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🍶 僻地にある出桁造りの酒屋を見る 

 

 

 

 

 

さて、長々と続けてきた鶴見の散策シリーズもついに最終回を迎える

 

最初は總持寺のある側の商店街を徹底的に追及し、駅前の駒丘商店街からレアールつくの、そして末吉商店街池下通り会からMORINAGA工場前の出桁造りの酒屋まで

 

 

次は海側のほんちょう商店街から潮田銀座と、これで駅の商圏にある商店街は、ほぼ網羅したものと思われる

 

で、最後に残ったのが、もはや駅の商圏かどうかは微妙な上末吉、下末吉の商店街で、鶴見駅とは反対側の綱島方面からアプローチして、ついに国道1号線の交差点までやってきた

 

 

国道から先のMORINAGA工場あたりは前の前のシリーズで、すでに取り上げているため、重複を避けるのと“とっておき”として残しておいた「隠し玉」を見にゆくために、国道の手前を右に曲がった

 

すると間抜けなことに、まったく意識していなかった鶴見の錆王に出会いビックリしてしまった

 

 

鶴見の錆王の先の交差点を右に曲がると

 

 

 

 

 

 

 

 

現役で営業中との情報をいただいて驚愕した居酒屋「惣菜・軽食・おでん 都留屋」のところに出る

 

この写真を右にゆけば国道1号線を超えて、レアールつくの商店街に出る。先日の散策ではレアールつくの側から、この少し先まで歩いて引き返したわけだ

 

 

都留屋の写真を左側に歩いてゆくと左手にセブンイレブンがあり、先日の散策では、猛暑日のため午後遅い時間からの散策のため、セブンに到着した段階でもう日没寸前であった

 

隠し玉は、そのセブンからさらに数百メートル先にあるため、暗所に弱いFUJIのxq-1ではロクな写真が撮れないので、そこで引き返してしまった

 

 

が、むしろ今回は、隠し玉のために散策を行ったと言っても過言ではなく、よい写真が撮れそうな気がする

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隠し玉に向かっていると右手に想定外の古民家を発見!

 

建物の構造から戦前物件かどうかは微妙なところだが、昭和30年代以前は間違いないだろう

 

 

1階の部分は左側の戸袋部分は別にして、正面のすべてが開口部なので、何らかの商売をしていたものと考えられるが、剥がれてしまった壁の板などを見ると廃業してから、かなりの年月が経過しているようだ

 

建物の向かって左側はガレージだったようで、シャッターが半開きになっているのに、車は停まっておらず落ち葉が堆積していた

 

 

ガレージと店舗部分のあいだから繁茂した蔦が、恐ろしい勢いで建物を侵食しており、ハーフもじゃハウス化している

 

 

 

 

 

 

 

 

よく見ると店舗部分の雨戸の下の部分が黴のようなもので白く変色しているが、おそらくこの部分は降雨のさいに濡れやすいからであろう

 

この通りは末吉大通りと平行する1本裏の道、末吉商店街池下通り会の続きだが、セブンから先は商店街ではなくなって、完全に住宅街、それもここ近年になってからの新興住宅街といった雰囲気であった

 

 

そんな町並みに、このハーフもじゃハウスが混ざっているのは、かなり奇異な風景である

 

--が、その少し先には、この建物が奇異であることなど些事に感じてしまう、あり得べからざる風景が目に入る

 

 

 

 

 

 

 

 

こんもりと繁った大きな樹木が、前回の超豪邸と文化住宅を想起させる

 

このように大きな樹木がある場所は、街道筋において神社仏閣か古い屋敷がある証左になっているが、この大きな樹木の下には……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと出桁造りのこんな商家が!

 

この建物を初めて見たのは高校生の頃で、その後、完全に失念していたが、鶴見の散策をしていて思い出し「どうせもう残ってはいなだろう」と、ダメ元でストリートビューを見たら、まだ残っていて驚愕した

 

 

僕の記憶が間違いでなければ以前は角打ちをやっている酒屋だったはずだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、素晴らしい!

 

入り口をアルミサッシに替えてしまう店がほとんどなのに、こちらの物件は、塩化ビニール製と思われる雨樋のほかは、見事に往時の姿を保っている

 

 

鶴見の海側は横浜大空襲で壊滅的な打撃を受けたため、戦前物件はほぼ皆無だが、陸地側はせっかく戦災は免れたのに、開発によって古い建物が取り壊されるという皮肉な事態になってしまった

 

2棟残っていた銅板葺き看板建築は1棟になり、MORINAGA工場前のモルタル外壁の戦前型看板建築も解体された

 

 

残った戦前物件は、MORINAGA工場前の出桁造りの酒屋、国道1号線脇の半分にぶった切られた出桁造り商家と、その先の路地裏にある住居仕様に改装された出桁造り商家

 

そして、こちらの物件である

 

 

なかでもこちらは建物のオリジナリティも完璧に近い上に、樹木や物置小屋など周囲の保存状態も申し分なく、鶴見区というより横浜市全体から見ても極めて貴重な建物なので、今すぐにでも有形文化財にして保護すべきであろう

 

 

 

 

 

 

 

 

2階の戸袋は、何かの模様が施された板かと思ってよく見ると、どうやらブリキが長い年月で錆びついて、まるで木目か何かのような模様になったもののようだ

 

建物の横の窓には木製の高欄も残されており、驚くほど保存状態がよく、まさにミントコンディションと言ってよいだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

店舗としては、すでに役目を終えているようであるが、店内は現役の頃の姿をとどめており、入り口の引戸も昔のまま残っている

 

窓枠は、いわゆる御多福窓の意匠になっているが、残念ながらガラスは新しいものに入れ替えられてしまっており、歪んだ大正ガラスではなかった

 

 

それにしても不思議なのが街道筋というわけでもなく、駅や神社仏閣、大きな公共施設などが近くにあり商売が成立する……といった場所ではない、こんな僻地に、何故、はるか昔からこのような立派な商家があったのか?

 

ということだ。おそらくこの建物が建てられた昭和初期頃、このあたりは丘陵と鶴見川に挟まれた一面の田園地帯だったはずで、いくら考えてもこの謎は解けなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出桁造りの酒屋をあとにして、この裏道を綱島方面に向かうと下末吉台地の高低差のある地形、そして驚くほどの傾斜地に、まるで雛壇よように無理やり住宅が建てられていて呆れる

 

上の写真の崖地などは、驚いたことに6段もの構造になっていて、文字通りの雛壇住宅であった

 

 

ということで《下末吉台地の下》おしまい。久しぶりの大長編「鶴見の散策」シリーズは、これにて終了である

 

 

 

次のシリーズは、またしても横浜市だが、かつて横浜市南区の南太田にあった日本最大のスラム街「乞食谷戸」の跡地を散策するので乞うご期待!

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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