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□ ⑤懐かしい畳屋に過去の繁栄を見た
久喜の駅前から続く提灯祭り通りは、どういう理由なのか駅から1キロほど離れたあたりで左に90°、その少し先で今度は右に90°曲がっており、つまり曲尺手状になっていた
久喜は城下町というわけではなく、また主要街道の宿場町でもなく、ましてや中原街道の丸子宿、小杉村のように江戸の入り口というわけでもない
前々回の記事では用水路説を唱えてはみたが、2度曲がる説明としては若干説得力に欠けると言わざるを得ない
このあたりは地元の図書館や郷土資料館あたりに行って調べるしかないのだが、自宅から遠すぎて、そういう機会もなかなか作れないため結論は先送りする
さて、駅から見てふたつ目の曲尺手には、更地を挟んで2棟並んだ戦前物件の出桁造り商家があった
いずれも廃業してしまっていたが、駅よりのほうの物件「ハラヤ洋服店」は……
2010~2012年のあいだに廃業して、その後無住で放置されているような状態で、増築された部分が半壊状態の廃墟になっていた
店舗があった主屋のほうは、さすがに昭和初期頃の建造物だけあって、良質な建材を使用して腕の立つ棟梁が建てたのだろう。細部は荒れていても基本的な部分は、ビクともしていなかった
これがバイトの兄ちゃんでも造れるツーバイフォー工法の現代の建て売り住宅なら、とっくに崩壊しているだろう
ちなみに工業高校に通っていた僕の弟は、同級生の親が経営する工務店でバイトしていたが「今の家なんてオレでも余裕で造れるよ」と、豪語していた
もっとも弟は車のサスペンションも自分で交換してしまうほど手先が器用なので、一概に誰でも造れるとは言いいがたく、手先が不器用な僕が建てたら、震度3ぐらいで倒壊するかもしれない
建物の、横部分を見るとお約束の放置自転車があったが、思いの外ガラクタは積まれていなかった。まあ、そのぶん増築された部分に山積みされていたが
2階を見上げると木製の高欄がそのまま残されていたが、こちらは腐食して崩れかけていた。正面と違って陽射しが差さないから濡れたら乾きにくいからだろうか?
その先に、明らかに元商家と思われる平屋建ての看板建築があった
こちらは店舗部分の塗装が新しいので、住居としては現役なのかもしれない。しかし、2012年のストリートビューを見て、どのような商売をしていたのか探ってみると……
その時点ですでに廃業してしまっており、屋号などは一切記されていなかった……が、現在はRC構造3階建ての店舗になっている隣の畳屋を見ると衝撃的な映像が!
これが2012年のビューでこの建物を見た映像。すでに屋号などは記されていない
--が、注目すべきはそこではなく3階建ての畳屋の旧店舗が残っていることで
これには思わず唸ってしまった。東海道品川宿には見事に旧態を保った平屋建ての畳屋が残っているが、こちらの物件もそれにまったく退けをとっていない
いや、厨子二階建ての凝った造りのぶん、僕はこちらの物件に軍配を上げたい。もっともこれは過去の映像で、今は味気ないRC構造の店舗に変わってしまっているが……
一瞬、なんてもったいないことを。と、失望感に襲われるが、むしろ現在も現役で営業していることを称えるべきかもしれない
ところで廃墟の「ハラヤ洋服店の真向かいに、町工場のような平屋の建物が残っていたが、とくに古民家というわけではないので撮影もせずスルーしていた
ところが2012年のストリートビューを見ていて、偶然その建物にフォーカスを当てると
「折原豆腐店」という店だと判明した。ちなみに僕が散策したとき、この大きな袖看板は撤去されてしまっていて、豆腐店だとは気がつかなかった
えっ、なんでそんなことを話題にするかって?
じつはこの「折原豆腐店」というワードが、なんとなく引っ掛かるのだ。そんな店は見たことも聞いたこともないのに何故だろう
モヤモヤした気持ちのまま、なんとなく自分のブログ記事を見返していると、その疑問はたちどころに解消した
これは少し以前の記事に紹介した精肉店の店内に無造作に置かれた「むつみ商店会」という名称が確定した証拠の木箱が写った写真だが、商店会の木箱の隣に「折原豆腐店」と記された段ボール箱があるではないか
ということは、おそらくこの精肉店は、おからコロッケなどの惣菜の原材料として、折原豆腐店の製品を使用しているのだろう
これだけ商店街の活動が垣間見えるのに、商店街の街灯が撤去されてしまったのは、戦前から続いている「むつみ商店会」は、現在の寂れた様子からは想像もつかないほど賑やかだったのだろう
そのような全盛期から比べて現在の状況は、とても商店会とは名乗れないのかもしれない
菖蒲もそうだったが、駅に依存せず発展した商店街は、どこもこのように衰退してゆく傾向が強いようで、そういえば横須賀の田浦でも、駅からトンネルを抜けないと辿りつかない戦前からの商店街も寂れていたことを思い出した
なんとなく寂しい気持ちになりながら、それでも過去のビューを見続けていると……
現在は跡形もなくなっているが、その他にも「なら山商店」という戦前物件と思われる建物を発見した
素朴なフォントで記された「なら山商店」の看板は、じつに僕の好みにピッタリで、出来ればこの目で見てみたかった。残念
それでも畳屋の向かい側には、入母屋造りの「セキ美容室」という戦前物件の可能性の高い現役の店があった
ここでも菖蒲と同様に「床屋は寂れに強い」ことを証明していた
畳屋と入母屋造りの床屋のすぐ先で、提灯祭り通りはまたしても曲尺手状に直角に90°曲がって、そこから先は久喜駅前まで一直線に続いている
その角地には何やら味わい深そうな看板建築が見えた
この曲尺手を曲がったあとは、いったん商店街は途切れるが、再び店舗が並びだし久喜駅の商圏に入る
つまり、このシリーズは「第一部・菖蒲」、「第二部・橋場」、そして次がいよいよシリーズ最終章「第三部・久喜」と、本当のクライマックスを迎えるわけだ!
続く
†PIAS†
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