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🔌 ④垢抜けない昭和の町並みと豪商の跡  

 

 

 

 

 

久喜市の菖蒲、橋場(町名は本町)ときて、ついにクライマックスの久喜駅前付近までやって来た

 

久喜にはかつて代官陣屋が置かれ交通の要衝として繁栄したそうだが、昔の写真を見ると菖蒲のほうが栄えていたような印象を受ける

 

 

とはいえ、このあたりは物資の集散地として、かなり繁栄していたようだが、ネットで調べるとかつての町並みは、新しい建物に取って替わられていて、ほぼ消え去っている。という評価が多かった

 

といっても橋場地区から駅前に続く提灯祭り通りは、見事に昭和中期頃の姿を保っており平成以降はほとんど発展していないように見受けられたので、もっと早い時代に近代化されてしまったのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

などと考えていると愛宕通りの直前で、「平沼電気」という渋い平屋の看板建築が目に入った

 

電気店といえば家電量販店の巨大な姿を思い浮かべるが、町の電気屋さんは固定客が主体なので、この規模の店舗で成り立っていたものと思われる

 

 

隣の建物との隙間から建物の横の部分がチラリと見えており、この建物が戦前物件だということがわかる。もしかしたら昔はこの店の前に設置されたテレビを見て、久喜市民は力道山のカラテチョップに熱狂したのかもしれない

 

視認できないのが残念であるが、おそらく看板を取り払うと出桁造り商家が姿をあらわすのではないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

その並びに大きな廃ビルがあって驚いた。ここはもう駅の真ん前と言っても過言ではない立地なのに、いったい何が起こったのだろう

 

建物を見ると一般的な商業施設ではなく銀行かデパートのような造りで、気になったのでストリートビューで確認してみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

どうやら昨年までは「武蔵野銀行」として営業していたようだ

 

武蔵野銀行が経営破綻した話など聞いたことがないので、どこにかに移転したのだろうと思ってマップを見ると、駅前の一等地から離れた、僕がこないだダブル餃子を食べた「ぎょうざの満州」より先のショボい場所に移転していた

 

 

経営破綻はしていなくても駅前一等地で経営する維持費も出ないのだろうか?

 

 

ところでこの元銀行の向かい側には……

 

 

 

 

 

 

 

 

一見すると平凡な戦後型の看板建築があった。建物は見事に左右非対象になっており、向かって右側だけストライプになっていた

 

この左右非対象看板建築、正面から見るとおもしろくもなんともないが、幸い(と、言ってよいのか)隣の建物が取り壊されて更地になっていたので、建物の横面が丸見えになっており

 

 

 

 

 

 

 

 

けっこう古い建物だということがわかった

 

正面から見ると二階建てに屋根裏部屋がありそうな建物に思えるが、こうして横から見えてしまうと、2.5階の屋根裏部屋部分は見せかけでペラペラなパラペットであることがわかる

 

 

ある意味、これは文字通りの看板建築といえるだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

提灯祭り通りは、元武蔵野銀行のビルの前で愛宕通りと交差していた

 

武蔵野銀行の向かい側(駅側)の角には向かって左に昭和中期といった佇まいの看板建築と、右側に3階部分がコンプライアンス的に微妙な増築が為された怪しい建物があった

 

 

当初は二階建てとして建てられた物件に、無理やり3階を増築というか、プレハブ小屋のような物を乗っけるのは、東京のアッパーイーストサイドではお馴染みの光景だが、まさか東京から遠く離れた久喜で見るとは驚きである

 

 

 

 

 

 

 

 

撮影していた位置の後ろを振り返ると、そこにはインディペンデント、サンタクルズ、パウエルペラルタという懐かしのスケートブランドのマークが!

 

「うわっ、懐かしい」

 

 

僕が高校生の頃の話だ

 

まだスケートボードブランドは一般的ではなく中野ブロードウェイにあったアメカジ屋が、パウエルのTシャツやスウェットを直輸入したが、当時はまったく知名度がなく大量に売れ残ってしまい、店頭ワゴンセールで投げ売りされていた

 

 

僕もさほど興味があったわけではなかったが、パウエルはデザインがカッコいいので投げ売り価格で購入して普段着にしていた。後にスケボーブームが起こり、投げ売りされていたスウェットのレア物などは、僕が購入した値段の十倍以上に高騰したのだから凄い

 

という、どうでもいい話はともかくとりあえず愛宕通りを右に曲がると

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いきなり廃業した大きな店が右側に、そして左側は地上げしたのはよいが、そのまま何らかの皮算用が破綻したものと思われる広大な更地があった

 

以前は何があったのだろうと過去のストリートビューを見てみるが、もっとも古い2012年の段階で、すでに現状と変わらず嫌な想像が脳裏をよぎった

 

 

上の写真の駐車場の奥に大きなマンションが聳えているが、調べてみると十数年前までその場所には、文政四年創業の寒梅酒造という造り酒屋の醸造所と出桁造りの立派な店舗があったけれど、事業所移転のため跡形もなく取り壊されてしまったそうだ

 

この広大な更地は醸造所の跡地なのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

更地の先には看板建築のテーラーがあったので、店内というか作業場を覗いてみると作業台の上に一輪の花が飾られていた

 

が、観察力の鋭い読者諸賢ならもうお気付きのことと思うが、テーラーのウィンドウに何やら気になるものが映りこんでいることかわかると思う

 

 

一見すると寺院の門のようにも見えるが、テーラーの向かい側には……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思わず唸るような見事な商家が残されているのだ!

 

重厚な出桁造りの建物に土蔵が備わり、店舗の部分の後ろにも住居部分と思われる建物がチラリと見えている

 

 

ということで、長かったこのシリーズに、ようやく真のクライマックスが訪れた。次回はこの建物を紹介するが、それだけでは終わらない

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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