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👀 final 旧・船津眼科医院とオマケの志茂 

 

 

 

 

 

 

どうやら今年は観測史上ブッチギリで猛暑の年のようだ。僕は常々、夏は大嫌いと言っているように、本当に暑いのが嫌いなので、起床した瞬間にイラっとしてしまう

 

昨日の夜の9時半頃、登戸駅のホームで電車を待っているとき、あまりにも暑いので「この駅は通気性が悪すぎるファッキン!」と、プンプンしながら、なんとなく気温を見ると30度だった

 

 

夜になっても気温30度って、それ明らかにジャカルタやクアラルンプールとかカイロより暑いじゃん!

 

そういえば2004年に、真夜中になっても気温30度の日があって、あんまり暑いから多摩川に釣りに行って川に入ると、ぬるま湯みたいな水が流れていたことを思い出した

 

 

ちなみにその日は、短パン、サンダルで膝まで川に浸かったまま2時間半ほど竿を出して、手のひらサイズのシーバスの子ども(セイゴという)一匹の貧果であった

 

 

という、どうでもいい話はともかく……

 

日光御成道の鳩ヶ谷宿の範囲だったと思われる部分は、すべて見たと思うので、街道と平行している一本裏の道を辿って河岸段丘の上、北西酒店のところまで戻った

 

往路において僕は、見沼通船堀のところから脇道に逸れて、坂道を登りきったところにある北西酒店のところで再び脇道に入った。つまり街道の坂道の部分だけ、まだ見ていなかったわけだ

 

 

 

 

 

 

 

 

地図で説明すると見沼代用水東縁の文字のすぐ上の「ヒカリハイツ」のところで左に逸れ、鳩ヶ谷氷川神社の前をぐるっと曲がって《105》の表記のところで街道に復帰した

 

これは、そのように計画したのではなく、なんとなく気になるほうに向かっただけの話なのだが、この気まぐれが最後にドラマチックな展開を見せることになる

 

 

とりあえず北西酒店の向かい側にあった藤屋洋品店の並びを見ると……

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと頭でっかちの「餃子・焼売専門店 高砂」という不思議なデザインの看板建築があった

 

なんとなくテイクアウト専門のようにも見えるので、写真を見てお土産によさそうに思ったけれど、現地では建物の形状に気を取られて、どのような店なのかたしかめもしなかったので、後の祭りである

 

 

この高砂の少し先に、回り道したため見逃していた鳩ヶ谷のキラー物件があったのだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

おおおおっ、なんじゃこりゃ! これを見たときの僕の心の叫びである

 

何度も書いているように、僕はほとんど下調べをしないので、事前に流し読みしたブログに、鳩ヶ谷に洋館が残っているという記述と、この建物の写真は見ているはずなのだが、そのブログ主は、この建物にさほど関心がなかったのか、小さな写真をワンカット載せているだけであった

 

 

なので僕はてっきり、まあそこそこの擬洋風建築だろう。と、軽く流してしまっていた。しかも……

 

 

 

 

 

 

 

 

鳩ヶ谷氷川神社の参道に曲がる直前のこの写真にも、しっかり写っていたのにも関わらず、すぐ後方に同じような色合いの建物があったというカモフラージュ効果により、見事にスルーしてしまっていたのだ

 

写真をよく観察すると、1軒置いて隣の建物も頭でっかちの不思議なかたちの看板建築の横の部分も、見事に洋館と同系統の塗装がなされていることがわかる

 

 

ちなみに、1軒置いて隣の建物は建て替えられる以前は、戦前型の出桁造り商家に看板建築をくっつけたもので、そのまま残っていればこの洋館もくっきりと浮かび上がっていたであろう

 

という、言い訳は置いといて、この洋館の素晴らしいこと!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの建物は大川勇の設計により1932年に竣工した旧・船津眼科医院という物件である

 

大川勇は草加出身の建築家で、地元草加を中心に主として学校などの公共施設の設計を手掛けた建築家で、このように個人宅を設計するのは珍しいそうだ。鳩ヶ谷にはもう1棟、氏の設計になる医院建築があったが解体されてしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

