっていると

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦後型ではあるが、かなり昔(昭和30年代ぐらい?)に建造されたものと思われる現役の寝具店があった

 

そのすぐ先にセカストがあったけれど、古着らしい古着はほとんどなくガッカリした

 

 

この道をセカストから東方面にすすむと町田忠生を抜けて小野路方面に出るので、やはり上書きされた古道と考えてよいだろう

 

ちなみに一応ストリートビューで追ってみたが、駅の反対側の東横インの向かい側に、渋い戦後型看板建築を見つけただけで、古い建物は皆無であった

 

 

この通りには見切りをつけ次の目的地、駅前商店街にある1951年創業の老舗洋食屋「上海ジミー」に向かうため、駅前通りに出るものと思われる道を左に曲がった

 

 

すると駅前通りとの交差点に、いきなりこんな物件が!

 

 

 

 

 

 

 

 

どことなく戦後間もない頃のバラックを想起させる平屋の精米店である

 

 

この画像は、間に合わせに購入したFUJIのファインピクスF200-EXRで撮影したものだが、まだ使い方がよく理解できないため試しに2種類の手法で撮ってみた

 

上の画像は暗所に対応したEXRモードで撮影したが、やけに明るく不自然な絵になってしまったので、コントラストを上げながら暗く加工している

  

 

 

 

 

 

 

 

一方、通常モードで撮影してみると今度は画面が暗くなりすぎるため、写真を明るく加工すると似たような絵にはなったが、ノイジーな画質になり、さらに階調がイマイチ不明瞭だ

 

この結果を見て光源が乏しいときはEXRモードで撮影して、その都度加工するのがベターだと思われる

 

 

この散策のときは、まだカメラを購入したばかりで、どのような機能があるのか理解していないため見苦しい写真が連発するが、そのあたりは多目に見ていただけると助かる

 

 

 

 

 

 

 

 

精米店のある交差点は、変形五叉路になっており、駅前通りを挟んだ反対側にも……

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな渋い戦後型看板建築があった

 

ということで初回記事は説明に終始してしまったが、次回からはいつもどおりのユルい散策に戻る予定だ

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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