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🚲 ②懐かしい町並みの魚屋と自転車屋  

 

 

 

 

 

久喜駅から菖蒲に向かうバスの車窓から偶然、昭和の風景が残る町並みを見つけた。耳を澄ませて停留所の名前を記憶する。「橋場」という地名のようだ

 

 

区画整理などがすすみ伝統ある町名を、役人の都合で◯◯中央一丁目とか、東◯◯二丁目などという無味乾燥とした名称に変える、我々の先祖が築いてきた歴史に唾を吐くような愚劣な行為が横行しているが、バス停や交差点の信号、踏切などに昔の地名が残っている例は多い

 

(センスの欠片も感じない高輪ゲートウェイ駅などはその愚劣な最たる例であろう)

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に「おっ」と思ったのは、昭和初期の姿をよく保ったこちらの「瀬田屋酒店」である

 

シャッターは半開きで廃業してしまったように見えるが、ストリートビューを見ると、どうやらまだ現役のようだ

 

 

瀬田屋酒店から菖蒲方面に少し戻ったところに……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるでルノー・カトルのような洒落たブルーに塗装された軒先を見ただけで、素敵な建物だとわかる平屋看板建築を見つけテンションが上がった

 

入り口の扉の上に、こういった明かり取りがある建物は、それだけで古いものだと見当がつく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん。素晴らしい! 僕の大好物である戦後間もない頃の雰囲気を残した平屋看板建築。非の打ち所のない完璧なプロポーション

 

 

軒先の青いクレハロンテントは破れ看板のペンキは、ほとんど剥げ落ちて下地のブリキが覗いており、何が書いてあったのか判読できない

 

しかし、なぜか鏡の前に整然と置かれた鉢植。塵ひとつない入り口の様子から住居としては現役で使用されているようだ

 

 

どのような商売をしていたのか、恒例になった過去のストリートビューを見てみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ営業していた頃の姿が残されていた

 

2012年の段階で、すでに看板の文字は読み取れないが、入り口の扉は全開になっていて、店舗の中央に斜めになったガラスのショーケースが見えている

 

向かって左側には、何かを洗うためのシンクが設えており、水を使う業態だということが類推できる--これだけヒントがあれば答えは簡単。鮮魚店、つまり魚屋だったとみて間違いないだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元鮮魚店の並びには渋い平屋の住宅があった。こちらも戦前というより、焼け跡の雰囲気が漂う昭和20~30年代テイストの物件だ

 

建物もよかったが、隣の建物との隙間がまた素晴らしかった。コンクリートの簡易石畳も好みだが、それよりもこれらの板戸は、どこから持ってきたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先も昭和中期で時を止めてしまったかのような、いつかどこかで見たような懐かしい雰囲気の町並みが続いていた

 

これが東京の下町だと、このような低い建物のあいだに違和感たっぷりの景観クラッシャーの代表格であるマンションが入りこんでしまうため、風情もへったくれもあったものではない

 

 

定番のブルーに塗装されたブリキ波板の倉庫のような建物の隣にも、何やら期待できそうな物件が見えている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今や絶滅危惧種のガラス看板の「ナショナル自転車・サイクル用品 川羽田輪業商会」を見るまでもなく、昔懐かしい町の自転車屋である

 

 

自転車屋といえば……

 

僕が小学生の頃、同級生の家が自転車屋で、ある日パンクの修理を頼んだら、リムからタイヤを外すときに、タイヤレバーなど使わずリムとタイヤのあいだにいきなり親指を「ズブッ」と入れて、10秒ぐらいでタイヤを外してしまった

 

 

慣れないとタイヤレバーを使っても外すのに苦労するのに、まさに職人芸に畏敬の念を覚えた。僕はといえば修理の過程を子細に観察して、手順を頭に刻みこみ次からは自分でパンク修理をするようになった

 

今でもパンク修理などは5分もかからず出来るが、手が汚れるし面倒臭いので、先日パンクしたときは迷わず近所の自転車屋に直してもらった。これも一種の堕落と言えるだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

向かい側にも昔の日本の風景を絵に描いたような渋い平屋建ての住宅があった

 

屋根の造りや見事な板塀などを見ると、こちらは先ほどの平屋建て住宅とは異なって終戦直後というより、昭和初期のおもむきを感じさせる

 

 

しかし、屋根の左側を見ると屋根瓦の一部が崩壊してしまっている。玄関を見るかぎり現役で使用されている雰囲気なのに、その点だけが不可解であった

 

 

 

 

 

 

 

 

わざわざ古民家を模した新しい建物があると思ったら大きな看板に「手打ちうどん きそば 関野屋」とある

 

加須に続いてこちらの久喜もうどんが名物なのだろうか?

 

 

バスの車窓から観察したかぎり商店街は、この先でだだっ広い県道に分断されて唐突に終わっているが、おそらく道路拡幅以前はもう少し先まで続いていたのではないだろうか?

 

とりあえず県道まで商店街は続いてるので、最後まで見てみよう

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†