船津家はもともと鳩ヶ谷の地主の家系だそうだから、このような立派な建物を造る財力があったのだろう

 

向かって右側の塔屋のパラペットには凝った装飾が施されている。よく観察してみると建物の角の部分にはギザギザに見えるようなかたちで、スクラッチタイルの飾りがある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関の部分は二段階のような造りになっており、上の部分には小さな明かり取りが設けられていた

 

 

庇や笠木には銅板が使用されており、緑青を吹いた色合いが青いスペイン瓦とマッチしているのは、明らかに狙ってやったものだろう

 

残念ながら窓枠はアルミサッシに替えられてしまっているが、上部の半円形部分には、オリジナルの部材が残されているようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

角度を変えて眺めると塔屋のパラペット部分は、その意味合いどおりペラペラの造りになっている

 

窓の周りに銅板を思わせるような色合いで縁取りしていることにより、銅板の笠木やスペイン瓦と見事な統一感を出している。大川勇という建築家は、この建物によって初めて知ったが、ヨーロッパの様式をよく研究していたようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

往路ではスルーした向かい側にある「八百半商店」という八百屋を見にゆくと、シャッターは半分閉まっていたが、商品が並んでいるので現役で営業していたようだ

 

これで日光御成道鳩ヶ谷宿に残る古そうな建物は、ほぼ網羅したものと思われるので、散策を切り上げることにした

 

 

しかし、この倒れそうな猛暑のなか、ここから埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅まで戻るのは難事だと思っていたら、旧・船津眼科医院のすぐ近くにバス停があることに気が付いた

 

バス停に行ってみると、バスを待っているひとが10人ほどいたので、すぐ来るだろうと思って、バス停横にあった自販機で飲み物を購入したら、飲み終えないうちに赤羽行きのバスがやってきた

 

 

 

 

 

 

 

 

バスは岩槻街道をとおってほどなく赤羽駅に到着した

 

今回は散策を開始した時間が早かったので、いつもならまだ散策を開始するような時間に終わってしまい、時間潰しに赤羽駅から10分ほどの志茂に残る銅板葺き看板建築を見にゆくことにした

 

 

到着したのが赤羽岩淵なら日光御成道沿いにある銅板葺き看板建築を見にゆくのだが、方向が正反対なのでそちらはスルー

 

銅板葺き看板建築の向かい側にあった古い商家が、いつの間にか解体されていてガッカリするが、道路の向こう側を見ると

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よかった。ちゃんと残っていた

 

この界隈には、前述の赤羽岩淵駅のすぐ脇を通る日光御成道沿いに1棟、あとは東十条に1棟残っていたが、東十条の建物は解体されてしまった

 

それでも東十条には、まだモルタル外壁の戦前型看板建築が何棟か残されているが、日光御成道は拡幅工事のさいちゅうで、近い将来この地上から消え失せる運命にある

 

 

川向こうにある福田屋洋品店が解体されないことを祈るばかりだ

 

 

 

 

 

 

 

 

この日のスタイルは、完全に暑さ対策に特化

 

キャップは通気性のよいリネン製、汗などすぐに乾くアメリカ製のポリエステルのワークシャツ、短パンはまだ安かった頃、自分でカットオフしたアメリカ軍のM-1951である

 

僕が買った頃は、こんな軍パンはいくらでも古着屋にあり、これも3900円で購入したので、情け容赦なくハサミでぶった切ってしまったが、今やこんなズボンが2万円ぐらいするのだから世も末だ

 

ブーツはホワイツのデフュージョンラインのハソーン・オックスフォード。ホワイツとの違いは、ハンドソーンではないことだ。この靴はホーウィンのクロムエクセルレザーを使用しており、雨に強いことが特徴である

 

 

ということで川口からはじまり川口元郷、鳩ヶ谷の散策は、これにておしまい

 

次のシリーズは久しぶりに横浜のmost deep spot 鶴見の予定であるが、あまりにも暑いため取材は日没寸前に行っているため、まだ予定の3ぶんの1しか歩けていない

 

 

鶴見に関しては、以前何度か記事にしているが、今回はおそらくまだ誰もメディアに紹介していない、ディープなスポットをいくつか紹介するつもりだ

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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